第19話 自分の中に己を
岬を家まで運ぶと、出迎えてくれたのはおっさんだった。
おっさんは俺が岬を背負っているのを見て、すぐにある程度の事情を察してくれたらしい。「あとは任せとけ」と言って岬を受け取ると、俺に向かって店しばらく店番を代わるように指示を出し店の奥へと消えていく。
しばらくの間、お客さんへの対応を俺がしていると、おっさんは十五分ほどで戻ってきた。
「おう、小僧。店番、代わってくれてあんがとよ」
「いや、それは別に。それより、岬は……」
「今は静かに眠ってら。美汐がついてるから心配ねえ」
言いながらおっさんがタバコを取り出す。
だが、今いる場所が店の中だということに気づいたのだろう。眉をひそめて「チッ」と舌打ちをし、出したタバコを再びしまった。
「おい小僧。外行くぞ」
「外って……店はいいのかよ」
「いいんだよ。平日のこんな時間に、客なんざ来るわけねーだろ、バカが」
「……それ、大丈夫なのかよ。経営状況的な意味で」
「ああん? オレ様の言うことが聞けねえのか、このドラ息子が」
ぎろりとおっさんが睨んでくる。マジで危ない感じの視線だ。これで人を殺したことがないのは一周回って詐欺じゃないのかとすら思った。
まあ、でも、こんなおっさんの横暴もこれが初めてってわけじゃない。それ以上、問答する気分にもなれなかった俺は、おとなしくおっさんに従って外に出る。
『本谷洋菓子店』のすぐ目の前にある公園のベンチに座ったところで、おっさんが再び取り出したタバコに火を点ける。そのおっさんの隣に俺も腰を下ろすと、おっさんが「ふぅ~」と煙を吐き出した。
「――小僧。なんか、言うことはねえのか?」
「……悪かった、と思う」
「それはなにに対する謝罪だ?」
「岬が、発作を起こしたから……」
「ああ? ったく……」
俺がそう答えると、おっさんはその金髪を掻き上げながらため息をこぼした。
「小僧、お前よ……謝るところが違うだろ、バカモンが」
「違うって……じゃあ、俺はなんて言えば良かったんだよ」
「ここしばらくの間、ご無沙汰してしまってすんません、だろ。あるいは、久しぶりとか、まあそんな感じのアレだ。――だいたい、岬の発作は、今に始まったもんでもねえ」
「……」
「今でこそ症状はかなり落ち着いてきたけどな。あいつのアレはもう昔ッからだ。そういうもんなんだよ、仕方ねえんだ、喘息持ちってやつは。長い時間をかけて、この先ずっと付き合っていかなきゃなんねえもんだと岬もオレ様たちも分かってる。発作が起こるたび、いちいち誰かを責めていたんじゃそれこそキリがねえってもんだ」
「それは……」
「だから、まあそっちはいい。岬の発作のことで誰もお前を責めちゃいねえし、怒ったりもしちゃいねえ。オレ様が言いてえのはよ……なんでお前、ここしばらく、いきなりうちに顔を出さなくなったのかって方よ」
そう言いながら、おっさんはベンチの背もたれに背中を預けて、空を見上げる。俺も釣られておっさんの視線の先を追うと、紫煙が一筋、青空へと吸い込まれていっていた。
「ま、だからってあえて理由を聞き出すつもりもねえけどな。小僧も、まあ、まだまだ頼りねえけどそろそろいい歳した男だ。やることなすことに口を挟むつもりもねえ」
「……」
「でも美汐と岬は寂しがってた。そこを分かってやれねえ男はダメな男だ」
「……ああ」
その言葉につい俯くと、おっさんがそのでかい手で俺の頭をぽんぽんと叩いてくる。
後頭部に感じた温かさに、気づけば俺は口を滑らせていた。
「……俺なんて、ダメなやつだってずっと思ってたんだ」
「あん?」
「うちの親父もおかしいし、俺みたいなやつが、本当に岬の傍にいていいのか……とか。俺みたいなやつが誰かの近くにいても、相手のためにならないんじゃないか、とか」
「……」
「ずっと前から、分からねえんだ。自分が、誰かと一緒にいるような資格を本当に持っているのかってのが。……なんか、俺だけ周りと比べて普通じゃないような気がずっとしてたから」
それはずっと、俺の中で渦巻いている感情だった。
昔から、どうにも、自分のことを俺は信じることができなかった。必死で上辺を取り繕っても、ちゃんとした表情を作れている気がしなかった。
レオと話している時も。
岬と笑い合っている時も。
どこかで、引け目みたいなものをこれまでずっと覚え続けていて……。
俺の、そんな気持ちを。
「――あんだよ。普通じゃねーか、そんなもん」
おっさんは頭を掻きながら、はっきりそんな言葉で切って捨てた。
「……へ?」
「ガキが、自分が普通とか、普通じゃないとか、そういう理由で悩むなんざ、いつの時代にもありふれたオリジナリティの欠片もねえ話だろ」
「や、でも」
「でももへったくれもあるか。テメェは、要するに、自分のこと普通じゃねーとか言ってるだけの中二病拗らせてる普通にちょっとイタいやつだ。それ以上でも以下でもねーの」
つーかよぉ、とか言いながら、おっさんが新しくタバコを一本取り出して、火を点ける。
で、煙を吐き出しながら。
「小僧よぉ、世間や常識ってやつがテメェのことを普通じゃねーって言ったら、それでおとなしくそのご意見とやらを受け入れちゃったりするわけか?」
なんてことを聞いてきた。
「それは……」
「これ見ろよ」
おっさんが、自分のスマホを取り出して、すっと画面をこっちに向けてくる。
その画面の中にいたのは……少し目つきが悪い、地味で根暗そうな、学生服姿の青年だった。
「これって」
「昔のオレ様だ」
「はあ!?」
画面の中と、目の前の人物とを見比べる。
画面の中の人物は黒髪で、どちらかというと真面目そうな雰囲気なのに、今のおっさんはと言えば金髪が輝くド派手中年。属性とかキャラとかが違いすぎるにも程がある。
「は……? なんでこれ、え、いや……いくらなんでも違い過ぎだろ」
「今の頭は、なんだ、要するにいわゆるあれだ。夏休みデビュー」
「夏休みデビュー……?」
「高2のときの話だよ。ちょっと髪ぐらい染めてみてーなってなってな、んで風呂場で自分で脱色してみたら、抜きすぎて気づけばこの有様よ」
なんてことない様子でおっさんが語る。目元は、少し懐かしげに細められていた。
「で、金髪になったオレ様を見て、当時のオレ様の両親はこう言い放ったというわけだ。『港晴がグレた』と」
「はぁ……」
「当時のオレ様は真面目かつ健全なシャイボーイだったさ。当然、グレた覚えもない。ってのにあのクソ両親、オレ様をさんざん、心療内科だの精神科だの引きずり回してな」
「えぇ……」
「で、オレ様は逆に意固地になった。テメェらの普通なんて知ったことか! ってな。以来、貫き通した結果が今のオレ様のスタイルよ」
そんなことを言いながら、おっさんがビッと伸ばした親指で自分の頭を指す。
その顔は、どこかちょっとだけ……誇らしげだった。
「俺は……おっさんみてぇに考えらんねえよ」
「ったりめぇだろ。小僧はオレ様でもなけりゃ、そのよく分かんねえ『世間様』ですらねえだろうが」
「……」
「自分の中に己を持てって話だ。分かれ、ボケカス」
そう言って、おっさんがゴツンと頭に拳を落としてきた。
その衝撃に、俺は思わず、「いてっ」と呻く。
直後……ほろり、と頬を涙が伝った。
「え……なんで」
気づけば、次から次へと、目には熱いものがこみ上げてくる。
泣くほど、おっさんの拳が痛かったわけではないのに。
自分でもびっくりするぐらい……涙が溢れてたまらなかった。
「お、オメッ……小僧テメェ!? オレ様泣くほど強く殴ってねえだろぉ!?」
「い、いや……これは違っ、くて……その」
言いかけた瞬間、懐かしい記憶が頭の中で蘇る。
十二年前の……あの、出会いのクリスマスのあの日。まったく同じ痛みと重さを、初めて知ったあの時の記憶が……。
ああ、そうか。
痛かったわけじゃない。ただ……重かったんだ。
おっさんの拳が、重くて、温かかったから泣けた、だなんて……そんな気恥ずかしいことは、口にはできないけど。
「……っ、あんがとな、おっさん」
涙を拭って、俺は代わりに、おっさんにそう言っていた。
「あのさ……もう少しだけ、時間、くんねえかな?」
「ああ、時間だあ?」
「うん。もう一度……岬に胸を張って会えるようになるまでの、時間」
見上げた空は、透けるように青い。
その蒼穹に向かって、俺は決意の言葉を口にする。
「ちゃんと決着、つけないといけないやつがいること、思い出したんだ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
読者の皆様方には、随分とお待たせしてしまったことを、ここにお詫びいたします。
この物語の登場人物たちが、なにをどう生き、どう考えているのか、どういう答えを彼らは出すのか、ようやくそれが分かるようになったため、更新を再開しようと思います。
今しばらく、不器用で下手くそな形でしか優しさを表現できない彼らの物語にお付き合いいただければ幸に存じます。
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