第29話 初めてのデート

 翌朝、スマホのアラームが鳴り響く中で私と綾人くんはどちらからともなく目を覚ました。何となく照れくさくて互いにはにかみ合った後、二人で寝室を出て出掛けるための準備を進める。


 昨晩バイトの面接に行ったまま飲みに出ていた雷蔵くんは、どうやら夜中に一度帰宅したらしい。が、部屋にはギターが残されているばかりで本人の姿はどこにもなかった。


「あいつ、自由人だからさ。昼も夜も関係なくフラフラしてて、たまに帰ってくるけど気が付いたらまた居なくなってんの」


 と、綾人くんは慣れているのかあまり気にしていない様子。

 おそらくよくある事なのだろう。「ギターが家にあるなら帰ってくるよ」と宣言する彼に頷きつつ、私は化粧の続きを始めたのだが──その時ふと、スウェットのポケットの中に何かが入っている事に気が付いた。


 何だろうかと手を突っ込めば、先日そこに押し込んだまま入れっぱなしにしていた檸檬の飴玉が手の中に収まる。



(あ……これ、入れっぱなしだったんだ)



 見る限り包みは破れていなさそうだが、思いっきり洗濯してしまった。大丈夫かな……と些か懸念しつつも、なんとなく捨てるのもはばかられて鞄のポケットへ忍ばせる。


 それから程なくして準備を済ませ、私達は家を出たのだった。



 ──かくして、数十分後。


 電車を乗り継いで訪れた遊園地のゲート前は、休日なだけあってすでに人でごった返していた。



「わあ……混んでるね。まだ開園したばっかりなのに」


「最近新しいアトラクションがオープンしたらしいから」


「あー、なるほど……テレビのCMで見たかも」



 頷きながら最後尾に並び、目深まぶかにキャップを被った綾人くんと肩を並べる。


 中学の時の遠足でも、動物園への入場を待ってこうして二人で肩を並べていたような気がする。出席番号が同じだったから、いつも綾人くんが隣にいたっけ。


 そんな思い出を振り返って懐かしんだ頃──不意に、私の耳はカツカツと響くヒールの音を拾い上げた。



「あら〜? もしかして、六藤さんじゃない!? やだー、偶然〜!」


「……!」



 聞き慣れた高い声。たちまち私の心臓が跳ねる。

 背筋を凍らせて振り返った先には、ハイブランドで全身をコーディネートしたの姿が。



「──真奈美さん……っ!?」


「あーっ、AYATOさんもいるんだぁ〜! こんにちは! 休日に二人でお出かけ? 仲良いのね〜羨まし〜」



 にこり、不気味な笑みを浮かべた真奈美さん。彼女がこれ見よがしに「AYATO」という名前を強調した途端、周りにいた数人の若い女の子が反応して振り返った。


 綾人くんは表情を引きつらせ、キャップを深く被って気まずそうに俯く。



(な、何で、真奈美さんが……)



 どくどくと嫌な音を立てる心臓。悪い想像が膨らんで密やかに生唾を嚥下する中、私はふと、先日彼女が『業務中に私用の連絡は控えた方がいいわよ』と忠告してきた事を思い出した。


 ……まさか、あの時に綾人くんが送ってきた『ウサギーランドに行こう』というメッセージを盗み見ていたのだろうか。



「……何、考えてるんですか……?」



 綾人くんを隠すように真奈美さんの前に立ち、警戒しながら問い掛ける。すると彼女は「ん? 何かおかしい? 私だって休日に遊園地ぐらい来るわよ」と朗らかに微笑んだ。しかし私は更に警戒を強める。



「……一人でですか?」


「あははっ、やだ〜! そんなわけないじゃない! 、いま先に並んで入場券引き換えてくれてるのよぉ」


「彼って……真奈美さん、彼氏なんかいないはずじゃ──」


「あ! ほら、来た! おーい、こっちこっち! !」



 ──アイジ。


 その名が紡がれた瞬間、今度こそ私の背筋はゾッと凍りついた。恐る恐ると振り返れば、先日私の家に押しかけてきた男が気だるげに近寄って来ている。


 ひゅ、と血の気を失って息を呑んだ刹那、綾人くんは素早く私を引き寄せて庇うように前に出た。彼が睨むと、相手もまた私達を睨む。



「……あァ? ははっ、誰かと思ったら。いつぞやのクソ女とイケメンくんじゃーん。仲が良さそうで何より〜」


「もー、アイジくんおっそーい」


「あー、悪ィ悪ィ。アトラクション乗り放題のチケット買えたから怒んなよ、真奈美」



 男は真奈美さんの肩を抱き、今しがた購入したらしいチケットを見せ付けて口角を上げた。綾人くんは眉根を寄せ、冷たい瞳で彼を睨み続けている。


 喧嘩になったらどうしよう、と綾人くんの衣服を掴んでいた私だったが、そんな心配を他所に真奈美さん達はすぐにその場を離れた。



「それじゃ、お先に〜。そちらもデート楽しんでね〜! あの有名なライムライトの、AYATOさんと♪」



 くす、と笑った彼女の発言で、綾人くんはあからさまに身を強張らせる。ゲートの向こうへと消える二人を黙って見送った後、彼は苦虫を噛み潰したような表情で居心地悪そうにキャップのつばを掴むと顔を隠した。


 一体どうしたのだろうかと訝った直後、すぐにその行動の意味を理解する。



「──あ、あの! ライムライトのAYATOさんなんですか!? 本物!?」


「!」



 突として綾人くんへ声を掛けてきたのは、私達と同じ年代だと思わしきオシャレな女性。それを皮切りに、知らない人が続々と彼の周りに集まってくる。



「わ、ホントだ! AYATOだ!」


「って事は、RAIZOさんもどこかにいるんですか!? 私、すっごくファンで!」


「私も! 応援してました!」


「写真撮ってくれませんか!?」



 大学生ぐらいの若い子を中心に、あっという間に綾人くんは女の子に囲まれてしまった。そこで私はようやく、彼や雷蔵くんが一時期ネット上で有名だったという話を思い出す。


 おそらく先程の真奈美さんの一言で、人混みの中に紛れていた彼のファンが『ライムライトのAYATO』という存在を認識してしまったのだろう。



「──え、嘘、AYATO? 見たい!」


「ライムライトとか懐かしー、何年前だっけ」


「一緒にいる女だれ?」


「さあ」


「本物のAYATOかっこいー」


「ライムライトって何? 有名?」


「あー、なんか昔流行ったやつね」


「RAIZOも探そー」



 ざわざわ、徐々に大きくなるざわめき。


 囲まれた綾人くんは気まずそうに顔を逸らし、「人違いなんで……」と呟くと私の手を引いて並んでいた列の中から出てしまった。逃げるように早足で立ち去る私達の背中にはいくつもの視線が突き刺さる。

 さすがに入場券のために並んでいた若者達は追ってこなかったようだが──人目を避けるように随分と遠くまで逃げた私達は、やがて人気ひとけのない道路脇のベンチに腰を下ろした。



「……ごめん。なんか目立っちゃって」



 溜息混じりに謝罪する綾人くん。私は慌ててかぶりを振る。



「だ、大丈夫だよ! それよりごめんね、綾人くんってあんなに人から知られてるんだね……! もっと配慮すれば良かった……」


「……昔、雷蔵の音楽作りの手伝いしてる頃に、無理矢理顔出しで動画の宣伝させられてた時期があって……それが思ったよりバズったせいで、今でもたまにああなる。絡まれるのが面倒だったから、今までSNSもやってなかったの」


「ああ、なるほど……」


「はー、最悪……さっきの女が余計な事言わなきゃ良かったのに……また並び直しだし」



 すっかり落胆し、キャップを深く被る綾人くんの隣に私はそっと腰を下ろした。気落ちしている彼の顔を覗き込めば、程なくして視線が交わる。



「遊園地、やめとく……?」



 問えば、彼は意外にも「やだ」と即答した。



「遊園地は絶対入る。どうやってでも入る」


「え……でも、ああいう人混みだとまた囲まれちゃうんじゃ……」


「それは嫌だけど……でも、遊園地は行きたいの」



 頑なに言い張る綾人くんに私は首を傾げた。そんなに遊園地好きなのかな……と考えていれば、「だって……」と彼はか細く続ける。



「〝初めてのデートで行くならどこがいいか〟って質問に、〝遊園地〟って……」


「……?」


「……中学の卒業文集で、六藤さんが、そう書いてたから……」



 キャップの鍔で隠した顔を赤く染め、綾人くんは小さな声で告げた。私は一瞬呆気に取られたが、ややあって意味を理解するとつられて頬に熱が集まる。


 卒業文集。確かに、そんな事を書いた記憶がある。


 多分、ものすごく……適当に。



「ま、まさか……それで遊園地に……?」



 目を見開いて尋ねれば、綾人くんは殊更ことさら頬を赤らめて下を向いてしまった。



「……分かってるよ。中学生の書いた卒業文集の言葉を鵜呑みにして、初デートで本当に遊園地選ぶとか、俺ダサい事してんなって……自分でも分かってるけど……」



 どうしても来たくて……と消え去りそうな声で紡いだ綾人くんの頬は驚く程に赤々と染まっていて、おそらく相当恥ずかしがっているのだろうと伝わる。


 けれど、私にはそんな彼がダサいとは思えなかった。

 むしろ何年も前に書いた些細な事を覚えていて、意識してくれた事が嬉しくて、愛おしくて。


 自然と表情が綻び、気まずそうな彼の手を握る。



「……行こっか、遊園地」


「……!」


「少しぐらい目立っても、きっと大丈夫だよ。もう一回並びに行こ。もし綾人くんがファンに襲われそうになったら、私が守るから! SPみたいに!」


「……そこまで頼りなくないから、俺」



 むす、と唇を尖らせて綾人くんは顔を上げた。まだほんのりと頬に赤みを残している彼の手を引いて立ち上がらせ、「ほら、行こ」と笑顔を向ける。


 綾人くんはしばらく黙っていたが、ややあって目尻を緩めると「うん」と頷いた。



「ねえ綾人くん、乗り物、何から乗る?」


「……ジェットコースターがいい」


「いいね、ジェットコースター! 私、ああいうの好き」


「俺も好き」



 他愛もない会話を繰り返して、手を繋ぎながら歩く。ただそれだけの、何でもない事なのに、まるで特別な思い出を作っているみたいだった。


 こうして、私達の初デートは幕を開ける事になる。


 けれどこの時、本当は言い合いになってでも、遊園地に行くのはやめるべきだったのだ。


 後にこの選択をとてつもなく後悔するという事を、私達は、まだ知らない。


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