演劇と現実と最後
犬丸寛太
第1話演劇と現実と最後
高校最後の夏、受験を控える私は教室の中で声を張り上げて訴えた。
「おおロミオ、貴方はどうしてロミオなの!」
戸惑いと苦悩に満ちた私の言葉は鎮まりかえった教室内に響き渡り、やがて作品のラストのように無常な静寂だけが残った。
「やっぱり先輩はすごいです!俺、感動してます!」
「大げさだよ。君は。それに君の方が上手いよ。」
重い空気を破って話しかけてきた彼は同じ演劇部の後輩君。
「いやいや、俺なんか先輩に比べたら三文役者もいいとこですよ。でも先輩の最後の舞台。大成功させるために精一杯頑張ります!」
西日の差す教室の中でキラキラと舞う塵のような、そんな雰囲気を私はいつも彼から感じていた。
「はい。じゃあ今日はここまで。片付けして解散。」
部員の皆はてきぱきと片づけを済ませ家路につく。私もやることがあるので足早に学校を出た。
校門を出たところで声をかけられた。
「先輩!ちょっと待ってください!」
振り向くとくだんの後輩君だ。
「先輩、あ、足早いですね・・・。」
「どうしたの。何かあった?」
彼は少しもじもじしながら上目がちに私を見つめる。
茜色の空の下で彼の少しひねた栗色の髪と瞳が一層輝いて見えたような気がした。
「あの、い、一緒に帰りませんか!」
「ごめん、今日塾なんだ。今年受験だし、それに私ちょっと志望校厳しくてね。」
「そうですか・・。」
しょんぼり下を向く彼を私はなんだか大型犬みたいだなと思った。
「ごめんね。それじゃあ。」
「はい!また明日!」
ころころと表情を変える彼はやっぱり大型犬みたいだ。
私は一人歩きだす。実は塾というのは嘘だ。断ったのも別に彼が嫌いなわけじゃない。
私は自分の家にも塾にも向かわず町の少し高いところにある公園へ向かった。
夏といえどすっかり日も落ちて、もう誰もいない。そんな公園の奥。町を見下ろす広場へ私は向かった。
私は近頃よくここに来るようになった。
はじめは自分の夢を両親に否定されて嫌になってここに逃げてきていた。自分の夢と両親の思いと。板挟みにされただただ苦しかった。
でも最近はもうどうでも良くなっていた。
両親の思いも、役者になる自分の夢も、自分も。
空っぽになった私は考えることをやめてここでぼーっとしているだけだ。
この後は家に帰って、明日が来て、一年が終わって、途方もない未来の事を考えるとおかしくなってしまいそうだ。
私は決意していた。最後の公演が終わったらもう。
指折り数え続け、いよいよ明日だ。せめて最後の舞台だけは成功させたい。
私はいつもより早めにきりあげその場を後にした。
夜が明けて当日の朝、天気はあいにくの曇り空だったが、そんな事気にしてはいられない。公演は授業が終わってすぐだ。私は自主練をするために足早に学校へ向かった。
途中、偶然後輩君と出会った。彼は緊張して早く起きてしまったからと言っていた。
「早起きは三文の徳ですね、三文役者だけに!」
なぜだか彼はご機嫌だった。
犬の散歩とかはこんな気持ちなんだろうか。
やがて学校に着き、私は自主練のため部室へと向かおうとした。
「先輩自主練ですか?折角だしご一緒してもいいですか?」
断る理由も無かったのでそのまま二人で部室へと向かった。
道すがら彼は私に秘密を打ち明けてくれた。
部員勧誘のため新入生に向けて公演を行ったことがあった。
その時彼は、私に憧れて演劇部に入ったのだと。だから今日の公演は絶対に悔いの無いものにしたいと。
私も同じ気持ちだった。私にとって本当に最後の公演。
あっという間に一日は過ぎ、いよいよ舞台開始直前。私は部長とし部員に檄を飛ばす。
公演開始のベルが鳴る。
公演は順調に進み、物語の中盤有名なシーンに差し掛かる。
「おお、ロミオ、貴方はどうしてロミオなの!どうか、どうか忌まわしいその名前をお捨てになって!」
ロミオは何かを考えるように黙りこくる。
私は続けた。
「私にとって名前も形さえも大きなことではないわ!どうかその名を捨て私に愛を誓ってくださいまし!」
ロミオは決意したように顔をあげジュリエットを見つめる。
「わかりました。あなたの言う通り私は私の何もかもを捨て、あなたに愛を誓います。」
何故だかロミオの言葉は私の心に痛みを残した。私は何もかもを捨てた時どうなってしまうのだろう。
物語は進みいよいよラストシーン。
お互いの何もかもを捨て愛を求めた二人は結局報われぬまま暗い納骨堂で死んでしまう。
幕が下りる間、このお話は私の最後にしては豪華すぎるなぁと思った。ジュリエットにはロミオがいたけど現実の私は空っぽの一人ぼっちだから。
喝采の拍手を後ろに部員たちは成功の余韻に浸りながら片付けを始める。
私は衣装を着替え、バレないように屋上へと向かった。
屋上へ急ぐ階段の途中、彼に声をかけられた。
「先輩、だめです。」
彼は私がこれから何をするかわかっているようだった。
「何もかもを捨ててもいいと言ったのは貴方でしょう。」
「それは俺じゃなくロミオです。それに、誓ったのは先輩じゃなくてジュリエットにです。」
舞台の上と同じ、けれども今度は彼が先に私に語り掛けてきた。
「先輩、ダメです。捨てちゃダメです!」
黙りこくる私に彼はもう一度言葉を投げかける。
「先輩、俺は先輩じゃなきゃダメなんです。何も手放さない、夢を諦めない先輩に俺は憧れたんです!」
踊り場の窓から差す西日がいつものように彼の栗色の髪と瞳を染める。少しだけ違うのは彼の眼差しはいつもより、ロミオのそれより力強かった。
なんだか私は力が抜けてその場に座りこんでしまった。
彼は躓きながら階段を駆け上り私の横に座る。
「舞台での演技より迫真だったよ。」
「演技じゃないです!」
少しからかってみる。
「それってさ、もしかして告白?」
彼は顔を赤くして、あたふたしている。さっきの眼差しはどこへ行ったのか。やっぱり犬みたいだ。
「片付けほっぽり出して来ちゃったし、もどろっか。」
「はい!」
シェイクスピアはなぜあんな結末にしたんだろう。生まれも天も地も私の中で一つになっているのに。
演劇と現実と最後 犬丸寛太 @kotaro3
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