第18話 devil hazard

 「そんな、一瞬で」


 ほんの数瞬前に目の前で起こった惨劇を私は未だ信じられずにいた。


 厨二病君とトノサマの力はほぼ互角かトノサマの方が一枚上手だった。しかも、さっきまで厨二病君は瀕死、トノサマがとどめを刺す寸前だったにもかかわらず、目の前に立つ厨二病君は無傷、顔の右半分に右腕と同じ黒い紋様が浮かび上がっていた。対して勝利寸前だったトノサマは右腕と首を切られ、為す術もなく死んだ。


 「ががががが」


そして厨二病君は闇落ちした。


 「さあて久しぶりの現世だ、すこし暴れて来るかな」


 「ちゅ、ちゅうにびょうくん」


 「あん」


 もしかしたらそういう設定で、それを忠実に演じてるだけなのかと思ったけど、私を見る厨二病君の目は演技とは思えないほど血走っていた。


 さっきまでの温度も何も感じない無機質な目もどうかと思ってたけど、こんなぎらついた目よりははるかにましだ。


 「あ、いや、その」


 急いでなんとか取り繕うとするけど、何もいい手だてが思いつかない。


 厨二病君に睨まれあたふたしていると、


 「てめえ」


 厨二病君の方からすたすたと私に向かって歩いてきた。


 ぎらつかせた瞳に私を映して。


 「え、ちょ、まって」


 課長とかお客さんにぎらついたいやらしい目で見られたことは今までたくさんあるけど、今私を映している目はメスを狙うオスじゃなく獲物を狙う肉食獣そのものだった。


 「っ」


 近づいてくる、自分よりも遥かに上の生物を前に私はただその場で震えることしかできなかった。


 あの無機質で何事にも無関心みたいだった厨二病君の目に今は目の前で覚えるしかできない哀れな子ウサギを爛々と映していた。


 私の目の前で止まった厨二病君は黒い紋様が浮かび上がった腕を伸ばした。


 ここで初めて知ったけど、厨二病君の腕に浮かび上がった紋様は手のひらの中にも浮かび上がっていた。


 パッと見腕に浮かび上がってる紋様と同じ幾何学模様のように見えたのだが、よくみると手のひらの中心になにか目玉のような紋様が浮かび上がっていた。


 その不気味な目玉に見えなくもない紋様が少しずつ近づいていき、私の目と目玉の紋様が触れそうになったそのとき、


 突然私たちを白い霧が包み込んだ。


 「何だこの煙は」


 あともう少しで私の顔を鷲掴みされるところで突然視界を真っ白にされた厨二病君は伸ばしていた手をすっと引っ込めた。


 「え、なにこれ」


 白い霧は私たちの視界を奪ってもなお勢いが衰えることなくもくもくと私たちを包み込んでいって、もう自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。


 下手に動くと、トノサマの切り飛ばされた頭みたいに五百メートル上空からヒモなしバンジーしてしまうので私はその場から一歩も動けなかった。


 そんな私とは対照的、厨二病君がいるであろう方からはどたばたと激しい足音が聞こえた。


 「ち、わずらわしい」


 視界は白一色で何も見えないけど、腕を振って霧をどかそうとしているのが微かに届く飛ばされた空気の塊でわかる。


 どうしよう、厨二病君の位置は大体わかるけど、下手に近づいたら……


 脳裏にトノサマの首を切った映像がフラッシュバックする。


 「っ」


 何もできずにその場で立ち尽くしていると、突然近くでしていた足音が消えた。


 「え、もしかして」


 足音が消えてすぐ、霧がものすごい勢いで晴れていった。


 気づくと二人しかいなかったはずの展望台にもう一人、さっきまで同じ部屋にいた眼鏡をかけた男が厨二病君の前に立っていた。


 「小門さん」


 さっきまで高そうなスーツを着てザ・公務員みたいにピシっとしていた小門さんだったけど今はスーツだけじゃなくてワックスで固めた髪もくしゃくしゃにして公務員というよりワイルドな猟犬みたいな風貌になっていた。


 「はあ、残業確定、しかし、なんとかこっちは解決できましたね。」


 こっち?


 小門さんは私のことなんか視界にないようで厨二病君の前でなにかぶつぶつ独り言を言っていた。


 逆に厨二病君はさっきまでの暴れっぷりがうそみたいに大人しくなって……え、


 「厨二病君」


厨二病君に近づこうと走り出した私を小門さんが腕を引いて止めた。


 「どこに行く気ですか。あなたにはまだ聞きたいことが……」


 「話してください、厨二病君が、厨二病君が」


 厨二病君の口からは白い息で出ていなかった。


 こんなに空気は冷たいのに。


 「無駄ですよ」


 「無駄って、何が」


 私は無理やり小門さんに掴まれた腕を振り払おうとした。しかし、常人をはるかに超える身体能力をもつパラディオの腕をただの一般人である私が振り解けるわけはなかった。


 それでも私は一心不乱に腕を振ってなんとか振りほどこうとする私に嫌気がさしたのか、小門さんは冷たく言い放った。


 「あなたが何かをしたところで、彼はもう助かりませんよ」


 「そんなのやってみなくちゃ」

 

 「わかりますよ。なぜなら、私が彼を肺まで凍らせたのですから」


 「え……」


 見上げた彼の目にある暗闇は底が見えないほどに深く、冷たかった。

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