第9章 潜入、都・秦安

第161話 煉瓦を投げて玉を引く

 史登しとうの遺体は柩に入れられ、椻夏えんか城内の土の中へと埋められた。

 葬儀などは行われなかった。ただ、戦死した兵士の遺体を埋葬するという行為が行われただけだ。史登以外にも、斬血の襲撃で死んでいった兵士達33名が同じく土の下に埋められた。

 閻帝国は儒教が国教として定められている為、火葬は行われない。

 光世は最後のお別れの時までずっと泣いていた。貰い泣きのような形で宵も泣いた。参列した遺族達も泣いていた。集まった遺族の数は相当なものだった。それだけ、たった1人の死で悲しむ人が大勢いるという事だ。

 これ以上、悲しみの連鎖を増やすわけにはいかない。だが、そうは言っても、戦が続く限り犠牲者は出てしまう。

 孫子の兵法にある『戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり』所謂、『戦わずに勝つ事が最も優れたやり方である』という真髄に到達できたなら、戦が起きても人は死なないだろうか。


 宵は1人、そんな事を考えるようになっていたが、考えている時間はあまりなかった。

 金登目きんとうもく全燿ぜんようの軍はもう椻夏の目前まで迫っているのだ。


「我々には悲しみに暮れている暇はない」


 椻夏の本営にある軍議の場で、李聞りぶんが言った。

 李聞は屋敷を襲撃された際、部下の兵達と共に宵達とは逆側へ脱出して無事だった。

 すぐに宵達を追う為、張雄ちょうゆうら校尉に兵を動かし、その到着で徐檣じょしょうは斬血の手から逃れ生き延びた。

 そして、逃亡した斬血は、陸秀りくしゅうという戦死したと思われていた朧軍の将軍の率いる部隊によって討ち取られた。

 その部隊の存在を、どうやら李聞は調査の末に既に掴んでいたようで、互いに連携し動いた事により、宵、光世、桜史は命を拾う事となったのだ。


 今回の軍議に参加している光世は、陸秀とは顔見知りのようで、直接その命を救われたが、史登を失った悲しみで、かなり憔悴していた。宵の後ろで、ただボーッと李聞を見つめている。


「金登目と全燿の軍はすでに椻夏の南50里 (約20km)の所まで来ている。椻夏周辺の地盤もほぼ固まり、攻城兵器も続々と到着しているという。斬血を退けた今、眼前の軍にようやく集中できる。光世には悪いが、すぐに戦闘配備とする」


 李聞の方針を聞いた光世はチラリと李聞の方を見るとコクリと頷いた。


「はい、問題ありません。戦……ですから」


 冷静な光世の返答に議場に集まっていた武将達は皆目を丸くしていた。

 宵自身、光世が憔悴し切っているので「戦いたくない」と言い出すのではと思っていたのだ。以前の自分ならばそういう気持ちになるだろう。だが、光世は前を向いていた。


 李聞はうむと頷いた。


景庸関けいようかん、及び威峰山いほうざんにも朧軍が侵攻しているが、状況はどうなっている」


「はい、景庸関の馬寧ばねい陳軫ちんしん両将軍には策を授けました。景庸関が破られる事はまずありません。威峰山の守備はよう先生ときょう将軍に任せてあり、問題ないと連絡が来ております」


「そうか。では我々は椻夏防衛に専念して良さそうだな」


「はい。李聞将軍」


 宵が答えると、李聞はまた頷いた。


「よし、今回の戦闘方針については、以前からも話しているように籠城戦となる。軍師達とも話し合い基本的にはこちらからは打って出ない」


 李聞の説明に、上座の王礼おうれいを含む一同は納得し頷いた。宵の作戦方針に異を唱える者はもはや誰もいない。あの血の気の多い張雄ちょうゆうでさえ、黙って頷いている。


徐檣じょしょう殿も新たに加わりましたので、今回の作戦について、改めて私から詳細を御説明致します」


 宵は白い羽扇を持って一礼すると、1歩前へ出た。

 一同の視線が宵へと集まる。


「椻夏には、東西南北4つの城門があります。朧軍はその城門を破ろうとしてくるでしょうから、定石通り、各城門に守備部隊を配置します。まず、北門に成虎せいこ殿。西門に龐勝ほうしょう殿、東門に張雄殿、そして、南門には李聞将軍が就いてください」


 呼ばれた武将達は「御意」と応えた。

 だが、不満そうなのは名を呼ばれなかった徐檣じょしょうだった。


「軍師殿。斬血との戦いで、最も戦果を上げたのは私、徐檣だと思っております。それを此度の戦に使わないとはどういうおつもりでしょうか? 納得のいく説明をして頂けますか?」


 古参の武将達の中でも臆する事なく堂々とした態度で不満を述べる徐檣。他の武将達の顔が明らかに曇った。

 だが、そんな反発は宵にとっては想定済みの事。涼しい顔で宵は徐檣へ切り返す。


「もちろん、徐檣殿の活躍のお陰で私達は窮地を脱しました。ですが、貴女と朧軍の全燿ぜんようは旧知の仲。万が一、戦場で貴女の心が全燿に動き、その一瞬の隙を突かれ、貴女の軍が瓦解してしまったら、こちらの策に大きな支障をきたすのです。だから──」


「軍師殿! この私を侮っていますね? 私は光世や桜史殿、そして鍾桂に多大な恩があります! 私を受け入れてくださった王礼将軍と李聞将軍にも! その恩に報いる為には、例え相手が旧知の仲であろうと心が乱れる事はありません! それでも心配だと言うのなら、金登目きんとうもくのクソ野郎の方へ私を充ててください!」


「貴女こそ、私を侮っています。私が貴女のような万夫不当の豪傑を使わない筈がありません。徐檣殿、貴女は紛れもない有能な人材です。ですが、適材適所というものがあります」


 宵の冷静な応答に、徐檣は舌打ちをしたが、その態度に痺れを切らした他の武将達が猛反発する。


「徐檣殿! いくら武芸に秀でているとは言え、軍師殿にその口の利き方はなんですか!」


「軍師殿の兵法と策のお陰で我々はここまで生き残ってこれた。もし軍師殿がいらっしゃらなければ我々はとうに死んでいた。適材適所でお前にも活躍の場を用意してくれていると言うのだから、大人しく最後まで話を聞け!」


 若年の成虎と年長の龐勝に咎められ、徐檣はしょんぼりして肩を竦める。

 宵は大人しくなった徐檣に再び諭すように話し掛けた。


「徐檣殿。貴女は軍を率いた経験はありますか?」


「ありません……」


「ならば尚の事、大事な一戦にいきなり軍を与え、敵にあたらせる事はできません。貴女1人では」


「……1人では?」


 徐檣が訊くと、宵は頷く。


「今回の戦略は、籠城と言いましたが、大きく見れば違います。籠城戦は、云わば目眩し。楽衛がくえい殿」


「はっ! ここにおります」


 黙って軍議に参加していた楽衛が1歩前へ出た。

 一同の視線が楽衛へと集まる。


「楽衛殿には城外へ出ておいてもらいます。機を見て朧軍の背後を突く別働隊として、精鋭8千を与え、副将に徐檣を就けます」


「え?」


「御意!」


 徐檣は意外な指名に驚いていたが、楽衛は顔色を変えずに拱手した。


「私が、楽衛殿の副将? 戦場に出ていいんですか?」


「はい。貴女1人に一軍を預ける事はまだできませんが、楽衛殿と一緒ならば任せられます。良く楽衛殿の指示に従い、副将としての役目を果たしてください。できますか?」


「もちろん!」


「そう言ってくれると思っていました。頼みましたよ」


「はい!」


 徐檣は初めての出陣に嬉しそうに返事をした。


「軍師よ。お前は先程、籠城戦は目眩しと申したな? 一体、どういう事だ?」


 李聞が疑問をぶつけると、他の武将達も興味深そうに宵へと視線を集めた。

 もはやこの視線にも慣れたもの。

 宵はコホンと咳払いをし、羽扇で顔を扇ぎながら武将達の前へと出た。まるで大学で教鞭を執る教授のように堂々とした態度で自身の策を説き始める。


「そもそも、籠城戦を進んで選ぶのは、味方の援軍の見込みがある、或いは、敵の兵糧に限界があるなど、籠城している側に長期的に見て勝機がある場合に限ります。それ以外で籠城戦を選択するのは、それ以外に選択すべき手段がないなど、やむなく城に籠る場合です」


「確かに、今回は白兵戦をやろうと思えばできる状況ではある。軍師殿の兵法があれば、白兵戦でもこちらに分があるかもしれない。しかし、それをわざわざ城に籠るというのは、こちらから無駄な犠牲を出さない為かと思っていました」


 冷静に状況を分析していた楽衛が言った。やはりこの男は、他の校尉達と違い、頭1つ抜けている。


「さすがは楽衛殿。私がわざわざ籠城戦を行なうのは、犠牲を出さない為というのもあります。ですが、それ以上に大きな狙いがあるのです」


「大きな、狙い?」


 張雄が興味深そうに呟いた。


「そう、戦わずして、敵を倒す。兵法で最も上策とされる戦略。要するに、敵同士を戦わせる為、“離間りかんの計”を仕掛けます」


「離間の計……仲間同士を争うように仕向ける計略」


 顎髭を撫でながら李聞が言うと、宵はコクリと頷いた。


「今回は、斬血の一件がありましたね。それを利用します」


 宵の言葉を聞いた武将達は、宵がどんな策を述べるのかと、皆目を輝かせた。光世と桜史は腕を組み、黙って宵を見つめている。


「斬血の騒動は、朧王から金登目へ直接下された勅命であり、金登目以外は斬血が私達椻夏の軍師を暗殺するという事を知らなかった、と、陸秀将軍が捕らえた斬血の1人が吐きました。斬血への命令は、私達軍師を殺す事。しかし、今回、暗殺対象外である徐檣殿も結果的に殺されそうになりましたね」


「は? 私は別に負けてないけど?」


「そこは問題ではありません。斬血の1人は貴女を朧へ連れ帰ろうとしましたが、それを阻まれて……いえ、貴女自身が断ったのでそれならばと殺そうとしました。違いますか?」


「ああ、まあ、そうね。私の事を殺すつもりだったわね」


「そうですよね。それが事実で、我が軍の中でもそのような認識になっています」


「……だから、何なのよ?」


 宵の話の意図が読み取れない徐檣は眉間に皺を寄せて宵に問う。


「斬血が徐檣殿をも殺そうとしたと、全燿が知ったらどう思うでしょう?」


「それは……悲しむ……かな? 分かんないけど」


「いいえ、大いに悲しみます。私の放った間諜の報告によれば、全燿は常に徐檣殿の身を案じているそうです。朧の戦の趨勢と徐檣殿の安否。毎日のようにその両方に心を動かされているのです。付け入る隙は、そこにあります」


「おじさん……まだ私の事、心配してくれてたんだ……」


 徐檣の大きな瞳が潤んだように見えた。そして徐檣は自らの人差し指を唇に当てて俯いた。


「そうです。貴女の事を想っている全燿が、金登目の指示で斬血が徐檣も殺そうとしたと噂を流せば、全燿は金登目に不信感を、いえ、怒りを覚えるでしょう。そして、逆に金登目の方には、『全燿が徐檣を殺そうとした事を恨んで謀反を起こそうと企んでいる』と流言を流すのです。そうなれば、互いに連携が取れなくなるどころか、互いを攻撃し始める。そして、混乱した金登目の軍を楽衛殿と徐檣殿の奇襲部隊が攻撃し、金登目を討ち取ります。上手く行けば、全燿は暗殺の命令を出した朧王のいる朧国には戻らず、徐檣殿のいる閻へ投降するかもしれません」


 宵の策を聞いた徐檣は、目の色を変えて宵の前に跪き拱手した。

 その行動に一同が驚愕する。


「感服致しました! 軍師殿! まさか、金登目を討つ機会を与えてくれるばかりでなく、おじさんがこちらに帰順する機会まで与えてくださるとは……!!

 この徐檣! 未熟者ではございますが、軍師殿のめいに従います! 感謝に堪えません!」


「徐檣殿、顔を上げてください。お礼は全て上手くいってから。ね?」


 今まで宵に対して冷たい態度だった徐檣だったが、宵の采配に手のひらを返したように従順になった。その様子を見た光世の顔には、僅かだが微笑みが見えた。

 だが、宵の策はこれで完成ではない。

 宵は光世へと身体を向ける。


「光世。私は間諜を使い、全燿と金登目にそれぞれ真実の情報と嘘の情報を流し、争うように仕向ける。何か、他に意見はある?」


 すると光世は懐から赤と黒の扇子を取り出し、広げずに大切そうに撫で始めた。

 宵はその様子を黙って見守る。


「宵の意見には賛成。金登目は討たなきゃならない。けど、間諜を使って離間の計を掛けるなら、もっと大きなところを混乱させられるかも」


「大きなところ?」


 真顔で宵は訊く。


「朧王から金登目に軍師達を暗殺するよう勅命が下り、金登目が斬血にそれを実行させようとしたという事を周大都督に伝える。おそらく密命で斬血が動いたなら、周大都督は軍師暗殺未遂の事は知らない筈。きっと、周大都督は、私と桜史殿が殺されそうになったと知れば心穏やかではいられないんじゃないかな。あの方は人格者だった。私と桜史殿がやむなく閻に降ったのだと理解してくれていると思う。だから、周大都督と朧王の間で蟠りが起きるかもしれない。そうなれば、朧軍全体の士気に影響を及ぼす事だってできる」


 やはり光世は腑抜けにはなっていなかった。

 大切な人を失っても、今を見つめ、先を考えている。

 傷心の光世に、一計を巡らせた・・・・・・・事に少しばかり罪悪感を感じたが、光世の心が折れていない事を知れて正直ホッとした。

 勿論、光世の言った事は、宵は既に考えていた。だが、周殷が光世や桜史の事を今も気に掛けているのかどうか微妙なところだったし、気に掛けていたとして、周殷が朧王と光世達のどちらを取る人物なのかも測りかねていたので、敢えて光世の口から話させた。周殷と共に過した事のある光世が言うのだからかなり信憑性は増した。

 それと同時に、光世の精神状態も見る事ができた。


 宵がさりげなく光世に仕掛けたのは兵法三十六計の1つ、『抛磚引玉ほうせんいんぎょくれんがげて、玉を引く』。議論の場では、稚拙な意見を出して、より良い意見を引き出すという意味でも使われる。

 宵が初めに出した意見が稚拙という事は決してないが、それよりも大きな痛手を負わせられる優れた意見を引き出せたのだから、この策は密かに成功したと言っていい。


 すると、桜史が感心したかのように顎を撫でながら宵を見つめて微笑んだ。

 桜史だけは、この計略に気が付いたようだ。


「ありがとう光世。周殷のところにも斬血の情報を流そう」


 光世は黙って頷いた。


「素晴らしい策だ、軍師よ。すぐに取り掛かろう」


 笑顔に満ち溢れた太守王礼が、立ち上がって言った。

 しかし、宵は首を横に振る。


「いえ、王礼将軍。今のはまだ準備段階です。私の本当の狙いは、ここからです。もし、この策が成功すれば、朧軍との戦が終わります」


 真剣な表情で言い切った宵。

 未だかつてない自信に、一同は騒然とした。

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