二人は最下層まで来ていた。そこには小学校のプールほどの大きさを持つ、雨水浸透用のトレンチが有ったが、それが何のために存在する施設かは彼らは知らなかった。下層部付近は、浅層よりもむしろ近代的な設備群によって固められている。つまり昔の技術では、深い所まで穴を掘れなかったということだろうとリョータは理解していた。ということは、この最深層のプールは最も最新の設備なはずなのだが、その床部分は土が露出していて、見たところ途中で工事を投げ出してしまって、そのまま放置されているかのような雰囲気だ。ひょっとしたら、まだ工事途中なのかとも思ったが、以前ここに来た時に見た状況からは何も変わっていない。つまり今の姿が最終形なのだろう。

 それもそのはず、その露出した土壌部分から水を地層内に浸透拡散させるための設備が、この浸透用トレンチなのだから。浅層、中層では処理し切れなかった排水を処置する、最後の手段がこの浸透システムであり、この街の最も深い部分に当たる。

 「わぁっ! 何これ!?」

 予想もしなかった風景を目の当たりにしたカナエが声を上げた。でも悲しいかな、彼女の疑問に答えられるほどの知識をリョータは持ち合わせてはいない。

 「僕にもよく判らないんだ。僕はここを墓場って呼んでるんだけど・・・ 他の仲間を連れてきたことは無いんだ」

 下水道の整備されていない郊外の住宅地では浄化槽を用いて生活排水や汚水を処理するが、処理水を流すことが出来ないエリアでは浸透槽を用いることになる。丁度、それの大型版と思って間違いないのだが、この二人がそんなことを知っているはずは無かった。

 「墓場? なんで?」

 リョータはトレンチの縁に座って脚を投げ出した。カナエもそれに倣って隣に座り、同じように足を放り出した。たったそれだけのことでも二人は顔を見合わせ、可笑しそうにクスクスと笑った。


 「時々、動物が流れ着くんだよ、ここに。僕が前に見たのは、茶色い猫の死骸だったなぁ。ここってこんな形でしょ? だから一度落ちちゃうと、動物たちは生きていたとしても、上には登れなくなっちゃうんだ。人間だったら、ほらあそこの ──そう言ってリョータは、トレンチの反対側に懐中電灯の光を向けた。そこには壁に打ち込まれたコの字の梯子が、底から上部に向かって伸びている── 梯子を登れば抜け出せるんだけどね」

 二人の会話は、暗闇の中でひんやりとした空気を湛える沈痛なプールの中で木霊した。日差しを浴びて、青く澄んだ水を湛えた学校のプールを「明」のものとしたら、懐中電灯の光で今目の前にボンヤリと浮かび上がるこれは、まさに「暗」のものだ。実はその両者は別々のものなどではなく、不思議な時空の捻じれによって背中合わせに存在しており、同じものを別の角度から見ているに過ぎない・・・ なんて空想をリョータに思い起こさせる。彼はそんな夢物語で自分の心を弄ぶのが大好きだったのだ。

 しかしカナエは同じ光景を目にして、リョータとは違った、もう少し現実的な畏れを抱いているようだ。

 「その猫はここで死んだのかな? それとも死体になって流れ着いたのかな?」

 「うぅ~ん・・・ どっちだろ? 判んないな」

 「で、その死体はどうなったの?」

 「三日後にもう一度来たら、何も残っていなかったよ。ほんの少しだけ頭蓋骨が残っていたけどね。きっと鼠とかは自由に出入りが出来て、死んだ動物はあっという間にバラバラにされて食べられちゃうんだと思う。それで残った頭蓋骨も、いつの間にか無くなっちゃうんだ」

 図らずも、リョータはそこを墓場と名付けていたが、死んだ躯が文字通り土に還る・・・・場所の名前としては、それ以上に気の利いたものは無いであろう。

 「何だか怖いよぉ・・・」

 「大丈夫だよ。鼠に食べられる時は、もう死んでるんだから平気だよ」

 カナエが何を恐れているのか、リョータには本当に判らないようだった。死というものの持つ意味を漠然とは恐れてはいても、それと肉体とを重ね合わせるということを知らないのか、或いは両者を別けて考える達観を既に修得しているのか。

 「だから怖いんじゃない。もう判ってないなぁ」

 「そっかなぁ・・・」


 死への恐怖は人間の持つ根源的な本能かもしれないが、それをどう処理・・するのかは宗教の範疇でしかない。死後の世界をどう捉えるか、もしくはそんなものは存在しないと考えるかは個人個人の考え方や育った環境で如何様にでも変わり得る、全くもって普遍性の無いものだ。従って、死んだ後の肉体をどう扱うかに、あるべき姿など無い。

 それを生まれ変わった時の魂の入れ物と敬い、土に埋めてカラッカラに干乾びるに任せるのか、天国へと送り出すためと称して火を点けて、黒焦げどころか骨しか残らないほどの炎で炙り続けるのか、或いは生命活動の途絶えたタンパク質の塊と考え、他の生物のエネルギー源としての再利用を模索するのかは自由である。

 二人は ──リョータとカナエに限らず、地下の子供達は皆、多かれ少なかれ── 幼くして地下に移り住んだため、教育というものの恩恵を殆ど受けていない。従い、彼らの人間性の形成に影響を与える「道徳」や「倫理」、「基準」や「原理」には、個々人に大きな偏りが存在するのだ。無論、「禁忌タブー」や「禁戒」の類も、決して共通言語ではない。この二人の場合、カナエは地下に潜る前に幾分、宗教的なインプットが成されたのに対し、リョータはむしろ合理的な考え方を教授されたのかもしれなかった。

 そう考えると子供の頃は、各々の個性の凹凸がかみ合わずにぶつかり合い、些細なことで喧嘩が巻き起こるのは致し方ないのであろう。それに対し大人になると、各自がそれぞれ多視点からの知識なり経験なりを積み、均質化が進んだ結果として社会性が醸成されて、生きる術を取得してゆくことになる。


 どちらが幸せかって?


 そんなこと、各々の「価値観」に委ねられるべき問題だ。世間ではそれを成長と評するわけだが、それこそある一視点からの評価に過ぎず、角度を変えれば異なる評定が下されることは明白であろう。

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