第138話 世界との天秤

「ン――がぁ――――」


 ルイが顔と頭を押さえ、さっきよりも激しく動く。

 身体に出現した鱗はリリスと同じように黒く輝き、胸にある刻印は赤く染まっている。


「しっかりしろ!」


 アランが呼びかけるが、その声がルイに届いているようには見えない。


「ルイくん、なんとかしなさいよ!」


「不浄なる存在に癒しの浄化を。ピュアケーション」


 エリスが涙を流しながら、浄化の神聖魔法を使う。

 ピュアケーションの光がルイの輪郭を浮き上がらせ、黒い霧が薄くなっていく。


 クレアはそれを見て、呆然としてしまっていた。

 エリスのピュアケーションは、ほんの一瞬で消えてしまったから。

 元々浄化の神聖魔法は魔石を核とした魔物を弱体化するものではあるが、今回のような使い方などされたことがなく、エリスならもしかしたらという気持ちがクレアにはあった。

 だが相手はリリスであり、効果も違う。

 これでリリスを完全に浄化など、できるわけがなかった。


「ルイ様……」


 エリスは目を閉じ、顔をクシャクシャにして涙をこぼす。

 そのエリスに向かって、ルイが黒い竜のような左手の爪を振り上げて襲いかかる。


「っ――――」


「ルイさんっ!」


 赤く輝き、瞳孔が縦に割れた竜のような目がエリスを捉えていた。

 ルイを覆う黒い霧が、まるで殺気のように感じられる。

 エリスはそれを見て、信じられない、信じたくないという顔で呆然としてしまう。


「ルイィーーーー!」


 それを妨害するため最初に動いたのはアランだった。

 背後に浮かび上がっている加護が炎を噴射して、横からルイに斬りかかった。

 それをルイは右腕の鱗で受け止める。


「俺たちがわからないのか! 目を覚ませ!」


 アランが呼びかけている間に、エリスに向かって振り上げられていた左手がアランに狙いを変える。


「インパクト」


 ユスティアが放たったインパクトの衝撃で、ルイはアランを攻撃しようとしていたところを弾かれた。


 エリスの前にはユスティアとアランが立ち、後衛であるエリスをガードする。

 ユスティアは聖遺と神剣を構え、アランも神剣の切っ先をルイに合わせていた。

 それはまるで、戦うための陣形。

 そんな二人の姿を、クレアとエリスは呆然と見てしまう。



「アラン、わかってるわね?」



 ユスティアが視線だけ向けて問いかける。

 それにアランが歯を食いしばるようにして答えた。



「……はい」


「エリス、クレアもしっかりしなさい。私たちで……やるわよ」



 片手を地面について弾かれた身体を制御し、動物が警戒するようにルイが見てくる。


「我は真紅の刃を持つかの国の女王

 我の命に応え、現界せよ」


 ユスティアが命じると、聖遺がその世界を顕現させる。

 七つの城壁に囲まれた城に、五人だけが存在する世界。


「――消えよ」


 ルイが呟くように言うと、ガラスが割れるように世界は砕け散った。



「ちょっとは有利にできるかと思ったけど、そんなに甘くはないか……」


 チラッとユスティアが視線を走らせるが、クレアは未だに膝をついたまま。

 一瞬悲しそうな目をしたユスティアであったが、すぐにキッと鋭い目となっていた。


「アランはサポートに入りなさい」


 クレアに向かって地を蹴ったルイに、ユスティアが押さえに出る。

 間合いが広い聖遺で払い、ルイの進行を妨げて足止めをした。

 動きが止まったルイに、斜め背後から必死の形相でアランが迫る。

 上段から思いっきり振り抜いた神剣は、ルイから生えている尻尾すら切断までには至らない。


「レーヴァテイン」


 アランは受け止められたところからさらに振り抜いて、尻尾に剣閃を刻む。

 ユスティアも聖遺を払った動きに連動させ、神剣をスッと線でも引くように小さな動きで縦に振る。


「っ――――」


 一瞬ユスティアが怯むような顔を見せるが、それはクレアたちに再認識させるには十分なことであった。

 ユスティアとアランが斬った所から、赤い血が流れていたからだ。


 魔物のなかには赤い血を流すのが多い。

 これは生物として誕生しているからだと思われるが、核を持った魔物は血など流さない。

 そして魔神の血は青く、それはルイが戦っていたリリスも同じ。

 だが、今目の前にいるリリスからは赤い血が流れていた。


「――ここまできて、ルイくんを失って――ガイアまで守れないなんてことにするわけにはいかないのよ」


 至近距離からユスティアが聖遺をルイへと投げ放つ。


「シャドウレイ」


 一度距離をとって後退するルイに、三〇の槍が追撃していく。

 曲線を描いて側面、上段からも聖遺は迫った。

 それをルイは硬い鱗で覆われた腕で受け止める。

 本体である正面からきた聖遺がルイの腕に刺さるが、残りはルイに届く前に消え去ってしまっていた。

 ユスティアが聖遺を呼び戻すと、ルイがユスティアとアランに向けて手をかざす。


「インフェルノ」


 黒い炎が立ち上がり、二人に向かって走る。

 二人はすぐに移動して回避するが、黒い炎がそれを許さない。


「「――――!」」


 インフェルノが二人に到達する。黒の炎が激しく燃え盛り、跡形もなく消し去ろうと迫った。


「――アイギス」


 半透明な虹色に輝く盾が黒い炎を阻んで消滅させる。

 エリスが二人に向い、盾を持ってかざしていた。


「クレア様、ルイが我々に託したのを、無駄にするつもりか!」


 アランの言葉を、呆然と聞いていたクレアもそれはわかっている。

 だがガイアのために始めから死ぬことが決定づけられていたことが、正しい道であるのかクレアにはわからなかった。

 戦闘には犠牲が伴うことは理解している。

 だがそれは戦って生きるためにしたことで、決して最初から命を諦めていたことではなかった。

 でもルイには、それが最初からない。

 リリスを倒すことを決めた時点で、どれだけ戦おうと生きる道はなかったのだから。


「………………」


「生命の源なるは一粒のしずく

 清らかな雫は世界となり

 裏切りのじゃを清める激流は

 穢れなき清流 コキュートス」


 一粒の雫がルイを水の檻に捉え、なかで激流が起こる。

 まだ涙も乾いていない顔で、エリスが魔法を発動していた。


「ルイ様が気にされていたニアさんとカレンさん、そしてガイアの人たちをルイ様に殺めさせるわけにはいきせん。

 私たちが、止めて差し上げなければ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る