第3話「さて、記憶喪失の勇者くん。表が大分騒がしくなってきたが、君はどうする?」
――自分でも信じられない状況だった。
作戦に従事するよりも前の記憶、それがないことに気づくなんて。
逆に、この魔女シルフと会話するまで、それに気づかなかったなんて。
「……記憶喪失、というよりも一時的な混濁かな。
思考通信の遮断が効きすぎたということはないと思うが……。
もしも、そうならすまないことをしたね」
いや、恐らくだが違うだろう。
思考通信が遮断された時の影響とは思えない。
しかし、俺に記憶がないとして、司令とは何者で、何を知っていたんだ……?
「……俺は、いったい誰なんだ?」
「残念ながら私に分かるわけもない。すまないね」
「心当たりとかないか? 帝国は人身売買もしているんだろう?」
こちらの言葉に少しばかり邪悪な笑みを浮かべるシルフ。
この少女が魔女と呼ばれているのが分かる気がした。
「ふふっ、随分と疑うものだね。君の属する組織じゃないか」
「……だが、俺に偽りの情報を教えてきた。君がテロ集団の首領だと」
テロ集団の首領、シルフィーナ・ブルームマリンを抹殺しろ。
その前提条件がそもそもの大間違いだったんだ。
「それだけで疑うに足るというわけか。
しかし良いのかな、私が本当を言っているって証拠、どこにもないんだよ?」
「え……?」
ぽんと優しく俺の肩を叩くシルフ。
「君は、私の言葉だけを鵜呑みにしていないか?
しっかりと考えられているかい? 悪いが私には子守をしている余裕はない」
――子供みたいな容姿で何を偉そうに。
と思ったが、確かに彼女の言う通りかもしれない。
与えられた任務と現実の差、その答えらしきものを教えてくれたのがシルフだったから自然に信じていたが、彼女の言葉を全て信じていいという要素はないのだ。どこにもない。だが、それでも――
「少なくとも現状と何も噛み合わない情報を与えてきた連中よりも、アンタの言葉の方が信じる要素は多い。少なくとも目に付く齟齬はないからな」
「ふふっ、そうか。それで良い。自らの思考を放棄するな、何かを妄信するな」
この言葉を聞いていると、彼女が500年を生きる魔女だと分かる気がした。
「それでシルフさんよ、もう一度聞く。俺みたいな状態に心当たりはないか?」
「……14年戦争で、人間の国と機械帝国は戦争を続けていた。
人間の国、つまり皇国軍の捕虜を洗脳しているという噂は聞いたことがあるね」
皇国軍の捕虜を洗脳とは。ナノマシンを使えば可能なんだろうか。
「可能なのか?」
「技術的にはできるだろう。思考通信を変化させればいい」
なるほど。確かに司令の声みたいなのがずっと聞こえてくれば、あるいはもっと深層心理に対して行われたら、あり得るように思う。
「さて、記憶喪失の勇者くん。表が大分騒がしくなってきたが、君はどうする?」
例の陽動部隊と、エルフの人身売買組織が戦っているのだ。
少なくともシルフは逃げなければ危ういだろう。
しかし、俺は――?
「――先に私の答えを言おうか。私は逃げさせてもらう。
少なくとも今の私に帝国の精鋭部隊を相手にするほどの余力はない」
簡単に荷物をまとめる魔女シルフ。
そんな彼女を前に、俺は決断を下せずにいた。
「……どうした? そんな捨てられた子犬みたいな目をして」
「いや、俺には、どうすればいいのか、分からないんだ」
記憶がない俺を使おうとした帝国軍に戻る気にはなれない。
しかし、この先の当てもない。
自らの記憶、過去が何もない俺には何の指針もないんだ。
「他人に答えを求めるなと言いたいところだが、今の君には酷すぎるかな。
……少し、アドバイスをしてやろう、人生の先輩として」
戦場独特の弓矢の音、光線銃剣の音、怒号が響いてくる中で、彼女の瞳は何よりも美しかった。まるで宝石のように。
「――君が選べる選択肢は、大まかに2つ。
1つは帝国軍に戻る道、もう1つは帝国軍から逃げる道。
前者を選ぶのなら私の首を持って帰るのが最善だ」
……どうにもそれを選ぶ気にはなれなかった。
そもそも与えられていた任務が嘘だというのもあるが、この娘が悪人には見えないのだ。ある種の高潔ささえ感じる。
「教えてくれ、後者を選ぶとした場合の最善手は……?」
「――私と共に来い。少なくともここを逃げ延びるまでの目的は一致している」
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