第4話 大人の常識
「誕生日……おめでとう!」
僕はそのメッセージを、ベッドの上で寝たままで手に取る。
六畳のワンルーム、自分の部屋で、浅く眠りに入っていた僕を起こした少女。
右手に収まったスマホのアプリが繰り返す、僕への誕生日のメッセージ。
「アプリからのおめでとうか……でも去年よりはましかも」
昨日、買ったばかりのスマホ、最近ダウンロードした無料アプリ。
それは少女との会話を楽しむソフト。小さなディスプレイから僕に笑いかける。
少女の姿は、紅い瞳と蒼いツインテール。
まるで恋人のように振る舞う、2D上で表される僕だけの彼女。
スマホに登録した僕のプロフィールから、言葉と仕草をアプリが選んでいる。
IF(もし)今日が誕生日なら、おめでとうを言う。そんなコマンドが沢山書かれている。
全てはプログラムされた通りで例外は無い。
スマホの時計の時間が早ければ「おはよう」遅ければ「こんばんは」
今日がプロフィールに登録された、僕の誕生日であれば「おめでとう」
僕の誕生日を割り出している、きめ細かいIFがこのアプリには沢山入っているようだ。「なかなか良く出来ている」
僕はスマホの画面に映る少女を見る。でも所詮アプリ、スマホのプログラムが、決められた動き方をしているだけの事。それを思うと空しくもなる。
それでも去年まで、僕が誰からも言われなかった「おめでとう」の言葉。
たとえ相手がスマホのアプリでも嬉しい。
僕はスマホの画面に出た選択のボタン。
“ありがとう”を僕はタッチした。
画面の中の彼女は頷いて、笑みを浮かべた。
「今度何処か連れていってね!」
画面の中で僕にお願いする少女の言葉に、少し浮かれていた僕は現実に戻される。
「こんな僕が何処へ行けるんだよ……」
お金もないし、女の子が喜びそうな場所なんか知るわけもない。
再び画面に表示されたボタン。選択肢は無く、僕には一つの答えだけ。
”連れて行くよ”
選ぶことなど出来ない、選択肢なんてない、一択の答え。
いつもそうだ。リアルでも僕の意思に選択などない。
僕に何かを変える力など、有るわけもない。ただ誰かの意見に流され従うだけ。
自信を持って何かを決める勇気も無い。
そして周りの人たちも、僕にそんな事を望んでいない。
何も持たない、何も望まない。それが僕の生き方。
「はい、はい、わかりましたよ」
アプリにまで僕に「あなたはこれを」と迫られる。
僕の性格と生き方を分かっていると言えるが、たんなるアプリの仕様だろう。
アプリの紅い瞳の少女に、誕生日に「ありがとう」と選択させられ、次は「デートの約束する」をタッチさせられる。
声も画像も、優しく伝えてはいるが、結局は僕への強制。
僕に問答無用で指示を出す、リアルで存在する人達。
両親とか兄とか、バイト先の店長とか、僕に対して人間らしい行動。
「恋愛アプリの人間らしさを、こんな事で感じるなんて、僕だけかもしれない」
一人で苦笑した僕が“分かった”のボタンをタッチした。
少女は紅い瞳を大きく開き僕を見つめる。
「約束だよ」
スマホをベッドの上に放り投げて、僕は深いため息をつく。
「まさに夢だな。女の子と二人で何処かへ行くなんて」
寝不足から、頭の芯がしっかりしない。頭痛も続いている。
それは毎日、朝方までプレイするゲームのせい……もある……でも……
最近僕は夢を見る……ある夢を見る……でも内容は覚えていない。
覚えているのは、苦い鉄のような後味と真赤なビジョンだけ。
そして起きた時に襲われる、激しい頭痛と喉の渇き。
この感じだと昨日もどうやら、その夢を見たらしい。
今日はバイトは休みだ。僕の一番の楽しみ、MMORPGの世界が待っている。
少し遅れてついた、バイト先のコンビニ。最近ゲームが面白くて寝不足気味。
制服に着替えた僕を待っていたのは、いつもの不機嫌そうな店長の顔。
「ちょっと、来てくれ」
店の倉庫に呼び出された僕。要領が悪く毎日注意されるのが日課になっている。
店長が毎日言う「ダメ」な僕だが、それは僕の責任以外の事も含まれていたりする。
「欠品が出ている。あれほど商品は不足しないように、確認しろと言っておいたはず」
僕は下を向いて、小さい声で呟く。
「それは……僕のせいでは」
「何だ? 何を言っているか聞こえないぞ。話す時は声は大きくと言っているだろう」
どうせ大きな声を出したとしても、僕に選択などない。怒られる時間が長くなるだけ。
「それと、いつも言っているだろう? お客様には愛想良くしてくれないとな。挨拶が無いんだよ君はいつも」
店長に言われたとおり、声を少し大きくして答えてみる。
「挨拶は一応……してますし……それに仕入れが切れたのは……僕のせいじゃ……棚卸しは店長の担当……」
今度は切れ切れにだが、ちゃんと聞こえた僕の言葉に、店長は顔を真っ赤にして語尾を荒げる。
「なに ?仕入れを忘れた私が悪いと言いたいのか?」
大きな声にビクッ、と身体が反応。そして僕の声はいつもの音量に戻った。
「……いえ、その、そういうわけでは……」
首を振った店長は、両手を組んでまた「声が聞こえない」と言った。
「棚の商品が無くなっていたら、気がついて報告するもんだろう?」
ここでも、選択肢は僕には無かった。やはり僕に意見など求められてはいない。
全ては僕のせいで、優秀な店長がミスを起こすわけなどない。
「……す、すみません」
一択の僕の答え、それでも収まりがつかない店長は「まったく」を繰り返す。
そしていつもの締めの言葉を呟く。
「まったく、今の若い子は全てに無関心で、責任感もなく常識もない」
〈常識〉大人だと自分を思っている人間が直ぐに持ち出す言葉。
それがリアルの世界の根幹となっているらしい。
僕のような人間に絶対的に欠けているものらしい。
でも僕には大人の都合のいい世界の根幹なんて、興味は無いし理解もしたくなかった。
そして僕が実際に生きている大事な筈のリアルの世界に、興味があるものなんてなかった。
・
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家に帰ってまずはシャワーを浴びる。
浴槽のドアを閉めた時、聞いたことのない音がした。
僕は、霊的な事はあまり信じていない。
もし、そんなものがいたとしても、肉体を持たない幻に何が出来る?
現代の世の中には。恐ろしいものが物理的に存在しすぎる。
前にテレビで見た拡張現実の番組を想い出す。将来ARは、現実と見分けがつかない、オブジェクトを合成して表示するという。
例えば亡くなった人やペットなど生物。
「ARで造られた生物のオブジェクト。まるで幽霊だな、拡張現実を終わらせたら、世界は僕一人だったとか……」
また音がした、聞き慣れない音だった。
今度は音の方向が分った。
隣の部屋、ベッドがある方。音がした方向へ進む。
当然の事だがそこには何も無い。枕元に置かれた紅いスマートフォン以外は……
新しいメールが着信した音だった、送信者は大バイトの女の子だった。
バイトの同僚の子で僕が、今一番気になる女の子だった。
バイトの連絡用にメールアドレスは教えていたし、数回はメールのやりとりしている。その内容は、メル友にも及ばない、簡素で儀礼的なものだったが。
”今度の土、日空いていますか。相談があります。時間があったら聞いてもらえませんか?”
今週の土日……メールの返信を行う。
”土曜日は空いているよ なにか問題でも? いつでも相談にのるよ”
好意の言葉を書き込む自分に首を振り、土曜日に時間は時間が取れない事だけを返信した。
ベッドに腰掛けて気持ち押える、枕元のスマホが光っていた。
スマートフォンの画面に、室内が写っている。見慣れた自分の部屋なのに、カメラを通すと何か、現実味が無い造られた画像になっていた。
「いつのまに……興奮して自分で起動したのか? 我ながら、彼女に何を期待している?」
カメラを傾けて、部屋の中を覗いてみる。部屋の様子以外何も写らない。
薄暗い部屋は露出不足で、ザラリとした荒れた粒子の絵が写る。
「うん?」
隣の部屋の方向に小さな点が写った。
カメラを色々な角度に変えてみるが、その点に変化はない。
立ち上がりその点の見つめながら、隣の部屋に移動すると、白い点は玄関の方に移動した。
「なんなんだ? この点は」
玄関の方へ進むと、白い点は少し大きくなった。
拡張現実のAPには、コンビニや観光名所などの場所を表示・誘導する、ガイダンスAPがある。この白い点は、何かの在処を示しているだろうか。
移動して大きくなったということは……玄関の先に、なにかあるということか?
短い玄関までの廊下を歩いて行くと、白い点はまた少し大きくなった。
やはり、何かのシンボルのガイダンス機能。何に誘導しようとしているのか。
玄関のドアの前に立ち鍵を開けて、ドアノブに手をかける。
障害物があっても拡張現実は、誘導するシンボルを、リアルの画像の上に重ねて表示する。さっきより大きくなった、白い点が玄関のドアに写る、いつもより大きな音で玄関のドアが開く。
再び、スマートフォンをのぞき込む僕。何も写ってはいない、白い点が消えていた。開いた玄関から、カメラを外に向けてみる。方向も変えてみるが、やはり白い点は写らなかった。
「ふう、なんだよ、うう、さむい」
急に吹き始めた夜風が冷たい。ドアを閉めて、急いで自分の部屋に戻ろうとした時、カメラに白い影が映った。もう一度見直すと、何かが廊下で舞っている。
それは赤いの羽根だった。羽根の数は増えていき、木枯らしのように舞い始める。
その中に赤い少女影が写った。
拡張空間の中で赤い羽根は舞い続け、少女の影と共に消えた。首をかしげながら、ダイニングに戻り、机の上にスマートフォンを置こうとした。
その時気がついた、スマートフォンの上に、一枚の赤い羽根が張り付いている事を。
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