ゴブリンの瞳
アイラのお家はいつも貧乏で食べ物がなくて、それでいて兄弟がいっぱいだった。
そういうのを貧乏人の子だくさん、シャルお姉ちゃんがそう教えてくれたの。
おとーちゃんはしがない農夫、おかーちゃんは近所の娘、にーちゃん、ねーちゃんがいっぱいに弟、妹もいっぱい。
後で聞いたお話だと他の国と比較してロマーニは豊かな国だって話だったけど、それだって十六人を超える家族を食わせていくほどの余裕はなかったの。
かーちゃんが病気で死んだ後、街に出稼ぎに出て行ったねーちゃんも結局帰らずじまい。
それでもおとーちゃんがいたころはまだマシだった。
おとーちゃんはある時、ふらっといなくなってそれっきり帰ってこなかったの。
その頃、不作と災害が続いてて村の備蓄も尽き果ててた。
姉弟に食べれるものを多めに譲ってたアイラはいつもおなかをすかせてた。
農作業の合間をみては軒並み食えるものがなくなってた冬の森で、まだ齧れそうな木の皮を探してたの。
飢えた鹿とかが食べれるならアイラにも食べれるかなと思ったの、木の皮。
そんなある日の事、食べ物探しに夢中になってたアイラは村の外れの墓地に間違って足を踏み入れちゃったんだ。
そこは日頃からみんなに行っちゃダメだと言われていた場所。
薄暗い森の端に盛り上がった土の塊がいっぱい。
雪がちらちらと舞い降る墓場。
そこにいた女の子、フィーリアは木のスコップを持って佇んでいた。
透き通るような白い肌のその娘は赤い目をアイラに向けてきたの。
「……だ、誰……」
「えっと、アイラは怪しいものじゃないよ」
ちょ、ちょっとまった!
なんで俺っ、アイラトの昔話でもアイラになってるの?
「さぁ、なんでだろうね。さーて、メインデッシュのお時間だよ」
『大体あんたのせいでしょうが』
現実に戻ったアイラの目の前には雄たけびを上げるでっかいゴブリン。
「ぐがああぁああ!」
棍棒をやたらめったら振り回してくるんだけど、お姉ちゃんが操るアイラの体には触れそうにもない。
右へ左へとひらひらよけながらお姉ちゃんはゴブリンの表面に細かく傷をつけてく。
それが痛いらしくてゴブリンは更に泣き叫ぶ。
そんなゴブリンの腕をつかんだお姉ちゃん、今度は腕を支点にグルンと回った。
その後すぐにゴブリンの背中を蹴って間をあける。
振り返るとゴブリンの左腕がすっぱりと切り落とされてた。
いつの間にかジャックにゴブリンの左腕が突き刺さってる。
お姉ちゃんはその左腕を無造作にぽいっと放り捨てたの。
「ゴブ足一丁下ごしらえ上がりっ!」
『豚足みたいに言っても食べないからね』
アイラの視線の先でゴブリンが号泣してた。
そのまま残った腕を振り上げて突進する感じがしたの。
「アイラ、幽子、仕上げいくよ」
『はいはい、もう勝手にしなさいよ』
う、うん。
よく分かんないけどすっごくやな予感しかしないよ、お姉ちゃん。
「右手にゲイリー、左手にジャック。アイラの調理は素材を選ばず。割り箸メンマができるなら、木の皮だってデコレーション」
『それ、都市伝説。メンマの素材は
アイラ、好きで木の皮食べてたんじゃないんだけど。
どしんどしんと足音を立てて号泣しながら突っ込んでくるゴブリン。
それに対して低い姿勢をとって一瞬の間に反対まで走り抜けたお姉ちゃん。
後ろでは重い音ととともに巨体が崩れ落ちた音がしたの。
「シス・ロマーニ流調理法、ゴブリンダルマ落とし、みーんなおいしく召し上がれっ!」
『食わないっていってるでしょうがっ! この馬鹿優!』
振り返ったお姉ちゃんの視界に映ったのは両手両足を切り落とされたゴブリン。
その周囲に両足、前に腕が地面につき立てたてられているという、その、言葉に困る光景だったの。
「どうよ、私の調理センス」
『マイナス一億点』
お姉ちゃん、命をもて遊ぶのはアイラもどうかと思う。
「そう? じゃぁこの死にゆくゴブを最終的にどう調理するかはアイラに任せるわ」
え、調理も何も殺戮してるだけなんじゃ。
「もう一度聞く。アイラ、ゴブリンをどうしたい」
村の若い娘や家畜が不意に姿を消すということが起こり始めたの。
そうこうしているうちにアイラの妹も一人いなくなった。
村の人は埋葬人がサボっているから祟りが出たんだといってフィーに暴行をするようになった。
毎日あってたアイラはフィーがさぼってるとかありえないって大人達に言ったけど、パニック起こしてた大人たちにフィーと一緒にぼこぼこにされた。
今思うと村の人たちも色々怖かったんだと思う。
でも、アイラとフィーには目に見えない祟りより村の人たちの方が化け物に見えた。
アイラたちへの暴行はどんどんエスカレートしていって、ああ、もう駄目だと思ったその時、村の人が次々と吹っ飛んでいったの。
そこにいたのは大きな大きなゴブリン。
「うぎが、ごごごげげごがぐがぁ!」
ゴブリンにどんどん殺されていく村の人達。
アイラとフィーは震えて見ているしかできなかった。
「あぎがぁ」
アイラたち以外に動ける人がいなくなった夕暮れの墓場。
ゴブリンがゆっくりとアイラたちの方に手を伸ばし、フィーを鷲掴みにした。
「フィーを、フィーを離してっ!」
しがみつくアイラを突き飛ばした瞬間のそいつの目をアイラは今でも忘れない。
怒り、悲しみ、戸惑い、後悔、一瞬だけ変わった瞳の色。
その茶色に近い黒っぽい大きな瞳は……とーちゃんのものだった。
「うがぁあっ!」
ソレはフィーを放り出して頭を抱えた。
その時だった。
「アイスバインドッ!」
涼やかな声、流れるよな美しいシルバーブロンドをたなびかせたシャルお姉ちゃんの掛け声とともにソレの全身が凍った。
「今の私ではあなたを救うことはできません。許してください」
……なんで思い出の中の王様までシャルお姉ちゃんになってるのかな。
「ま、まってっ、その人はアイラの」
「ソリッドブレイク!」
飛び散る血肉と氷。
それがアイラのおとーちゃんの最期だった。
「本来、何かが何かを殺すときの理由は必ず必要ってわけではないのよ。害獣駆除、食料にできる、殺して楽しい、腹が立った、妬ましい、自身の利になる、自身の繁殖の邪魔、文化、惰性、そしてただの排除」
ゴブリンの生け作りの前でアイラの体を使ったままのお姉ちゃん。
「基本的に同種殺しはリスクが大きいから近代まで行くとほぼ行われなくなるけど、それだって戦争があれば死者はただの数の羅列となる」
いつの間にか穴から出てきていたシャルお姉ちゃんとフィー。
フィーの背中には魂の抜けたお姉ちゃんの体がおんぶされてる。
「片性しか発生しない生物ってのは変性できるんじゃなければ本質的に詰んでるのよ。寄生種としても自滅している、だって寄生対象の種が滅んだら自身の子孫も残せないわけだからね」
『致死性のウィルスとか?』
「そっ。しかるに、幻想が実体化するこの世界で、雄だけが存在し略奪を主行動とするくせに繁殖に人種を活用しなければいけないゴブリンはいったい何なのか」
静かにアイラの声が響く。
「性欲の暴走、略奪の目的化。『だって仕方がない』『仕方ないのだから何をやってもいい』という他者に理解されない利己主義が実体となって体を蝕み肉欲の権化となり果てたもの。それがこの世界におけるゴブリンではないかと私は考える」
「お姉様、私の元の国では体内の機構が狂った結果という調査結果が出ています」
「物理ではそうだろうね。でも動機はまた別、アイラ」
え、急になに。
「おとーちゃんはおかーちゃんが死んでからおかしくなった」
まって、なんで今アイラの口調を真似するの。
「おかーちゃんにすごくよく似てたおねーちゃんのこといっぱい見てた」
ちがう、ちがうから。
「おねーちゃんは出稼ぎに出たって言ってたけど言ってたのはおとーちゃん。出かけたのをだーれもみていない」
やめて、やめてよ、おねーちゃん!
「だっておねーちゃんは食われたんだもの、ゴブリンになったおとーちゃんに」
やめてよっ!!
『優、その辺でやめてあげなよ。アイラ、泣いてる』
気が付くと目から涙が溢れていた。
アイラ、知ってたよ。
知ってたけど信じたくなかった!
「でもさぁ、アイラト」
アイラの体がビクンと震えた。
アイラの声で紡がれた優おねーちゃんのその言葉、そのイントネーションは
「ねーちゃん馬鹿だからよく分かんないけどさ、とーちゃんもつらかったんじゃないかな」
なんでそういうことするの、優お姉ちゃん。
「もちろんあたしはあの糞親父を死んでも許さない」
うん、そんな風に言いそうだから困る。
「だからさ、アイラト。あんたの恨みもねーちゃんが食べてあげるよ。あんたには食わせてやんない」
ねーちゃん……死んでも食いしん坊なんだね。
「あんたはこの子をどうしたい?」
元の体に戻った優お姉ちゃんの指先が淡く光り輝く。
「北辰の流れは絶えずして、地へと還れぬ物は無し」
もうとっくに白目剥いてるよね、このゴブリン。
「南天の輝きは帰せずして、天へと還れぬ者は無し」
お姉ちゃんが呪文を唱えるにしたがって洞窟全体と粉々にされた雑魚のゴブリン達も光り輝いていく。
「我が前のもの、今まさに還り逝くものなり」
お姉ちゃんの前に描かれていくお星さまがすっごく綺麗。
そんなことを考えていると手をきゅっと握られた。
「……よかったんですか、アイラ」
すぐ傍から聞こえたフィーの声。
「うん、だって」
「このモノすでに渇くことなし、乾くことなし」
ゴブリンたちが金色の光となって消えていく、奥の部屋で幽子お姉ちゃんが見たっていう白骨とかももしかしたら消えたりするのかな。
「我が崇める妹の神、シスに願い奉る。光さす庭に場所無き者に転輪を」
お姉ちゃんの祈りが響く中、アイラはフィーの手を握り返して呟いた。
「アイラはもうおなか一杯」
「……そうですか」
お姉ちゃんの魔法陣が完成する。
「妹になれっ!!」
その日、アイラにまた妹ができた。
緑の肌をした黒髪のかわいい女の子。
その子の目は茶色に近い黒っぽい大きな瞳。
だからとまどっているその子に手を伸ばして思いっきりの笑顔でアイラは言ったんだ。
「よろしくね。アイラ、あなたのおねーちゃんだよ」
「た、たべないで」
「悪いことしないなら食べないよ」
あ、余計怯えちゃった。
笑わないでよ、フィー。
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