第64話 魔獣

「なんて大きさなんだ……」



 アランが言うのも理解できること。

 まだ完全に姿が現れているわけではないが、その魔物の大きさは二〇メートルくらいはありそうだった。

 ぼんやりと頭部の輪郭が浮きあがり始める。

 二本の真っ黒な角が五メートルほど鋭く伸びていて、赤い瞳が宿り始めていた。



「あれって、どう考えても魔獣ベヒーモスでしょ?」



 ユスティアの言うベヒーモスは、文献に記されている魔獣。

 ベヒーモスが魔物ではなく魔獣と呼ばれているのは、その大きさがある。

 体躯の大きさはそのまま戦力に直結する。

 筋肉の量が増えればそれだけパワーはあがり、身体が大きければ普通に斬ってもかすり傷程度にしかならない。

 攻撃範囲は必然的に広くなり、大きさというのはそれだけで天性の強者だ。


 加えてベヒーモスは、魔石を核としている魔物でもないのに身体強化をしていると記されている。

 魔神と魔物を合わせたような生物であり、それが魔獣と呼ばれる所以ゆえんでもあった。



「ここであれを、倒したいと思います」



 隊長であるクレアが、魔獣を見てはっきりと口にした。



「本当にあれとやるの? さすがに一度退いてもいいとは思うけど?」



 ユスティアが提案するが、クレアの顔はその意志を示していた。



「あれが相手では、接近戦ができるのは極わずかです。

 たとえ退いたとしても、あれとは私たちが戦わなければいけなくなるはずです。

 それは無駄に周囲の領民たちに被害を出すだけになるかもしれませんから、同じ戦うならここで叩いてしまう方が犠牲が出ずに済みます。

 なにより、ここには聖都でもトップになる騎士がいますから」



 クレアの主張もわかるが、ルイはあまり乗り気になれない選択だった。

 ベヒーモスが現れようとしている場所はそれなりの広さではあるが、それでも戦うには十分な広さがあるとはいえない。

 なにしろベヒーモスがいるだけで、一/三以上占有されてしまう。

 加えてダンジョンのなかということもあり、ルイが全力で戦うには不向きな場所であったからだ。


 話している間に、ベヒーモスの咆哮が周囲を揺さぶる。

 まるでなにかの映像で見た、恐竜のような咆哮。

 振動とともに、その重さを感じさせる咆哮だった。



「正面は俺だ。エリスはクレアと背後だ」



 時間がないこともあり、ルイが正面を受け持つことを伝えて移動する。

 もうほとんどが形を成していて、その大きさに圧倒される。

 顔の位置だけでも一〇メートルはあるような魔獣。

 幸いなのは、天井がそこまで高いわけではないので、立ち上がることはなさそうなことだった。



「トルネード」


 ユスティアが風魔法をベヒーモスの下から発現させるが、その結果に全員言葉が出ない。

 それは少しベヒーモスを浮き上がらせるだけで消えてしまったからだ。


「先生の精霊魔法で、これだけなのか」


 ベヒーモスが腕を振るって薙ぎ払ってくる。

 ユスティアから正面にいるルイにまで伸びてくるそれは、身体強化されているだけあり思ったよりもスピードが出ていた。

 それに加えて大きさによる質量。

 ベヒーモスの爪はダンジョンの壁を削りながら振るわれた。


「っ――――」


 ユスティアと同じように、ルイも距離を取ることで回避を選択しながら、同時に神聖魔法の盾を発現する。

 だがベヒーモスの爪は、女神パナケイアの奇跡である盾を打ち破って振り抜かれた。


「――そんな!」


 それを見たエリスは、まさに驚愕という表情を浮かべる。

 女神の奇跡を打ち破ることなど、エリスでなくとも信じられない気持ちだった。

 正面に位置を取るルイには、この結果は厳しさが増すことを意味する。

 防御で相手の動きを一瞬止めるということができなくなったからだ。


「防御はするな」


 ルイがクレアとエリスに叫ぶ。

 ユスティアの精霊魔法が、ほとんど効果なかったのだ。

 そこから考えれば、クレアの氷壁も意味をなさないと考えるのが必然。


「はぁぁぁーーーーっ!」


 アランが側面から後ろ足に斬りかかる。

 突きにいかずに斬りにいったのはいい判断だった。

 こんな魔獣に突き技をしてしまっては、そのあと剣が抜けない可能性が大きい。

 だがサイズが違い過ぎる。

 アランの剣は、人で言えば切り傷くらいのものにしかなっていなかった。


「グヲォォォーーーー」


 ベヒーモスが斬られた方へ意識を向け、アランへと顔を向ける。

 通常の生物と同じで、感覚によって反応してしまい意識が向くらしい。


「ディメンションルイン」


 ルイは注意を向けるため、夜空を思わせる色へと変化した刀から、空間をも斬る魔法を放つ。

 ディメンションルインはベヒーモスの首を斬ったが、これも深手とはならない。


「生命の源なるは一粒のしずく

 清らかな雫は世界となり

 裏切りのじゃを清める激流は

 穢れなき清流――コキュートス」


 エリスの最上級である魔法がベヒーモスを覆うが、頭部や尻尾など覆い切れない。

 だが胴体はしっかりと捉え、激流が発生する。

 高圧縮されたいくつもの激流はベヒーモスを傷つけ、雄叫びが空間を振動させた。


 コキュートスの効果は確かにある。

 だがキマイラたちのように貫き、引き千切るなんてことにはならない。

 多少胴体を抉っている箇所はあるが、それ以上ではなかった。

 コキュートスが解けた水が、ダンジョンへと吸われてく。


 ベヒーモスが目の前のルイへと距離を詰めようと足を出したところで、その足が不自然に移動した。

 コキュートスによって、ベヒーモスのいる場所はぬかるんでいた。

 さっきまでのカースナイトたちの戦闘と違い、この空間の中央はほとんどベヒーモスがいる。

 ルイたちにも攻撃時に影響がないわけではないが、メリットの方が確かに多く、エリスの状況判断は冴えているといえた。

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