駆け出す空
「
その声と共に空間が割れた。
気付けば僕は、極彩色の異空間ではなく、元いた病室に立ち尽くしていた。
そこにレイの姿はない。
「……」
先程までのやり取りは、実際には数分にも満たない時間だったようで、未だ混乱の最中にある関係者たちの、慌ただしい姿が目についた。
あるいはこれもレイの能力によるものなのかもしれないが、ともあれ僕は気を取り直す。
僕の身体を重く締め付けていた服が、ドシャリと音を立てて床へ落ちる。電子制御を喪ったためだろう。
やはりと言うべきか、病人らしい身体の重さを演出しつつ行動を制限する、アシストやサポートとは真逆の
解き放たれた身体が軽い。
思考を鈍らせる邪魔くさい点滴を、針ごと毟り取り、被験体識別用の──暴走した被験体に鎮静剤を注入する機構が組み込まれた腕輪も放り捨てる。
捕食した職員から、既に知識は得ていた。
忘れさせられていただけだ。忌々しい。
「──行かなきゃ」
僕は走り出す。
地上へ。外へ。空の下へ。
ひた走る。
構造は、道筋は、既に知っている。
制止する者を振り払って、組み付いてくる者は新たに喰らって、より怪しまれにくいであろう姿へと擬態して。
自分が何者であるかさえぐちゃぐちゃになりながら、ただひたすらに外界を目指した。
そして──。
「……っ」
土煙や硝煙、その他にも何やら色々なものが立ちこめる地上に、僕は登り立った。
本当の空は、確かに綺麗とは言い
外の空気の味を、匂いを、肺いっぱいに確かめる。
──野原を思い切り走ってみたい。
──青い空の下、外の空気を思い切り吸って、この肺腑を満たしたい。
野原などではなく、無機質な監獄と荒野だけれど。
青い空の下などではなく、苦くて
(あぁ、やっと……)
願った形そのままとはいかなかったけれど……否、むしろそうだったからこそ──。
僕は生きている。
生の実感。それを噛み締めて、柄にもなく泣きそうになった。
「や、おめでとう」
ぱちぱちと手を叩く音に振り返れば、彼がいた。
「レイ……」
うん、と彼は頷き、品定めするように僕を見据えた。
彼は、僕の返事を待っている。
「……僕は」
「うん」
「世界中を見て回りたい。それがどんなに醜いものであったとしても、僕は自分で確かめたい」
「……」
「もし君の目的や手段に、僕のしたいことと少しでも重なるところがあるのなら。僕は君と一緒に行きたい。……と、いうか」
言葉を切り、僕は彼に向き直る。
「右も左もわからない広い世界にひとりで放り出されても、僕が困るよ。共犯者がいて損はないでしょ、お互い」
彼は笑う。
「ふぅん? 案外したたかだね、君」
「君に言われたくないよ、レイ」
僕は嘆息する。
「外に出るきっかけをくれたことには感謝するけど、僕には未だに君の行動原理がわからない。レイ……君の目的は?」
僕の問いに、彼は応えた。
「君とまったく同じとはいかないけれど、まぁ、だいたい似たようなものかな。……俺の思う
お願いばかりで図々しいとは思うけれど、と彼は言う。
「これからの道行きで、俺を見定めて。願わくば、君の言っていた通りの共犯者になってほしい」
雲の切れ間、一際強い光が射し込み、僕は眩しさに目を
「そして、俺が終わるとき。どうか君には、俺を
「え──」
逆光で、彼の顔が見えない。
「俺の
「……」
僕は空へ手を
「……わかった。一緒に行こう。でも、
それに、と言葉を切る。
「君を
「はは、そりゃそうだ」
「さて、それじゃ行こうか。そろそろ追手が来る頃だ」
「……そうだね」
僕は先刻通ってきた出口をちらりと振り返ってから、前を向く。
「あと、新しい名前も決めないとね」
「名前? どうして」
「どうしてって、仮にも俺たちはお尋ね者だろう? 偽名は必要さ」
あっちへ行こう、と彼は行き先を示す。
「……うん、そうだね」
僕たちは土煙と硝煙の立ちこめる中、駆け出した。
空へ、未知の世界へ。
すべてが、ここから始まるのだ。
さて、どうしようか。
「僕の、新しい名前は──」
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