不可逆のリインカーネイテッド ~俺の彼女は転生者?~

えねるど

第一章 崩壊する日常編

現れた転生者(リインカーネイテッド)


 その日俺は、寝る間も惜しんで読書に没頭していた。


 一昨日に発売したばかりの好きな先生の新刊を意気揚々と買ってきたはいいが、読むのがあまり速くない俺はこうして睡眠時間でも削らない限りはすぐに読み終えることができない。


 大っぴらに読むには少し抵抗のある挿絵がふんだんに散りばめられている為、職場や通勤時は読みたい欲求を必死に抑え、帰ってきてから寝るまでの数時間が唯一読書に充てられる時間である。


 別にすぐに読み終えなければならないわけではない。

 しかしネタバレというものが俺は心底嫌いである。


 新しい情報やストーリー展開を自分自身で読み進めて初めて脳味噌に注入するときこそが、俺の中の最も好きな瞬間だからだ。


 インターネットやSNSでのネタバレに関しては見なければ済む話であり、実際俺は読み終えるまではそうするようにしている。


 しかし――。


 そんなことを小脳の片隅で思考しながら活字に目を走らせていると、突然机の上のスマホが唸りだした。

 画面には『秋山 つかさ』の表示。高校の頃の友人だ。


 一旦しおりを挟み、文庫本をスマホと交換するように置く。

 早速の懸念事項の着信に対する俺の第一声はこうだ。


「ネタバレは絶対やめろよ」

『おーっすユウスケ、って第一声それかよ! ってことはユウスケも山嵐先生の新刊買ったんだな?』

「うん。まだ半分くらいしか読めてないけどね」

『おいおい、一体俺が何のためにユウスケに電話したと思ってるんだよ!』


 だから第一声で先手を打ったんだよ。


「読んだ後の批評や感想を話したかったんでしょ?」

『そうだよぉ。内容、言いたくて仕方ねえよぉ……』


 そう思って、できる限り早く読み終えようとしていたのだ。

 睡眠時間を削って。もう夜中の二時になるな。


「まあ待っててよ、つかさ。あと二、三日で読み終わると思うから」

『あと二、三日も俺は悶々としてなきゃならねえのかよ!』


 まあ、つかさの言いたいことは分かる。

 良い作品を見たり読んだりした後の溢れんばかりのやり場のない気持ち。


「ほら、他の人にでも話してやったらいいじゃないか」

『ユウスケの他にラノベの話できる奴なんかいねえよぉ……俺が友達少ねえの知ってるだろぉ』

「つかさなら、作ろうと思えばすぐにできるだろ。ほら、凄く可愛いし」

『なっ』


 そう、つかさは「俺」なんて自称しているが、れっきとした女の子なのである。


「大学では友達いないのかい?」

『いるにはいるけど……ラノベの話なんかできねえよ! 女友達の付き合いは大変なんだぞ』

「なんでだよ。趣味は誇っていいと思うけど」

『そうだけど、そういうことじゃねぇんだよぉ』


 まあその気持ちも分かるぞ。

 俺だって通勤の人がうごめく電車でも、職場の休憩中でも、読むことは我慢しているし。

 別に恥でもなんでもないが、わざわざ晒すような事でもない。


「少なからず昔よりは好きなものを好きと誇りやすい時代や風潮になっているんだし、思い切ってその友達にも…………」


 俺はわずかに熱く通話口に能書きを垂れながら、なんとなく部屋の壁に貼ってあるポスターを見たところで目を疑った。


 俺の好きな山嵐先生の作品『最終的には妹が最強の敵』の俺の推しキャラ――ダンテちゃんという名前の妹の一人――が描かれたポスターの、正にそのキャラの胸のあたりがゆらりゆらりと強く光って見えたのだ。


『おい? ユウスケ? どうした?』

「いや、何でもない。……寝不足かな」


 俺はスマホを持っていない左手の人差し指と親指で閉じた両眼を押さえる。

 軽くマッサージをするように上下左右に動かしてから、再度両眼を開いてポスターを見てみる。


 ……やっぱり光っている?


 閃輝暗点せんきあんてんか? 寝不足や眼精疲労からくる網膜の異常か?

 しかし視線を動かしても光る場所は常にダンテちゃんの胸元だ。


『ユウスケ?』

「……あ、ああ、ごめん。俺ちょっと疲れているみたいだ。明日も仕事だし寝なきゃ」

『おう、そうか? わかったけど……早く読んでくれよ? じゃあな』

「わかったよ、おやすみ、つかさ」

『お、おう……おやすみ』


 通話を終えて取り敢えずスマホを机に置く。

 改めてポスターを見ても、やはりキャラの胸元は強くゆらゆらと光っている。


 俺がちょこまかと左右に移動しても、しゃがんでも飛び跳ねても、光って見える場所は全く変わらない。

 それどころかゆらめく光は徐々に大きくなっているように見える。


「俺、相当キテるな……」


 読書による連日の睡眠不足のせいか、職場でのストレスのせいかは分からんが、幻覚紛いの代物が見えてしまったことに俺は冷や汗が垂れるのを感じる。


 これは、一刻も早く睡眠をとって体を休めなきゃいけない。

 そう思って今時珍しい紐を引っ張るタイプの部屋の電気を消そうとした瞬間――。


「うわっ」


 俺は小さな悲鳴のような声を出してしまった。

 先程までの謎の光が、急速に大きくなっていたからだ。


 その光は、モスキート音のような不快な音と共に縦長の楕円形に大きく拡大していく。

 眩しさに俺は右手を両目に被せてしまう。


 指の隙間から薄目で恐る恐る覗き見ると、更に驚愕することになった。

 そのまばゆい光から、人影のようなものがニュッと出てきたのだ。


 次いで、ガチャリという金属音と、空気の抜けるような音が鳴り、急速に光が小さくなっていき、そして光は無くなった。


 眼がくらんでしまい鮮明には見えないが、どうみても俺の部屋に人間が一人現れたように見える。

 それも、光から出現したように見えたぞ。


 徐々に目が正常になるにつれて、驚き以上に恐怖が勝っていった。

 どう見てもそこには、人間が一人いる。


 忠誠の誓いのようなポーズでしゃがむそいつは、まるで西洋の騎士のような銀色の鎧に、金色の長髪をしている女性だった。

 手には、それこそアニメや挿絵でしか見た事のない剣を握りしめ、両目を閉じて微動だにしない。


 ダメだ、本格的に俺はおかしくなったのだろうか。

 まるで異世界から女騎士が俺の部屋に現れたみたいだ。


 かぶりを振っても目をぱちくりしても、そこにはやはりゴテつく格好の女性がいる。

 ポスターのある壁のすぐ傍にしゃがむ女性に、できるだけ距離を取って窓を背にしながらそれを見つめる俺。


 しかしこのまま見つめ続けても仕方ない。

 驚きと恐怖に震える両手を握りしめてから、俺は声を掛けることにした。


「あのー、もしもし?」


 俺が発声してすぐに金髪の女性は両眼を開き、青い瞳が上目使い気味にしっかと俺を見据えた。

 と思った瞬間には彼女は俊敏に跳ねるように立ち上がり、ガチャリと音をたてながら俺に向けて剣を構えた。

 まるで悪い夢でも見ているみたいだ。


「くっ、き、貴様何者だ! ここはどこだ!」


 俺を鋭く睨む女性は声を荒げた。

 しかしながら声音は幼く、童顔でありつつも整った綺麗な顔で、それでいて透き通るような艶やかな肌だな、などと呑気に考えてしまっている自分がいた。

 きっとこれは夢だ、そうに違いない。


「ここは俺の部屋で、俺は――」

「貴様、さてはヘカテーの使いだな!? このような異端な結界に閉じ込めるとは何とも卑怯な!」

「はい? はい?」


 はい?


「ヘカテーに仕えた事を悔いるといい!」


 意味不明な言動と共に彼女は剣を持っていない左手を俺に向けて突出し、


「くらえっ! バルフレイム!!」


 絶叫に近い声色でそう言った。

 俺は怖さのあまり腕を顔面の前で弱々しく交差させた。


 …………。

 しかし、何も起こらなかった。


「な、何故だ! 何故魔法が出ない! バルフレイム! バルフレーイムッ!!」


 必死に左掌を突き出しながら叫ぶ金髪の女性。

 なんだか、ちょっと可哀そうになってきた。


「あのー、俺はその、怪しいものではなくて」

「黙れ! 結界で魔法を封じるとはなんと卑怯な! 覚悟せよ、ヘカテーの使い!」


 そのヘカテーってなんですか。

 っておい! 剣を構えないでくれ!


「ちょっとちょっと! 俺はそのヘカテーとかいうのは知らな――」

「問答無用ッ! ハァアアア!」


 俺の弁明を聞かずに女性は剣をこちらに構えたままタタッっと駆けてくる。

 殺される――と思いきや、彼女は数歩進んだ部屋の中央辺りで何かを踏んづけて盛大に転んだ。

 盛大に、顔から転んだ。マジで痛そうだ。


 転んだ拍子に彼女の握りしめていた剣は吹っ飛び、俺の顔すれすれの壁に突き刺さった。マジで危ねえ!

 そして床でコロコロと動く球体が一つ。

 どうやら彼女が踏んだのはその野球ボールの様だ。


 綺麗な金髪を揺らしてゆっくりと起き上がる彼女。

 眼には涙を溜めて、鼻と口を手で押さえている。すげえ痛かったよね。


「ぐっ、貴様……身体の自由を奪い、剣まで奪うとは、さてはいん魔法の使い手だな!」


 いや全部ご自身で招いてましたけども。

 というか陰魔法ってなんだよ。……ちょっと格好良いけども。


「とにかく、君、ちょっと落ち着いて! 俺はそのヘカテーとかは知らないし、全部君の勘違いだ」

「そのような戯言ざれごとたばかれるとでも思ったか!」

「俺は普通のしがないサラリーマンだ! 敵意はないよ!」

「サラリ……私の知らない新種の悪魔か! どちらにせよ放ってはおけない! 覚悟!」


 どうやら彼女の決意は固い様で、まるで親の仇を見るような青い眼で睨みながら再びこちらに向かって駆けてきた――。


「わっ」


 そしてか細い声と共に彼女は再び派手に転んだ。

 今度は後ろに大きく仰け反るようにして、後頭部を打ちつけて倒れ込んだ。

 これまた再び転がる野球ボール。

 同じ転び方二回もするとか、相当なドジっ子なんだねこの女。


 俺は動かなくなった彼女の顔を恐る恐る覗き込む。

 どうやら気絶しているようだ。

 そして顔に少し擦り傷があった。顔からイッたときにできたものだろう。


 夜中二時過ぎの怒涛の夢物語に俺の脳味噌はパニックを起こしそうだったが、先程光っていた壁のポスターを見て、どの感情よりも悲しみが膨大に膨らんだ。


 俺の推しキャラのポスターは、先程見えた光の形と同じように綺麗に跡形も無くなっていた。


「嘘だろ……」


 俺のダンテちゃん……初回限定盤プルーレイ特典、一万二千八百円……。

 もう本当、全部夢であってくれ。

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