第31話 焦燥と怒槌

「……遅いなあ……」



 ぽつんと一人で彼を待ち続け、まもなく一時間が経とうとしている。

 そろそろパレードも終わりに近付き始め、帰宅する人やアトラクションに駆け込む人々の姿もちらほらと目立ち始めた。


 さすがにずっと屋外に座っていて体が冷え切ってしまった私は、一度トイレにでも行こうとついにベンチから腰を上げる。



(……えーと、トイレどこだろ……チケット売り場の方にあるかな……)



 綾人くんが駆けて行った方角へ歩けば、運良くすぐに女子トイレが見つかった。普段は混んでいるトイレもほんの数人が並んでいるだけで、やはり一時間も帰って来れないような混み方はしていない。事実、すぐに順番が回ってきて個室の中に入る事が出来た。


 おそらくチケット売り場も混んではいないのだろう。けれど、彼はまだ戻って来ていない。



(……もしかして、またファンの子に囲まれて動けないとか? 有り得る……でも、それで一時間も拘束されるかな……? あしらうのは慣れてそうだったし、それだけで一時間も帰ってこないのは不自然なような……)



 徐々に嫌な予感が募り始め、トイレを出た私は足早にチケット売り場へと向かう。するとそこにはほとんど人がおらず、綾人くんの姿もなかった。


 入れ違いになったのだろうかと再びベンチに戻っても、やはり彼はいない。



「……あれ……? なんで……?」



 どこに行ったのかと訝り、連絡してみようとスマホを手に取る。しかし彼のカバンは私の手元にあり、スマホもその中に入っているようで、着信音はカバンの中から聞こえてきた。


 そういえば財布しか持っていかなかった……と思い出し、いよいよ万策尽きて立ち尽くす。



「綾人くん、どこ行ったの……?」



 あのような宣言をしてチケットを買いに行ったのだから、先に帰ったとは考えにくい。そもそも荷物を私に預けたまま勝手に帰るわけがない。


 だとしたらやはり、ファンに囲まれたか、何らかの事件に巻き込まれたか──と、そこまで考えが及んだ時にふと脳裏を過ぎったのは、入場ゲートの前で鉢合わせた真奈美さんの姿だった。


 途端に悪寒が駆け抜け、嫌な想像が胸に満ちる。



「……まさか……真奈美さんが何か……!」



〝AYATOさんを一晩貸して〟と耳打ちしてきた以前の彼女の言葉を思い返し、一瞬で血の気が引いた。


 よもや本当に綾人くんを奪おうとしているのではないだろうか、と焦燥に駆られた私はすぐさま地を蹴り、宛もなく園内を駆け回る。けれどいくら探せど、広い敷地内のどこに彼がいるのか皆目見当もつかなかった。


 もし、本当に綾人くんが真奈美さんと接触したのだとしたら、あのアイジという男も一緒にいるはず。あの人は私達の事を良く思っていないのだから、綾人くんが何らかのトラブルに巻き込まれていても不思議ではない。



(綾人くん……っ)



 どうか何事もありませんように、と強く願った瞬間、通り抜けようとした通路の曲がり角から突として何者かが現れる。


 ハッと息を呑んだ私だが、止まる事も出来ず──。



「きゃっ!」


「もがっ!?」



 どんっ! と派手に衝突し、足がもつれた。しかし転びかけた寸前で体を支えられ、もふりと柔らかい独特な感触が私を包む。


 顔を上げると、私を支えていたのはこの遊園地のマスコットであるウサギの着ぐるみ。パレードを終えて帰ってきたのだろうか、と考えるより先に私は慌てて距離を取った。



「ご、ごめんなさい!」



 即座に謝れば、ウサギは『大丈夫だよ!』とでも言うように両手で丸の形を作る。

 そっか、喋っちゃいけないのか……と理解すると同時に、私はダメ元でウサギに口を開いた。



「あ、あの……っ! 私、いま人を探してて! 金髪で、キャップ被ってる若い男の人……! 知りませんか!?」



 乱れる呼吸を整え、早口で問い掛ける。自分でも『知っているわけがない』と思いながら、藁にもすがる思いで尋ねていた。


 案の定、しばらくウサギは微動だにしない。

 しかし程なくして、着ぐるみの腕がまっすぐと通路の先を指さす。



「……え?」



 ぽかん。思わず呆気に取られて聞き返せば、ウサギは元々首にかけていたホワイトボードにペンで何かを書き始めた。



『パレードの途中、お化け屋敷の旧館近くでアヤヤを見た』


『知らない男と女も一緒にいた』


『でも、君は見当たらんから、変だなとは思ってた』



 すらすらと記されていく文章。アヤヤ、と明確に綾人くんの名前まで記載されて、私は目を見開く。



「え……アヤヤって……、え?」


「……」


「あ、あなた、もしかして──」



 その正体を確信して皆まで言いさしたところで、着ぐるみの手はぽふんと私の口を塞ぐ。

 続いて人差し指を自身の口元に当て、「しい」と小さく囁いたその人は、おそらく着ぐるみの中で笑っているのだろうと思った。


 さらさら、ホワイトボードにまた文字が乗る。



『俺ちゃま、今バイト中』


『なので、君が迎えに行ってあげて』


『よろしく、レモンちゃん』



 親指をぐっと立てたウサギ。焦りばかりを抱いていた私だったが、その言葉によって幾分か心が軽くなった。


 ああ、彼のバイト先ってここだったんだ。



「……うん! ありがとう、ウサギさん」



 無意識に頬を緩ませ、再び地を蹴り走り出す。

 手を振るウサギに片手を振り返して、目的地の定まった私は先を急いだ。


 お化け屋敷の旧館。改装工事をするという理由で、先月一旦閉鎖された建物だ。


 普段は人も寄り付かないその場所に、何で綾人くんが……? と訝しんだ頃。



「──ちょっと、話が違うわよ!」



 何かにいきどおる聞き慣れた金切り声が、私の耳に届いた。



(……!? 真奈美さんの声……!)



 声の主を逸早く悟り、私は足を止めて人気ひとけのない狭い通路を覗き込む。『ウサギーランドはまもなく閉園します』というアナウンスが響く中、真奈美さんとアイジという男は細い通路内で睨み合っていた。


 息を潜めて耳をそばだて、様子を窺う。



「私は、六藤 結衣の方を連れて行ってって頼んだんじゃない! どうしてAYATOさんの方なのよ!」


「うるせえな、アイツの方がイラついたんだよ。別にいいだろ、どっちでも」


「良くない! あの子がデートの途中で居なくなったっていう形でAYATOさんと離れさせる予定だったのに!」



 苛立った様子で続ける真奈美さんは、やはり何か悪どい企みを練っていたらしい。が、どうにもうまくいかなかったようだ。


 いや、そんな事よりも。



(綾人くんに、やっぱり何かしたんだ……!)



 そう確信してしまい、ぐっと両手を握り込んだ。そのまま聞き耳を立てていれば、「しかも、あそこまでしろとは頼んでないわよ!」と真奈美さんが更に怒鳴る。



「どうすんの、警察沙汰じゃない!」


「大丈夫だって」


「大丈夫なわけある!? 頭を殴って、倉庫に閉じ込めるなんて──」



 しかして、続けられた言葉に私は目を剥いた。



「──頭を殴った!?」



 聞き捨てならない発言に思わず声を張り上げ、飛び出して真奈美さんの胸ぐらに掴みかかる。悲鳴を上げた彼女に「どういう事よ!! 綾人くんに何したの!?」と凄めば、即座にアイジという男が私の腕を掴み上げた。



「痛……っ!」


「おーおー、さっそく男のニオイを嗅ぎつけやがって。どーも、六藤ちゃん」


「……っ、離して! アンタ、綾人くんをどこにやったのよ!!」


「さあ? 男漁るの得意なんだろ? 自分で地べた嗅ぎ回って探しゃいい」


「きゃ……っ!」



 髪を乱暴に引っ張られ、壁際に強く押し付けられる。頭や肩に痛みが走る中、男はいびつな笑みを描いて目の前に鍵をチラつかせた。



「ほぉら。ココにいるよ、六藤ちゃんの愛しのダーリンは。職員脅したらすーぐ鍵貸してくれたんだぜ、親切だね〜」


「……っ」


「さて、どーする? 六藤ちゃん。この鍵あげてもいいよ? 一発ヤラしてくれたらさ」



 くつくつと喉を鳴らしながら下卑た提案を投げ掛けられ、私は唇を噛んで彼を睨んだ。怪物のような大きな手が腿を撫で、次第に位置を上げて私の胸を鷲掴む。



「ひ……っ」


「くくっ……六藤ちゃん、意外と胸デカいよねえ。出会った時から思ってたんだよ、エロい体してんなって」


「……や、やだ、触らないで……っ!」



 押し返そうと試みるが、力の差は歴然としており抵抗など意味を成さない。少し離れてこちらを見ている真奈美さんはこの事態に些か怖気付いた様子ではありながらも、『ざまあみろ』とでも言いたげな顔で私を見ていた。おそらくこの状況がヤバいとは感じているが、助けるつもりはないのだろう。


 乱暴に揉みしだかれる胸に痛みを感じ、蔓延る焦燥と恐怖に涙が滲んだ。



「さて……楽しませてくれよ、六藤ちゃん。トイレん中にでも入るか? それともここで素っ裸にしてやろうか」


「……っや……」


「カレシ助けたいんだろ? なあ? だったら大人しく──」



 ──直後。


 ガンッ! と鈍い音が響いたと同時に、私を押さえつけていた男は突として真横に吹っ飛んでしまった。私は何が起きたのか分からず悲鳴を上げて瞳を瞬いたが、どうやら何者かがアイジを蹴り飛ばしたらしいとややあって理解する。


 横腹を押さえて苦しげに地面に転がっていた彼は憎らしげに眼球を血走らせ、一度その場に立ち上がりかけた。が、すぐさまもう一発分の蹴りを食らって再び地面に伏せてしまう。


 勢いよく地に叩き付けられた男は低く呻き、手の中の鍵を取り落とした。



「……なーんか、檸檬ちゃん一人で行かすの心配やな〜思うて、着ぐるみ脱いで追いかけて来てみれば……」



 あまりに一瞬の出来事で状況の把握が追いつかない中、その場にはもうひとつの影が伸びて底冷えするような低音が響く。



「何なん、アンタら。可愛い女の子に何しとんねんコラ」



 ざり、ざり、と一歩ずつ迫る足音。独特な訛りを含んで紡がれる低い声。

 奇抜な長髪を揺らした男は、怒りの色に染まる瞳で地面に這いつくばっているアイジと落ちた鍵を見下ろした。



「てっ……め……!」


「あー、なるほど。うちの職員を暴力で脅して鍵ブン取ったヤツがいるっては聞いとったけど……それ、アンタか。いやー、腹立ってつい足が出たわ。タイでキックボクシング見過ぎたかな」


「……っ」


「ほんで何? よくよく話聞いとったら、俺のダチにも手ェ出したんかいな。わっは〜、だっる。さすがに俺ちゃまプッツーン来たわ」



 彼──雷蔵くんは殺意すら孕む声で言葉を紡ぎ、振り上げた足で男の顔面の真横をドンッ! と踏み抜いた。アイジはあからさまに怯み、戦慄した表情で彼を見上げる。



「ここ日本やし、暴力振るった方が負けやいうのは分かっとんやけどさ」


「……っ」


「残念ながら俺ちゃま、しつけのよぉ出来た『良い子』じゃあねえのよ」



 一層声を低めた雷蔵くんは、長い髪を地面に垂らしながらその場に屈み、鼻先が触れ合うほどの至近距離にまで男へ迫った。ドスの聞いた声が紡がれ、その場の全員が息を詰める。



「──殺すぞワレ。俺の大事なモンに手ェ出すなや」



 瞳孔を見開き、静かなる怒槌いかづちを落として憤る彼。先程までの威勢はどこへやら、すっかり怯んで言葉を失っている男は顔面蒼白で彼の圧に竦み上がっていた。真奈美さんも同様に、無言のまま壁際で愕然と立ち尽くしているばかり。


 その隙に雷蔵くんは地面に落ちた鍵を拾い、それを私に投げつける。



「わ……!」


「檸檬ちゃん、多分それ旧館の倉庫の鍵や。ここは俺に任せて、檸檬ちゃんはアヤヤを助けたって」


「え……っ、きゅ、旧館の倉庫……? 分かるんですか!?」


「俺、昔ここのスタッフしとった経験あるんよ。あの倉庫、かなり狭くて中も真っ暗なはずやから……はよ行かんと、今頃泣いとるで。アヤヤ」



 狭くて暗い──その言葉にハッと我に返った。綾人くんはそういう場所を怖がる。彼が消えてから一時間以上も経過している今、ずっとそこに閉じ込められているのだとしたらまずい。



「綾人くん……!」



 その場を雷蔵くんに任せた私は胸に満ちる焦燥を振り切り、即座に地面を蹴って、綾人くんの元へと走り出した。


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