第46話 老人の見る夢

 異世界の女は表情を変えずに首を横に振る。


「残念ながら、あなたが想像するような遠大な事では無いの。あたしの目的はひどく分かりやすく単純なもの」

「それは儂にも、人間にも理解出来るものなのか?」


「理解は出来るわ……あたしは女なの。人間とは違うけど、その系列は同様なもの」


 全ては偶然では無かった。ケルブファーストは、意思を持ってこの世界に現れた。

 そして儂の計画だと思った<世界を覆う者>を創り出す事も全て見通していた。


「……そうか、おまえはこの世界に子を残しにきたんだな!」

 女は儂の驚きを見て、嬉しそうに話す。

「すごい当たりよ。でも残念そうね。全部あなたの思った通りと思っていた? 子を産み育てる事が女である、あたしのなすべき事。おかげでそれは叶えられたわ」


 この女を覚醒させるために、数百人の犠牲と莫大な費用と時間をかけた。

 そして血のプールで育て、眼鏡の男の遺伝子で完成さえた<世界を覆う者>。


 それはケルブ、この女がこの世界に残す子。

 スッと近づいた女は、儂の身体を抱きしめた。

 ビクッと反応した儂の耳元で女が囁く。


「いいわ。願い通りにやり直しなさい……もう一度、人生を」


 女の言葉で部屋中の光が集まってくる。

 血の匂い鉄の味……それに混じって良い香りが漂い始める。

 女の腕の中で儂は、急に強い眠気に晒された。

 意識が薄くなる中で、七色に光る光のビジョンを見る。


「ここは……この光は……あたたかい……」

 部屋中の光が女の手に集まり、輝く糸を紡ぎ出し、儂の使い古された身体を包み始める。


 光の糸は何重にも重なり、ついに儂の全身をカイコの繭のように包む。

 光の繭で儂は夢を見た。幼い子供だった自分の姿……あどけない顔で母親を見ている。


(……こんな事で、儂の願いが叶うとは……ただ相手を……抱きしめるだけ……こんなの……儂らしくない……こうゆうの……でも……悪くない……)


 女が紡いだ光の繭は、徐々に霧のように分解していく。

 サラサラとサラサラと、老人の身体と一緒に消えていく。


「さあ、これが最後にあたしが子に与える、この世界で一番醜悪で純粋なもの」


 老人の生きてきた証、そして生まれたばかりの汚れないもの。

 足下に近づく、世界を覆う者に女は儂の糸を与えた。

 この世界の汚れと清さを吸収して、最後の変化を見せる世界を覆う者。

 そして儂の意識が、世界を覆う者と融合する。


「ほんとうに……あなたらしくないわね……そして、あなたは我慢できるの? 殺戮の衝動を」



 音速を超える速度で飛ぶ、戦闘機のパイロットの眼下に世界を覆う者が写る。

 儂の身体は二十メールを越え、その姿はグロテスクであり女と真の同じ赤い目をしている。

 忌まわしい儂の姿に、パイロットは一目で恐怖を感じ、冷静さを失いそうになる。


 照準をロックオンし、十二機の戦闘機が旋回を行い攻撃態勢に次々と入り、軌道上からホーミングミサイルが発射された。


 着弾……閃光と衝撃音が周りに広がる。


 攻撃は十分間続いた。濛々と巻き起こる硝煙と土埃、それが静まった時、世界を覆う者である儂は何事もなく存在していた。

 最新の戦闘機、ミサイル、人間の武力ではダメージを与えられない。


 一時間の攻撃により、地上には沢山のクレーターが空き、その攻撃力の凄さを示すが、土埃が消えた後に、儂は悠然と立っていた。


「この世界で最高の力を得た。もう恐怖するものはない」


 儂が呟いたその時、儂を攻撃する兵士は美しい旋律を聴いた。

 それは、頭の中に直接響く、今まで聞いたこと無い程、美しく心地良い旋律。

 地上に立つ紅い目の女、ケルブが両手を広げて、何かを歌っていた。


「これは歌?」

 ケルブの頭に直接送り込まれる歌が、その場の全員を同時に魅了した。

 世界を覆う者の儂にも聞こえた、そして人間と同じく魅了される、それはまるで子守歌。


「なんて美しい声なんだ。そして心が落ち着く……うん? なんだ……え」


 ケルブの歌に聴き惚れていた兵士達が、自分の耳に生ぬるい感触を感じた。

 ドロッとしたそれに触れて自分の指をかざして見る。

「血?」


 戦闘に参加していた全員の鼓膜が破れていた。

 耳から流れるどす黒い血。

 耳を押える兵士達。


 バシュ、次の瞬間、全員の脳が破裂した。

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