ボルシチ

「あっちいってくださいっ!」


 沙羅さら降妖水舞コウヨウスイブを振るい水の塊をマーマンにぶつける。

 二体のマーマンが壁まで吹っ飛ばされてそのまま動かなくなる。

 皆が戦闘する中、私は少し離れた位置から全体を見ていた。

 妹融合が使えないとなると途端に前線で戦うってのが厳しくなるのよね。

 さて、話は変わるけど有名な童話に人魚姫ってのがある。

 人間の王子に恋をした人魚の姫が人魚の魔女に人化する薬をもらってアタックするも色々あって玉砕するっていう世知辛い物語。

 人魚、英語でいうとマーメイド。

 それの男版がマーマンやね。

 この男版の人魚、訳して男魚がいるならさ。

 人間の姫に恋をした切ない男の人魚の物語があってもいいんじゃないかって思うよね。

 ところがさ、あることはあるんだけど一部の小説とか以外だとほとんど見当たらないんだな、これが。

 日本の人魚の場合にもそうやね。

 ただ日本の妖怪の場合だと基本的に性別が曖昧なことも多い。

 さらにいうと水系は蛇女房の伝承の影響を受けた場合もそこそこあって、しばしば他の系統の物語との混同が見られる。

 だから妖怪に関しては基本、両性が種としてそろっている、もしくは両性具有か単体増殖できる、変性できると考えるとまぁ、それなりに辻褄があうのよね。

 一方で西洋の場合には性別や文化、技術、民族含めすべての物事に対して差分が明瞭なんだわ。

 これもシャル的な言い方になるけど、基本的には西洋から広まった科学の本質は区分にあるといってもいい。

 違いをきっちり分類しないと検証のしようもないしね。

 そこには本来オカルトも呪いも入り込む余地はないよね。

 古来、人魚ってのは水棲哺乳類、アシカやジュゴンなんかを人と見間違えたんじゃないかといわれてる。

 たしかにね、夜、真っ暗な海でシルエットだけを見たら間違う可能性は当然高い。

 結果発生したマーメイドという種に対して、西洋の人らは当然こう思う。

 メスがいるならオスもいるよね、と。

 結果、マーマンという単語が発生してきたわけだ。

 だからなんだろうね、創作上でマーメイドとマーマンが仲睦まじく子を作って社会を形成してるという前提が基本薄い。

 私の我流陰陽道では皆一人一人の視線の先にある現実の世界を、誰かが見つめる物語であると見立てる。

 私の場合には私の話を見てるのは数多の姉妹っていう想定にしている。

 でだ、このマーマンとマーメイドが交わらないという仮説を前提おいて考えてみると『種族設定』、すなわち彼ら、彼女らはどこから生まれたのかというとこにスッポリと穴が開いていることに気が付く。

 どっかの猿の成り上がりみたいに木のマタから生まれましたとか宇宙から降ってきたとかいうのはほんと例外中の例外。

 少なくともいる以上は湧いて出てきてるわけよ。

 実際のところ、この手の片性だけの存在ってのは不貞をした事実を誤魔化す為の理由付けに長らく使われてきた側面もあって、この幻想を実現化するアスティリアではおそらくそっちも存在する。

 シャルやアカリのいうとこの幻想種ってやつだわね。

 非実体よりのモンスター、レイスやらに近い、すなわちMPで動作する個体ってやつだ。

 もしそうならば……


「その存在は影法師、姿亡き者に帰れぬ幻想なし」


 私は近くに寄ってきたマーマンの背後からそっと手を触れ宣言する。

 が、特に変わりはない。

 一瞬、視界からは消せたけど視界に戻すとまた存在するってことは消せんのだわね。

 そのうち試してみるつもりだけどこの状態だと妹転換も厳しいかな。


「アイスバレット! 優姉! なにやってるんですか!」


 私にかみつこうとしたマーマンをアカリが魔導で狙撃、遠のけてくれた。


「ちょっと実験、うへぇ、ねっとりするわ」


 後でセーラにでも水もらって手洗おう。

 うーん、こりゃだめだわ。

 腹をくくろう。


「セーラ、アカリ、沙羅。姉として指示する。マーマンを駆逐、無理なら撤退」

「わかったわ」

「「はい」」


 そのままセーラのほうを見るとアカリや沙羅と同じく複数のマーマンと対峙していた。


「坊やたち、悪いけれど今日は長く付き合ってる時間はないの。ごめんなさいね、今の私だとリーシャだけで手がふさがってるのよ」


 話しかけてもグゲゲゲという鳴き声だけが返る。


「せめて、次の人生ではいい人に巡り合えるように縁を結んであげる」


 そういいながらマーマンたちのほうに左手をかざしたセーラ。


「『月下氷人げっかひょうじん』」


 セーラの周囲のマーマンたちが凍結していく。

 同じくマーマンの相手をしていたアカリがセーラのそばに駆け寄るのが見えた。


「アカリちゃん、この子たちをかせてあげて」

「はいっ! ソリッドブレイクっ!」


 凍ったマーマンたちがアカリの魔導に砕け散っていった。

 復習になるけど、ここは私とリーシャの夢世界だ。

 今ので消せないということは幻想ではない、つまりは夢の中における物理存在だということがわかる。

 ちょっと視線を下げると白ちゃんと視線が合った。

 こちらに来た最初の三日で確認したこと、それはこの夢の中でどこまで私が主観世界をいじれるかということも含む。

 結果、大体わかった。

 通常、夢の中ってのはぐちゃぐちゃでホラーじみてることも多い。

 それにきちんと整形した物理演算の認証フィルターを上掛けしてるのはこの月華王の端末たちだ。

 超高機能演算機、いわば異世界のVR装置って言ったとこかね。

 ちなみにいうと沙羅については単純に言えばこの夢に引き込んだだけともいう。

 町の入口でどっからともなく人が沸いてくるのを見て、ああ、そのあたりは辻褄を後から合わせてるんだなとおもたのよ。

 そこで観測者であるリーシャにも馴染みのある妹転換をなぞるふりして、姉妹のつながりのある沙羅のイメージを魔法陣の上に自作した認証フィルターごと上書き、月華王諸共このつぎはぎだらけの世界を騙したわけだ。

 なので本当の意味で物理を書き換えたいなら月華王の端末を上回る非常識で現実を改ざんするか、騙すか、もしくはそれを出来る存在を味方につけて力を貸してもらう必要がある。

 そこらも課題だとして少なくともこのマーマンは月華王の演算する物理存在だということが今の検証ではっきりしたわけだ。

 さて、この片性だけが出現する亜種族については、私がこの世界で目撃した前例がある。

 そう、ゴブリンなのさ。

 ではこのマーマンはどんな人間が亜人に変貌したかって話だわね。

 そんなことをつらつらと考えてると追加のマーマンが水から上がってきた。


「うにゃぁ! こっち来ないでください!」


 降妖水舞を使って周りのマーマンを追い払う沙羅だか、周囲によって来るマーマンの数が一向に減る様子がない。

 というかむしろ増えている。


「アクアシールドッ!」


 ある程度片づけたアカリが沙羅の傍によって水のシールドを張ったののが見えた。


「ありがとう、アカリちゃん」

「いえ。ただ長くはもたないですよ。ぶっちゃけ、私水適性は低いんであまりあてにしないでください」


 そのまま二人が少し離れた位置にいた私の位置まで寄ってくる。


優姉ゆうねえ、セーラ、こりゃきりがないです」


 ふーむ、こうも湧き出してくるとまずいね。

 私が観察しながら考え込んでいるといつの間にかセーラが隣にいた。


「あの子たち今日は随分はしゃいじゃってるわね。よっぽど沙羅ちゃんが魅力的だったのかしら」

「い、いやですよっ! 私はもうちょっとかわいい系の子が好きなんです」

「あらそうなの」


 緑の瞳にブロンドのロリっこエルフかな。

 ここらで情報の整理をしますか。

 まずこの類の生理的にも種族的にもおかしい亜人は人間が崩れたものが多い。

 そしてここは下水道である。

 セーラはさっきマーマンたちを「坊やたち」と呼んだ。

 それだけなら比喩かもだけどその後の一言が決定的だった。

 「次の人生ではいい人に巡り合えるように」、つまりいい人に巡り合えなかったということになる。

 月下氷人は本来は結婚の時の仲人のことだったと思う。

 使い方を見るとそのままの意味では使ってないみたいね、何か縁がかみあわなかった人を補正する的な曲げた使い方かな。

 ふむ、下水、セーラの龍札、そしてこの子たちという呼び方。


「なるほど、大体わかった」


 私が苦くそうつぶやくと妹たちの視線が集まる。


「セーラ」

「なにかしら、ユウちゃん」

「あのマーマンってさ、上の住民が下水に流した子供だったりしないかね」


 アカリと沙羅が息をのんだ。

 一呼吸の間の後でセーラが口を開く。


「ええ、そうよ。だから私があの子たちの供養を請け負っているの」


 アカリの水のカーテンの向こうに再び手をかざしたセーラ。

 そのまま彼女は小さく呟いた。


「『月下氷人』」


 おそらく三ダースはいたであろうマーマンがすべて凍結した。


「アカリちゃん!」


 呆然としていたアカリがセーラの言葉に我に返り魔導を発動する。


「ソリッドブレイクッ!」


 水のカーテンが赤い色で染まった。

 そのカーテンの先にセーラが何か小さく呟いたが、私たちにはそれを聞き取ることはできなかった。

 そのまま赤い血のカーテンを背にセーラが微笑んだ。


「私はセーラ。水と子を導く元四聖しせいよ」


 私は一つため息をつくとセーラの傍によって見上げた。

 マーマンは元人間かもしれんけど亜人だから殺人にはならない。

 建前やけどね、そうでも言わないとやってられんのは確かだし。

 なるほど、ナオの時にはゆっくり話できんかったけどこれが四聖か。

 聖人にして人格破綻者とはよく言ったものだわ。

 いや逆だな。

 カリス教の言う聖人そのものが人格破綻者のことなんだろうね。

 可哀そうだと思わんでもないんだけどさ。

 それ以前に私はこの子の姉なのさ。

 セーラをこんな顔のままにはしておけないしね。

 人間ってのは残酷だからね、他人の子よりは自分の子のほうが優先。

 だから私はセーラにはこういうのさ。


「今は私の妹だけどね。おつかれさん。ゴブリン豚足に続いてマーマンボルシチやね」


 一瞬目を丸くしたセーラ。


「え、ええ? ボル……シチ?」


 私はそのままアカリのほうに顔を向けるとセーラの後ろを指さした。


「アカリちゃんや、これはやっぱ食えそうにないわね」

「あたりまえだっ! 空気読めよ、優姉!」

「うぅ、た、食べないでください。お願いですぅ」

「そりゃまぁ、河童は食わんわよ。あ、いやむしろ河童のほうが不老不死の妙薬として結構食われていた気もしなくもない」


 つい事実を口にすると沙羅がぽろぽろと泣き出してしまった。


「うわぁぁああああああああああああん、たべられるぅ!」

「このアホ姉っ! ボルシチ食えなくなったらどうするんだよっ!」

「いや、マジごめん。つい」


 私らががそんなやり取りをしてるとなんだかセーラが笑いをこらえているのが見えた。


「セーラ?」

「だ、大丈夫よ、その、あなたたちのやり取りがおかしくて」


 ほんと笑いのツボがずれてるよね、この子。


「セーラにはやっぱり悲しそうな笑顔よりそういう笑顔の方が似合う」

「そ、そうかしら」

「セーラはそんな感じに笑ってるほうが可愛いさね、たぶんね」


 私がそういうとセーラが本格的に笑い出してしまった。

 泣く沙羅に怒るアカリ、そして笑うセーラ。

 どうしてこうなった。

 それと最後のはなんでセーラに笑われたんよ?


「解せぬ」

「解れよっ!」

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