幼馴染のために、俺は女装をする

六条菜々子

第1章 平穏な日々

第1話 人気がないなら、女装すればいいのよ

 スカートの裾がじゃれついていた。ああ、どうしてこうなった。

 股の間は風通りが良すぎるし、壇上の上にいたら、ほぼ真下にいる生徒たちに下から覗かれるんじゃないか、というしたくもない不安があった。

「いいよ、果鈴かりんちゃん。似合ってるよー!」

 目の前の幼馴染は、俺を着せ替え人形のようにして遊んでいた。決して某遊び人形ではないのだけれど。

「なあ、冗談だよな」

「へ? なにが?」

 いかにも、わたしは関係ないよ、という目を向けられていた。すべての発端は、間違いなく目の前にいる夏菜子かなこなのだが。

「女装して全校生徒の前に出るなんて、俺聞いたことないぜ?」

「いいじゃない。元々、趣味みたいなものだったでしょ」

 そう言うと同時に、夏菜子は俺を生徒会室の外に連れ出した。

 ごめんなさい、天国の父さん、母さん。俺は、全校生徒の前で醜態をさらすような息子になりました。


『まもなく、烏森からすもり高校の始業式が始まります。生徒の皆さんは、体育館に集合してください』


 生徒会室から体育館に向かって走っている最中、放送部のアナウンスが、校舎内に響き渡っていた。

「果鈴ちゃん、急がないと遅刻するわ!」

「スカートで走らせるなよぅ」

 生徒会室から、校舎の反対側にある体育館まで、走るたびにスカートが揺れていた。それが、なんとも恐ろしい感覚だった。

 よくこんなのをはいて、毎日学校に来れるな……。女子、本当に恐ろしい子。

「頑張って、生徒会長さん」

「都合のいいときだけ、そんな呼び方するなよ」

 着ていた制服を無理やり脱がせて、女子用制服を着させた人がいうセリフじゃないことは確かだった。


 体育館の正面入口を避けて、裏口からこっそりと中に入った。すると、そこに副会長がいた。

「すみません、遅れました」

「ちょっと、遅いよ……って、え」

 こうなることは、なんとなく予感していた。


『それでは、烏森からすもり高校、始業式を始めます』


 目の前の現実を受け入れられないのか、理奈りな副会長は俺のことを指さしたまま、固まっていた。

「嘘……あんた立花たちばな会長なん……」

 校長先生からの話はいつのまにか終わり、自分の番が来た。

「そうだよ。行ってきます」

 あんぐりしている理奈を横目に、壇上へと歩いた。


『次に、立花生徒会長からのお話です。お願いします』


 俺が登壇すると、生徒たちの頭の上に『?』が浮かんでた。当たり前だと思った。

 あるところからは『生徒会長って男だったよな? 女だっけ?』という声も、聞こえていた。こっそりと話しているつもりだろうが、すべて聞こえているぞ生徒諸君。

『えー。皆さん、おはようございます。生徒会長の立花果鈴たちばなかりんです』

 そういった瞬間、さっきまで微笑みながら話していた校長先生の顔が、歪んでた。そして、口がぽかんと開いていた。

『早いもので、もう4月になりましたね。新入生の皆さんも、まだまだ緊張しているのではないのでしょうか』

 我ながら、この状況下でまともに話せていることに、すごいと思った。もはや、緊張などを通り越して、新しく強固な壁を心の中に作り出していた。

『在校生の皆さんは、ある異変を感じていると思います』

 言わざるを得なかった。だって、新入生以外の人のほとんどが、話を聞けているわけがない。そう思ってしまうほどに、心ここにあらずという表情だった。

『なぜなら、あたしが女装しているからだよな!』

 しまった。そう思ったときには、時すでに遅し。

 スイッチが入った俺は、誰にも止められない。

『立花果鈴は、今日からこの格好で過ごすことにした。だから、生徒たちもあたしについてきてくれ!』

 なんだかよくわからないままに台本を読み上げ、俺は顔を上げた。

 すると、生徒たちの表情がなぜか嬉しそうだった。あれ、予感通りじゃないな。

「「おぉー!」」

 謎の盛り上がりを見せた始業式は、無事に閉式した。生徒会顧問から、少し小言を言われたのは想定済みだった。しかし、それだけだった。

 それはつまり、女装行為が学校公認になってしまったということを意味していた。


 生徒会室に戻ると、理奈が興味津々で俺の女装姿を見ていた。少し恥ずかしいので、あまり見ないでほしいと思った。けれど、なにを言っても今は無駄だろう。

「なあなあ、あれ台本やったやろ」

 俺のつけているウィッグを触りながら、理奈は詰め寄ってきていた。

「あるといえばあった。ないといえばない」

 元はといえば、夏菜子が俺に女装をさせたのが悪い。夏菜子の趣味に、俺は巻き込まれただけなのだから。責任転嫁といわれようとも、あの状況を作り上げてしまったのは、他の誰でもない夏菜子なのだ。

「夏菜子、そこんとこどうなん?」

 機嫌が悪いまま、理奈は夏菜子に矛先を変えていた。そんな理奈に対して、夏菜子はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。

「台本通り、ノリノリだったね」

「やっぱりそうやったんか」

 そのあと、理奈からからかわれ続けたのは、言うまでもない。


 さかのぼること2週間前。俺はある悩みを抱えていた。

「どうすれば、認めてもらえるんだろうなぁ」

 前生徒会長は、生徒たちからの評判がとてもよかった。後輩からも慕われていたし、先生方からの信頼も厚かった。

 かなわないとわかっていても、嫉妬せざるを得なかった。

 生徒会選挙が行われたが、俺は結果的に、信任投票だけで生徒会長になってしまった。前生徒会長のように、信頼をおかれて選ばれたわけではない。そのためか、生徒から注目されるようなことは一切ないまま、数日が過ぎていた。

 このままでは、俺の存在すらも忘れ去られてしまう。そう思ってはいたが、どうすることもできずに、夏菜子に相談するに至った。

 同じ生徒会役員である夏菜子なら、なにかいい案が思いつくだろうと思い、声をかけた。だけれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「インパクトが大事なんだわ」

 突然そういい放って立ち上がった夏菜子は、生徒会室にあるロッカーから、女子用制服を取り出した。

「これ着てみて、これ!」

「は?」

 手にしているのは、どう見ても女子用の制服。それを掲げながら『着てみて』といっている。

 はて。これはなにごと。

「いいから、いいから」

「いや、俺がよくない! ちょっと待て!」

 俺が着ていた制服を、綺麗に脱がしていく夏菜子。

「そもそも、これ誰の制服なんだ!」

「わたしの。定期的に洗濯してる、予備の制服だから綺麗だよ」

「そういう問題じゃない」

 もはや、何が起きているのか。頭の処理が追い付かないまま、気がついたときにはあられもない姿をしていた俺。

「汚されたよ……」

 怖いなあ、怖いなあ。こうやって、恥じらう心は汚されてゆくのですね。

「いいよ……いいよ果鈴会長。いや、果鈴ちゃん……」

「んあ!? なんて目で人のことを見てるんだ!」

 狩りに出る旅人のごとく、夏菜子はとんでもない目をしていた。

 床に座るような姿勢で動けなくなった俺には、とれる選択肢が1つしかなかった。それは、足元に無造作に置かれている、女子用制服を着るということである。

「本当に、俺が着るのか…?」

 目の前の狩人は、激しく首を縦に振っていた。


「似合うわね」

 何に対してなのか、夏菜子はうなずきながら、俺の女装姿をなめまわすようにながめていた。

「もういいか? 風通りがよくて気持ち悪い」

「よし。わたしは決めました」

 それまで不気味な笑みを浮かべていた夏菜子が、急にきりっとした表情でこう続けた。

「果鈴会長には、女装して生活してもらいます!」


 そんなこんなで、俺は夏菜子に言いくるめられたあげく、女装生徒会長という魔物を生み出してしまったのである。


 生徒会の仕事もひと段落し、俺たちは休憩時間に入っていた。

「しかし、メイクなしでここまで女の子になれるんやな……」

 結局、始業式のあとも俺は女装を続けていた。というよりも、女装を解かせてもらえなかった。

 俺の着ていた制服は、いったいどこへ消えたんだ。まあ、おおかたの予想はついている。

「すごいよね。可愛いわ、果鈴ちゃん」

 どう考えても、犯人は夏菜子だろう。

「ほんま、嫉妬するレベルやで。自分、実は可愛いと思ってるんちゃうの」

「いやいや」

 一方的に詰め寄ってくる理奈。それをあおるように声をかけてくる夏菜子。

 俺の落ち着ける場所は、どうも生徒会室にはないようだ。

「でもまさか、あそこまで注目されるとは思わなかったわ」


 始業式が終わったあと、俺は新聞部の取り囲み取材を受けていた。いや、正確にいうと逃げられないように囲まれていた。

「どうして、こんな思い切った行動に出たんですか?」

 新聞部部長が、マイクではなく小さなメモ帳を持って、俺の横にべったりとくっついていた。

「うーん。させられたんですよね」

「なるほど……」

 なにがなるほどだよ、というツッコミはせずに、少しだけ早く歩くようにしていた。関わっていても、ろくなことがない。

「今後も、女装は続けるんですか?」

「さっきも言った通りです。これ以上の質問は、ご遠慮ください。では」

「あ、ちょっと会長!」

 部長の周りにいた、新聞部員の気が緩んでいた。そのすきに、俺は生徒会室に向かって走って逃げた。


 最終下校時刻になり、俺たちは帰ることにした。

 烏森高校は高台の上にあるため、百数十段ある石段を下りなければいけない。もちろん、登校するときはそれを登る。

「ちょっと遅くまで残りすぎたね。暗くて階段がよく見えないよ」

「たしかにな」

 俺は、下りていく2人のことを後ろから見ていた。女装さえしていなければ、いつもの平和な帰り道なんだけどな。

「果鈴ちゃんも、早くおいで!」

「はいはい」

 元気に手招きしてくる夏菜子。今日も相変わらず、笑顔を振りまいている。


 石段を下りきり、俺たちは顔を見合わせた。

「じゃあ、また明日ね」

「気をつけて帰りや」

「夏菜子と理奈も、仲良く帰るんだぞ」

 2人とは、ここから変える方向が真逆だった。よっぽどのことがない限り、こうしてここまで一緒に帰るのが、いつもの習わしとなっていた。


 それからしばらく歩き、家の前についた。海風がいつもより穏やかで、あまり寒くなかったのが幸いだった。スカートの風通りに、少し慣れてきている自分が怖い。

 ガラス扉をひいて玄関に入ると、そこには妹がいた。

「ただいま」

「おかえり、お兄ちゃん…?」

 この感覚、12時間ほど前のものと同じものだ。それに気づいてしまった俺は、深くため息をついた。

優樹菜ゆきな、これには深い事情があってな……」

「かわいいね、お兄ちゃん! どうしたの? 家の外でもその格好することにしたの?」

 兄に対して頭を撫でてくる妹。もう、いったいなにがどうなってるんだ。

「いや、俺が決めたわけじゃないんだ」

「似合ってるし、かわいいよぉ」

 かわいいと連呼された俺は、正常な判断能力を失ってしまった。そのためか、その日の夜のことはあまり覚えていなかったりする。


 ただ、うっすらと思い出しそうなのは、意識がもうろうとしながらも、妹に膝枕をされていた記憶だった。

 なんで忘れてしまったんだ、俺。

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