第33話 絶望と可能性

車は首都高を抜け環状線へ入る。目的地は関東の地方の街。

少女、に聞いた場所、レンタカーを借りた僕はそこを目指していた。


「就職に有利だと親に言われ、専門学校の時に嫌々取った、運転免許が初めて役に立ったなあ」

 僕がそう呟く頃には、初めて見る名のインターチェンジにさしかかった。

 小さな料金所を出ると、うすく雪が降っていた。

 雪明りと月の明かりで、深夜でもかなり明るい。

 だんだんと狭くなる道幅。

 川の側を走る車は、整地されていない道路から、時々大きな振動を受けた。


 遠くに見えてきた木製の古い橋、僕がゲームで見たビジョン。

 この場所は、スマホに記憶されていた少女の物語の終わった時に、地図ソフトにマーキングされていた。まるで此処に来るように仕込まれたみたいに。


 雪は益々振り続け、辺りは真っ白な風景に変わった。



 ゲームで見た橋の袂に車を止めて車を降り、橋の向こう側の洋館を目指し古い木の橋を渡る。

 洋館の玄関でベルを押すと、白衣の眼鏡を掛けた男が対応に出た。

 年齢は三十歳過ぎくらい、前にビジョンで見た男は、いきなり訪れた僕を洋館に入れてくれた。眼鏡の男は、ここは研究所だと言った。窓のない小さな部屋には机と二脚の椅子。


 僕を座らせてから、内線電話で飲み物を頼む眼鏡の男。そして片方の椅子に座った。


 机を隔てて、対面で座る僕と眼鏡の男。

「さて、何から話せばいいのかな?」

 机の上に両肘を置き、男は話しかけてきた。

「……ここはなんの研究をしているのですか?」

 男は温かいコーヒーを僕に勧めた。

「なぜ、そんな事を聞くのかな?」


「初めて見た時に、ゾンビになるウィルスを造っている研究所に似ていると思って……あ、すいません、おかしな事言いました」

「いや気にしなくていい。この洋館は外見が古いしね」

「たしかに、外と違って中は綺麗で明るいですね」

「そうだね、ここは最新の研究施設でね。最高のハードとソフトが揃っている」

にこやかな表情で頷いた、眼鏡の男は僕に質問してきた。

「さっき、初めて見た時って、言っていたけど。ここは今日が初めてじゃないのかな?」


「あ、すみません、ゲームの中……いえ、夢で見たんです」

「夢? なるほどね。やっと見つけたのか」

「見つけた?」

「フフ、そうだよ。やっと見つけたんだ……フフ」


 しばらく笑ってから、静かに眼鏡の男は話を始めた。

「この研究所は人間の若さを保つ実験をしていて、私は所長を務めているんだ」

「……そうなんですか」

「おや? 残念そうだね。やっぱりゾンビになるウィルスの研究が良かったかな?」

慌てて手を振った。

「さっきは失言でした……人間の若さを保つって、健康食品みたいな物ですか?」


「フフ、そんな感じかな。確かに食品と言えるかもしれないね」

「食べ物で、若さが保てるものです?」

「まあね。君のように若い人には、あまり興味無いかもしれないが、歳をとると皆、老いが進まない事を願うものなんだよ……自分だけでもね」

「……そうですか」


「ところで君がここに来た、本当の理由を、そろそろ教えてくれないかね?」

 いきなりの所長の核心をつく言葉に、心を見透かされたようで動揺する。

「は、はい!」

 思わずコーヒーを、こぼしそうになった。

「ここに来たのは、少女に逢う為です」


(目の前の男が少女が話していた眼鏡の男なら、全部話すのは危険かもしれない)


 迷っている僕に所長が話しかけてきた。

「どうしたんだね。話を続・け・な・さ・い」

 男の言葉には、変なイントネーションが含まれていた。

 そして男の命令に応じるように、僕はこれまで起こった事を話し始める。


 血の匂いと鉄の味がする夢を見る事……

 ネットゲームの中で、ケルブと名乗る赤い瞳の少女に会った事。

 この洋館をビジョンで見た事。


「ここに来たのは、この研究所は彼女と強い関係があると思ったからです。教えてください、少女は……とはなんなのですか?」


(なんで、こんな事までこの男に話すんだ……どう考えても危険だろう!?)


 僕の話を静かに聞いていた所長が口を開いた。

「ふむ。そんな奇妙な話を、いきなり信じろと言うのかい?」

「無理ですよね……僕にも夢か現実か判断つかないくらいですから。でも僕はこの洋館のビジョンを確かに見たんです。そして少女はここに居るはず」


(……なぜ僕は見知らぬ男に簡単に話をしてしまう!?)


「フフ、ハハハ」

 いきなり笑い出した所長。

「君の話……信じるよ。それと不思議だろう? なんで君が思っている事を、目の前の怪しい男にペラペラと喋ってしまうのか。あの娘に聞かなかったか? スプラリミナル知覚。ゲームの中で君に暗示をかけたとね。君は逆らう事は出来ない。まあ、私はあの娘と違い、普通の人間だから強い暗示、例えば君を自殺させたり、動けないように身体を縛る事は出来ない。こうして君に正直に話してもらうくらいが、せいぜいだけどね。でも……そろそろ、効いてきていい時間だ」


「え? なにがです!?……あれ?」

 僕は自分の身体が、うまく動かない事に気づく。

「ようやく、可能性が有りそうな男を連れてきたな。外れも多かったが」


 立ち上がる所長、僕の身体は痺れて意識が遠くなる……ガチャン

 僕の手からコーヒーカップが落ちた。



 不意に、僕の意識が戻る。身体の痺れは消えていない指先さえ動かせない。

(コーヒーに何か入れられた……そして……頭が痛い)

朦朧とする意識と心。血の匂いと鉄の味。記憶が混濁してここが何処なのかも解らない。

(……なにがあった?)

 若い白衣の男が、意識が戻った僕に気づいた。


「所長。起きたみたいです」

 眼鏡の男が僕を振り向いた。

「おやおや、起きちゃったのか。意識がない方が苦しまなくてよかったのに」

 その言葉とは裏腹に、所長が嬉しそうに近づいてくる。

 その姿に僕は全てを思い出す。


 少女を助けるために洋館を訪ねた。そして男が入れたコーヒーを飲んで意識を失った。


(やはりこの男が、少女の悲しみなのか?)


 気を失う前の優しそうで、分別がある学者の雰囲気は今はもう無い。

 知的な部分は変わっていないが、僕を見る目は実験用のモルモットでも見るようだ。反射的に逃げようとするが身体が動かない。


 口にも何か咬まされていて、声さえうまく出せない。

 僕の身体は完璧に拘束されていた。

 僕の必死の足掻きを、無感動に見ていた所長が首を振る。


「君、逃げようとしても無理だよ。その拘束服からはたとえケルブでも、逃げる事は無理だ」


(ケルブを知っている? やはりこの研究所は彼女と関係があるのか)


「一度、捕まえた時、用意した拘束服を破られてしまった。身体を麻痺させるクスリも殆ど効かなかった。今君の着ているのはその改善版だ。そして君に飲ませた麻痺剤は十分の一に薄めてある。まだ人間の君に原液を与えるとショックで死ぬからね。それでも後遺症は残るかな?」


(捕まえた? まだ人間の君って……)


 所長は、注射を一本取り出す。

「さて、せっかく意識が戻った君には楽しい時間を与えよう。このクスリは非常に特別なものでね、素晴らしい効果があるんだ。ただしかなりの痛みが伴う。きみの想像を十倍くらい越えるかな?与えた者からは途中で、殺してくれって、良く頼まれるよ。うん?ああ、心配しなくていいよ。本当に死にはしないから。だからね、今まで味わった事のない、恐怖と痛み存分に楽しんでくれたらいい」


 そう言うと所長は、僕の腕に注射針を突き刺した。

 赤色の液体が、僕の腕に注入されていく。


(さっきケルブを捕まえたと言った……彼女は二次元の世界の……もしかしてリアルで存在するのか?彼女は生きている?)


 所長の言葉を考えていた僕の身体が、左右から強く引っ張られた感じがした。

 次の瞬間、身体が反り返り、息が出来ないくらいの激痛が全身を走る。

 高まる激痛に、大量の汗を出して意識が不安定になっていく。

 意識は飛んで、それを取り戻す、僕は苦しみから逃れる為の気絶と、痛みによる覚醒を繰り返していた。拘束具により、痛みの動作も苦痛の声も封じられ、ただ震えるしかない。


 そんな僕の様子を満足そうに、所長は笑みを浮かべて見ていた。

 そして僕は完全に意識を無くした……

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