第24話 レモン味って聞いてたんですけど
薄っすらと、目を開ける。
なんだか、頭がガンガンと痛む。だけど後頭部はなんか柔らかなものに包み込まれている感じがして、気持ちいい。
滲む視界の向こう側では、頭の上下が逆さまになった岬の姿があった。
「ああ……なんだ、夢か」
岬の姿を見て、俺はそのことを悟る。こんな場所に、岬が来るはずもないもんな。
それにしても、岬が出てきてくれるなんていい夢だ。おまけに、頭をさわさわと撫でられているような感覚があった。触覚まで再現されているなんて、大盤振る舞いにも程がある。
心地よい感覚に、俺は再び目を閉じる。
「なあ……岬」
と呟いたところで、言葉を続けるべきかどうかで一瞬迷ったが、どうせ夢だから構わないかと思った。
「……俺、お前のこと、ちゃんと大事にできるかがずっと分かんなかったんだ」
「……」
「大事にしたいし、悲しませたくないし、お前には笑っててほしいのにさ。いつかひどく傷つけて、苦しめてしまったらどうしようって……そんなことばかり、考えてた」
「……」
「うちの親父が、お袋にそうしたように……お前から優しさとか、温もりとか、そういうのを搾り尽くして、空っぽにしてしまうかもしれない。そんな風に思ったら、俺なんかが一緒にいていいなんて思えなかったんだ……」
「……」
夢の中の岬は、無言のまま俺の言葉に耳を傾けてくれる。
さわさわと、柔らかな手付きで俺の頭を撫でる感触は、温かくて、そして、少しくすぐったかった。
「でもさ……でも、気づいたんだよ。俺、色んな言い訳を口にして、お前から逃げてるだけなんだって」
「……」
「お前が、俺に向かって、近づかないでくださいって言った時……痛感しちまったんだ。本当は岬のこと、俺は手放したくない……手放せないんだって、ことに」
「……」
「だから……だから、岬。もし、お前が俺のこと許してくれるなら」
再び目を開いて、ボヤける視界の中にいる岬の顔を見つめる。
彼女は温かな目つきで、俺のことを見下ろしてくれていた。
「――また、俺、お前の側にいさせてもらってもいいかな?」
そう問いかけると、視界の中で岬の顔がだんだん大きくなってくる。
……ん? あれ、これ、顔が近づいて……?
そんな風に、そこでようやく疑問を覚えた、その直後。
――ちゅ。
と、唇に温かくて柔らかい感触が触れた。
「!?!?!?!?!?!?!?!?」
思わず、驚きに俺は目いっぱいに瞳を見開く。
その視界の中、今度ははっきりと――岬の顔が映っていた。
「あの……ちょっと、血の味がしました。レモン味って聞いていたんですけど」
そしてそんなことを、ちょっと照れた様子で言う。
「血!? え、あ、なに、え……本物!?」
「あ、動かないでください。唇の端、切れてます。消毒しますね」
「や、そんなことはどうでもよく――あづっ!?」
「あ、痛かったですか? 優しくしたつもりだったんですけど……」
ピンセットで脱脂綿をつまんだ岬が、心配するような声をかけてくる。
だが、そんなこともなによりも。
「あ、あああ、あの……み、岬さん?」
「改まった口調で、なんでしょうか、透夜くん」
「……………………………………今の俺の話、聞いてました?」
「久しぶりに透夜くんに話しかけていただけたので、思わず聞き入ってしまっていました」
「……死にたい」
というか、恥ずかしいというか、情けないというか、もどかしいというか。
完全にボケて、赤裸々な内心を語りすぎてしまったというか。
どうしよう。岬に向かって、ここまで本音をぶちまけるつもりなんてなかったのに。
「岬……頼む、お願いだ……今すぐ俺の命を絶ってくれ……」
挙げ句の果てにそんなことまで言う始末。いやもうまったく、穴があったら入りたかった。
岬はそんな俺を見て、「相変わらずですね」とくすくすと笑う。
それから、穏やかな口調で、
「私は、嬉しいですよ」
と言ってきた。
「嬉しいって……」
「透夜くんの気持ちが聞けて、嬉しいです。それに、また私の側にいてくれるというのも……とっても」
「それは……」
「私も、ひとつだけ……透夜くんに謝りたいことがあるんです」
俺を見下ろしながら、岬がそんなことを言う。
「岬に、謝らなきゃならないことなんて……」
「あるんですよ」
それから続けて、
「近づかないでくださいなんて……思ってもいないことを言って、ごめんなさいです」
と、謝罪の言葉を彼女は口にした。
「それは……」
「篠原さんに、言われたんです。そうやって突き放せば……透夜くんは、きっと気づいてくれるはずだからって。でも……やっぱり嘘は良くないです。思ってもないことを言うなんて、透夜くんにも自分に対しても、私は間違ったことをしたと思います」
「それは、そんなのは……お前が悪いわけじゃない」
元はと言えば、そんな言葉を岬に使わせた俺の方が悪いに決まってる。
そこへ至る様々な経緯はあったにしろ、俺が岬から逃げたりしなければ、彼女は喘息の発作だって起こさずに済んだはずなのだ。
俺は身を起こして、岬に向かって改めて座り直す。
それから、額を床に押し付けるようにして、彼女に向かって頭を下げた。
「ごめん……! 岬、本当に、ごめん。ごめん、悪かった……傷つけた、よな。傷つけてたよな……ずっと、ごめん。ごめん、ごめん、ごめん……」
それは、心からの土下座だった。
もう詫びる以外に、どんな言葉をかけていいのか分からなくて。
どうしたら岬に、ちゃんと許してもらえるのかも分からなくて。
それでも、逃げるわけには行かないから……ただひたすらに、俺は真っ直ぐ頭を下げた。そうするべきだと、思ったから。
そんな俺に向かって、岬は――、
「私も、嘘をつきましたから。ごめんなさいとごめんなさいで、帳消しです。だからそれで、仲直りです」
ゆっくり手を差し伸べてくると、俺の右手を取って、握手した。
柔らかく上下に、一度、二度。穏やかな笑顔で振ったあと、「ね?」と俺に向かって、同意を求めるようにして首を傾げた。
その笑顔は、次第にぼんやりと……曖昧に像が滲んでいって。
「み、岬……」
気づけば俺は、岬の肩を強く……強く、抱き寄せていて。
「岬……岬、岬、岬ぃ!」
頬を伝う涙の熱さと。
腕に抱きしめた肉体の温もりと。
そして、そっと背中に添えられた手のひらが、さわさわと柔らかく撫でてくる感触と。
もう、それ以外の何もかもが、俺には分からなくなってしまって。
「んもぅ、ちょっと痛いですよぅ」
少しだけ不満げな声を岬は上げたけど。
「まったくもう、透夜くんたら。臆病さんなんですねぇ……」
すぐに、穏やかにそう言って、ずっと、ずっと……俺に抱きしめられていてくれた。
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