第66話 桜史、清春華に託す
~
光世が伝授した4千人から成る
だが、閻軍の兵もさほど死んではいないと言う。どうやら今回の戦闘は引き分けという事になりそうだ。
八門金鎖が破られた事について、光世の責任は問われなかった。むしろ徐畢には感謝の言葉さえ掛けられた。
「さて、次に今後の方針についてだが」
上座に座る大都督・
「正面から
「大都督、私はまだやれます! あの
大きな身体の徐畢が巨体に似合う大きな声で周殷に物申した。周殷も大柄だが、徐畢はさらに大きい。
「ああ、分かっている。陸秀と徐畢には引き続きここに留まり砦と景庸関の守備をしてもらう。動くのは俺と
「心得ました、大都督。して、軍師の2人はここに留めたままで良いですか?」
陸秀が訊くと周殷は桜史と光世を見た。
「桜史、俺と共に来い。光世はここに留まり、陸秀の軍師として砦と景庸関の守備を任せる」
「え!? ちょ、ちょっと待ってください、大都督! 私と桜史殿は別れるのですか??」
あまりに唐突な人事異動に光世は武将達の前で珍しく意見した。
「ああ、済まない。お前達を離れ離れにはしたくはなかったが、有能な軍師を1箇所に留めておくのは効率が悪いのだ。恋人と離れ離れになるのは辛いよな。だがこれも戦の早期集結の為。分かってくれ、光世」
「いや、私は別に桜史殿の恋人じゃありませんけど……」
困惑しながらも顔を赤らめた光世は口元を押え視線を逸らす。
「大都督。ならば私は何処へお共するのでしょうか?」
光世の反応を見て何とも言えない表情をした桜史が訊く。
「
大都督である周殷に言われ、何も反論出来ずに桜史は俯く。周殷は桜史と光世の事情を分かった上で2人を離すと言っている。確かに周殷の言い分は理にかなっている。葛州に光世、洪州に桜史。各方面に軍師がいた方が何かと都合がいい。
ただ、そうなった場合、光世が1人で軍師としてやっていけるのか。それが桜史は気掛かりだった。今までの光世を見ている限り、軍議ではほとんど発言せず、桜史の発言に同調するくらいだった。人当たりも良く協調性もあり、兵法の知識は桜史と同等くらい。しかしながら、人に指示を出すようなタイプではなく、決断力も乏しいという欠点がある。
光世は桜史を不安そうな顔で見つめている。どうにかしてくれ、と目で訴えかけているようだ。
「軍令……ですから断れませんね」
「ああ、済まない。だが、戦が終われば我々はお前達の友人探しに協力する。だから今は従ってくれ」
「分かりました」
桜史は周殷に拱手して頭を下げた。
その姿を光世は悲愴な面持ちでじっと見つめていた。
♢
日は傾き、地平線をオレンジ色に染めている。頭上には黒く重たい雲が立ち込めていた。
宛てがわれた砦内の幕舎に戻る途中、光世は物陰に桜史を引き込んだ。
そして周りに誰もいない事を確認すると、光代は弱々しい口調で話し始めた。
「ねぇ、何で別れる事了承しちゃったの? 私ヤダよ、こんな所に1人だなんて」
「仕方ないよ、軍令だから。俺達は一応軍に所属する軍師。幕賓ながら、機密情報を教えられ、作戦立案の権限も与えられてる。断るという選択肢はないじゃないか」
「貴船君は1人でも大丈夫かもしれないけど……私は無理だよ。耐えられない」
光世は俯き、茶色い髪の毛先を指で弄る。
「俺も厳島さんを1人にするのは気が進まないけど……」
「私、貴船君が一緒だったから今までやって来られた。こんな意味分かんない状況でも、貴船君が冷静に私を支えてくれたから頑張れたんだよ? お願いだから行かないで。何とか2人で居られる方法を考えてよ」
「そうは言っても……俺も戦の早期終結には
「そうだね……貴船君は宵の事が好きなんだもんね。そりゃ頑張るよね。私を1人にしてでも」
「な、何言ってんの? 厳島さん?」
突然の光世の発言に、冷静な桜史も困惑の色を浮かべる。
「知らないとでも思ったの? 貴船君の宵への接し方って、私と違うんだよ。私には今みたいに友達のように普通に話してくれるけど、宵に対しては、たどたどしいながらも女の子として接してたよ。バレバレだよ」
「ちょっと待って! 厳島さん、今そんな話関係なくない?」
「否定しないんだね」
「やめようそんな話。俺は瀬崎さんを厳島さんと同じ友達として助けたいと思ってる。それだけなんだからさ」
「……じゃあ……いや、いいや。ごめんね、面倒くさい事言っちゃって。私、不安でちょっとおかしくなっちゃってたね。普段はこんな事思ってないし、今の話は忘れてね!」
光世は何かを言いかけたが、言葉を飲み込み、無理矢理笑顔を作って見せた。
「いや、そんな……」
「さ、戻ろっか! まずはご飯食べて元気出そう!」
光世は笑顔で桜史の両肩を後ろから押して無理矢理歩かせた。
桜史は何も気の利いた事が言えず、空元気の光世に身を任せる事しか出来なかった。
♢
食事を終えると、光世は1人厠へ行くと言って幕舎を出て行った。
そう広くない部屋で下女の
常に笑顔を絶やさない明るい清春華。彼女は光世とかなり親しくなっていた。ここ最近、毎晩ほぼ同じタイミングで幕舎を出て行く。何をしているのかは聞かないが、気付いたら光世は清春華を自分の寝台に招き入れ一緒に寝ていたりする。
まるで姉妹のように仲が良い。
桜史は食器を片付ける清春華におもむろに話し掛けた。
「しゅ、春華さん」
光世がいない時に桜史の方から話し掛けたのはこれが初めてである。名前を呼んだのも初めてだ。そもそも、桜史は女性と話すのが大の苦手である。普段は無口で、まともに会話出来るのは光世とだけ。宵とは光世と一緒でないと緊張して話せない程に女性に対する耐性がない。
「え? はい」
清春華は少し驚きながらも、嬉しそうに応じた。初めて桜史から話し掛けられて嬉しいのだろう。
あまりにも綺麗な瞳を直視出来ずに桜史は清春華から目を逸らす。
「お、俺は明日、ここを出て洪州へ行く事になりました」
「え?? そうなのですか?? では、光世様も?」
「いえ、光世はここに残ります。なので……その……光世を支えてあげてください。彼女、この国の事まだ分からないだろうし、不安だと思うから……」
重ねた食器を食卓に一旦下ろすと、清春華は桜史の前にトコトコ歩み寄り、ペコリと頭を下げた。
「もちろんでございます。この清春華、桜史様の分まで光世様をお支え致します。……桜史様のお世話が出来なくなるのは残念ですが……」
「ありがとうございます。何かあれば俺に手紙をください。どんなに離れていても、必ず応えます」
桜史は清春華に頭を下げ拱手した。
すると、清春華は桜史の手を握った。
「頭を上げて下さい。下女に拱手など不要です。桜史様、貴方様はとても心優しいお方なのですね。あの……これまで桜史様にはほとんどお世話をして差し上げられませんでしたので、宜しければ今夜くらい、桜史様の望む事をして差し上げたいのですが……」
誘うような眼差しを見た桜史は首を横に振った。
「俺の事はいいです。今夜も光世と一緒に眠ってあげてください」
それだけ言うと、桜史は早速部屋の荷物を纏め荷造りを始めた。
「食器を片付けたらお手伝い致しますね」
清春華の気遣いの言葉に、桜史はただ「ありがとう」と応じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます