第21話 喧嘩の仕方

「俺に……喧嘩の仕方を教えて下さい!」


 レオにメッセージを送ったあと、俺はモカさんの家を訪れていた。


「……藪から棒にどういうつもりよ」


「モカさんを漢と見込んで、俺に力を――痛ぇ!」


「あたしは女だ!」


 リビングにて、ゴツン! と凄まじい勢いで頭をどつかれた。


 思わず叩かれた場所を押さえると、ちょっと腫れてコブになっている。普通にめっちゃ痛い。


「……やっぱり漢じゃないっすか」


「あんたまだ言うか? あ?」


「あ、いや……すんませんっす兄貴」


「あいわかった、お前の命日、五秒後な」


「わーっ、すんませんすんません! どうかご寛恕を! お慈悲を! ご堪忍を! ――ぶへっ!?」


 俺の謝罪はあえなく聞き入れられることはなく、みぞおちにモカさんの蹴りを叩き込まれて吹っ飛ばされる。


 その勢いたるや凄まじく、踏みとどまることすらできずに俺の体は背中から壁に叩きつけられていた。


「うごっ……か、堪忍をって言ったのに……」


「だから、まだ生かしといてやってんじゃないの」


 ふんっ、と鼻を鳴らしながら、モカさんがそう言って吐き捨てた。


「だいたい、いきなり人を訊ねてきたかと思えば、喧嘩を教えろだぁ? いったいどういうつもりよ、少年」


「それは……必要に、なったんすよ」


 モカさんの問いに、俺は言葉少なにそう答える。


 そう、必要になったのだ。あいつを知るための……そしてこれまでの自分と向き合うための、力が。


 そして、その力を手に入れるためには……こうしてモカさんを頼るしかないと俺は思ったのだ。


「……ったく。ま、あたしゃ少年のそういう、青臭くて不器用なとこ、嫌いじゃねーけどさ」


 呆れた様子で、だけど少しだけ優しくそう言うと、モカさんは台所の方へ向かった。


「モカさん?」


「茶ァしばいてやる。座って待ってな」


 言いながら、彼女が水を入れたヤカンをコンロにかけた。


「ま、なんだ。話ぐらいは聞いてやんよ」


「……あざす」


  ***


「ふ~ん。篠原と、喧嘩・・ねぇ」


 話を終えると、モカさんはそう呟いて茶をすすった。俺も喉を潤すように、湯のみを口に運ぶ。


 少し濃い目に淹れられた緑茶は、話している間に少しだけ温くなっていた。


「……少年さぁ、篠原がどんだけ強いかちゃんと分かってる?」


「や、それはなんつーか……すんません。多分、全然分かってないっす」


「だよね。分かってたらそんな無謀なこと言い出すわけがないだろうし」


 コトリ、と湯のみをテーブルに置きながら、モカさんは落ち着いた口調でそう言った。


「……そんなに無謀なんすか?」


「五歳のガキが、二十歳前後の健康で屈強な男性とまともに取っ組み合いして勝てる確率って何%だと思う?」


「俺の勝率、そこまで低いんすか?」


「ううん。これよりさらに低い、とあたしは見てる」


 マジか。


「ちゃんと積み上げてきたやつは強いよ、普通に。少年がまともに篠原と戦いたいなら、少なく見積もっても三年は必要になるんじゃない?」


「……レオと喧嘩するの、来週の日曜なんすけど」


「葬式には顔出してあげるから、立派に死んできな」


 笑顔でモカさんが告げてくる。マジかー、という気持ちだった。


 だが、すぐにモカさんはその笑顔をしまい込むと、


「……別にさ。無理にキックボクシングで喧嘩する必要もないんじゃない?」


 と言ってきた。


「あんたらさ、昔は一緒にテニスしてたんでしょ。だったら、別にそっちで決着? とやらをつけりゃいいんじゃないのと、外野から見ている大人でセクシーなお姉さんとしては思っちゃうけど」


「それじゃ……意味がないんすよ」


「意味って?」


 モカさんの問いに、俺は膝の上でグッと拳を握り締めた。


「テニスは、もう……俺たちの『過去』なんすよ。でも、これは……キックボクシングは、レオの『今』じゃないっすか」


「そうだな」


「だから俺は……テニス辞めてから俺がなにもしないでいる間に、レオがどういうものを積み上げてきたのか。それを知るために……喧嘩したいんすよ」


 俺には、それが必要だと思った。


 今まで目を背けていたもの。これまで向き合ってこなかったこと。


 そうやって俺が、色んなことから逃げ続けている間に、レオが積み重ねてきた時間に……真正面から挑みたかった。


「そうやって、ようやく……俺はレオに、そして岬にも……胸張って向き合えるようになると思ったんすよ」


「バカじゃね?」


 理由を告げると、『バカかコイツ』って目でモカさんが俺のことを見てきた。


「ば、バカって……ひどくないすかモカさん!?」


「や、だってそれ、少年が自分の中で自分なりにケジメつけたいだけって話っしょ? それで気持ちに決着がつくの、あんただけじゃん? 付き合わされる方がいい迷惑だって」


「や、それは……まあそうなんすけど!」


「でっしょ? やるだけ無駄っていうかバカっていうか、発想がガキどころか昭和の漫画すぎるって。バカって言うしかないでしょ、そりゃ」


「う゛……」


 そこまで言われると、俺は俺で反論できない。


 彼女の指摘はもっともだと自分でも思う。俺の発想は短絡的だということも、それに他人を巻き込んでいるというのも……紛うことなく事実だから。


 それに、本当は分かってはいるのだ。一番正しい方法は、今すぐ岬のところに行って……これまでのことを頭下げて謝って、そのあとレオとちゃんと仲直りをすることだって。


 しかも、それを実行に移せないのは、ひとえに俺の感情的な問題であるという、幼稚な理由だ。こんな体たらくでは、モカさんが呆れ返るのも無理のないことだろう。


「……っす。あの、無理言ってすんませんっした、モカさん」


 だから俺は、そうモカさんに頭を下げたのだが。


「ん、そーね。で、さっそくやるかね、少年」


 と、モカさんは言って立ち上がる。


「え、や、やるって……」


「なーに言ってんの。喧嘩教えてくれっつったのはそっちでしょうが。篠原に勝てるようにってのは無理だけど、ま、形ぐらいは整えてやるよ」


「いいんすか? さっき、その、バカだって」


「そりゃあね、言うでしょ。バカだしガキだしアホだって、今でも普通に思ってる。でも……」


「でも?」


「ゴミ箱相手に鬱憤晴らすよか、健全だってのも確かだからね」


 それに、とモカさんは爽やかに笑って言葉を続けた。


「殴るんだったらモノなんかより、人間の方がよほどいい。自分よりも強い相手ならなおよし、だ。殴って、殴り返されて、それで収まる感情ってやつも確かにある。――先にそう言ったのはあたしのほうだ」


 それは、モカさんが俺のことを殴って、蹴っ飛ばして、説教をしてくれた時に言っていた言葉。


「傍からはどんなにバカバカしかろうが……少年にとっては、殴るのも殴り返されるのも、必要になった。そういうことだろ?」


「モカさん……ほんと、そういうとこっすよ」


 カッコ良すぎるのも問題だ。


 うっかり、漢惚れしてしまいそうになってしまうから。


「あー、少年。先に言っとく。あたしはこれでも乙女なんだからな?」

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