第23話 4秒48

 冴島萌香は、これから始まる喧嘩・・がどのような結果に終わるのか、だいたい予想ができていた。


 そして、概ね萌香の予想通りの結果となった。


 リングの中央で、透夜と礼音が左のグローブを突き合わせた、その直後。


 まず、強烈なボディブローが透夜の右脇腹に食い込んだ。ちょうど、肝臓のある位置だ。


 あっさりと透夜の身体がくの字に曲がる。そして右のガードが下がったところに、立て続けに礼音のフックが襲い掛かる。


 抗うことすらできずに、透夜の上体が左へと流される。そこへ追い打ちをかけるかのように、礼音の右ストレートが吸い込まれるようにして放たれた。


 結果、透夜は力なく後ろへと吹き飛ばされ。


 礼音はリングの中央からほとんど動くこともなく、透夜の意識を至極あっさりと刈り取った。


 4秒48。


 それが、透夜がリングの上で意識を保つことができていた時間。


 こうして、二人の喧嘩・・は幕を下ろすこととなり――。


「透夜くん? ……透夜くん!」


 そうして、次に現れたのは――透夜が本当に向き合わなくてはならない、この場における3人目。


 この場における戦いを、透夜の知らないところで実は見守っていた少女。


「大丈夫ですか、透夜くん! 透夜くん!」


 監視カメラを通じて二人の喧嘩・・を見守っていた岬が、辛抱たまらんと言わんばかりの勢いで、管理人室から姿を現した。


「ま、あとは若い二人にお任せってことで」


 その岬の様子を見て、萌花は汗ひとつかいていない礼音の背中をバシッと叩く。


「ちょっくら裏で、話そうや。自販機でジュースでも奢ってやんよ」


「……うす」


 主役の二人だけを残して、礼音は萌香に連れられてその場をあとにする。


「透夜くん? だ、大丈夫ですか? あわっ、は、鼻血が……」


 後ろでは、意識を失い倒れた透夜に甲斐甲斐しく世話を焼く、賑やかな声が響いていた。


  ***


「で、あんたは満足なわけ?」


 萌香の言葉に、礼音は苦笑気味に肩を竦める。


 その手には、萌花に手渡されたスポーツドリンクが握られていた。


 場所は、冴島ジムの裏手。自販機とベンチのある、裏通りに面した場所である。


「満足もなにも。オレとしちゃ目標達成っすよ。あのバカには一発キメてやらねえといけないと思ってたんで」


「岬ちゃんのためにも、か?」


「まさか。オレのためっすよ、全部」


 飲み物の入った缶を傾けながら、礼音はあっけらかんとそれを言う。


「透夜が逃げて、岬ちゃんが悲しそうな顔して、って悪循環を目の前で繰り広げられてたら、そりゃあ口や拳のひとつも出したくなるっすよ」


「ま、その気持ちは分からんでもないけどさ。それで自分が損するような方法を取るかね、普通」


「損っすかね? まあ、オレのほうは岬ちゃんには一度フラれてすっきりしてるし。そこはもう折り合いついてるんで」


 それに、と礼音が言葉を続ける。


「これでもオレ、モテるんで。別に無理に一人に執着する必要とか、ないっすからね」


「……それはそれでムカつくねえ」


「そっすか? や、普通にでも、無駄に執着して相手に負担かけるよりマシだと思うっすけど」


 それは確かにその通りなのだが、万年男日照りの萌香からすると腹立たしい話ではあった。


「それに、やっぱね……仲良い奴らには、それなりに幸せであってほしいんすよ。だってその方が、付き合ってるこっちだって楽じゃないっすか」


「楽、ねえ」


「オレ、昔から思うんすよね。そこそこ幸せに生きてるやつって、周りの人間にもそれを分け与えられるじゃないっすか。だったらオレは、幸せそうに生きてるやつに囲まれて、同じような幸せを分け合いながら自由に楽しく生きていきたいんすよねー」


 そこまで言ったところで、礼音が空になった缶をゴミ箱に捨てる。


 その、彼のあっけらかんとした態度には、萌花も呆れざるを得ない。


「とにかくまあ、オレのやりたいことはもうやったんで。あとは透夜と岬ちゃんに任せますよ」


「……ま、そうだな。うん、よし、篠原。お前、今晩、あたしの家来いよ。大人のおねーさんが、あんたにお疲れ様会してやっから」


 そう言って、萌花が拳でドンと自分の胸を叩いた。


 そんな萌花に、礼音は苦笑気味に言葉を返す。


「萌香さん。あの、マジで、そういうとこっすよ」


「あ?」


「や、オレは嫌いじゃないっすけどね、萌香さんのそういう男らしいとこ。でも、意識して色気出してかないとこの先も――うぉっととと!?」


「じゃかあしいわ! 人様が気ィ遣ってやってるってのに、このガキャァ!」


「相変わらず、蹴りのキレ半端ねーっすね……」


 間一髪で、萌花の蹴りを捌きながら。


 礼音は内心、この人に彼氏ができる人は遠そうだ、と呟くのであった。

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