農家の娘

ナツメ

農家の娘

 小鳥がさえずり、カーテンの隙間から白い光が漏れる。

 目覚まし時計がけたたましい音を立てるその前に、私は目を覚ます。

 昨夜はぐっすりと眠れたから、頭も冴えて身体も軽い。

 なんていい朝! そう思ってカーテンを引くと――窓から見える畑の向こう側に、人間が倒れている。

 ああ……憂鬱だ。せっかくの気分のいい朝が台無し……まあしょうがないことなのだけれど。

 嫌なことは先に片してしまおうと、着替えて外に出た。


 十月ともなると朝は冷える。ネルシャツにジーパン、それにエプロンをかけただけでは薄着過ぎた。風がシャツの隙間に忍び込んで、ぶるりと身体が震えた。

 軍手をはめながら畑に近づくと、かすかに鈍いような香りがする。

 鉄のにおい。血のにおい。

 一番手前のうねの中ほどに、引き抜かれたマンドラゴラが、母親のお腹から出てしまった胎児のように転がっている。

 すっかり黙り込んだそれはちいさく、薬にするには向いていない。

 私はそのかわいい根っこを拾い上げ、エプロンのポケットにしまった。

 畑を通り過ぎると、においが濃くなる。

 窓から見た人影にたどり着く。倒れているのは男だ。

 男は、耳から血を流して、死んでいた。

 私はひとつため息をついて、いつものように死体をゴロゴロと転がして、家の裏の焼却炉まで運んだ。


 家に戻ると、朝食が出来ていた。ちょうどテーブルに皿を置いたところだった洸介こうすけに、「焼却炉お願い」と手話で伝える。

 洸介は頷いて、ジャンパーを羽織って出ていった。

 私はエプロンを外してフックにかけ、ポケットからちいさなマンドラゴラを取り出す。手を洗うついでに水洗いする。薬にはならないが、いつも記念に取っておいているのだ。

 乾燥させるために根っこを吊るして、そうしてやっと朝食にありついた。洸介の焼くチーズトーストは絶品だ。トロリと溶けたチーズが冷えた身体を温める。

 洸介はうちの家政夫……というより、召使いと言ったほうがいいかもしれない。家事から畑の世話から、さっきのような廃棄物の処理まで、なんでもやってくれる。

 昨夜は遅くに仕事を頼んだのに、ちゃんと朝食も準備してくれる。生真面目な男なのだ。

 ……私が夜に頼む仕事が、何のためかも知らないで。

 それとも、知っていて素知らぬ顔をしてくれているのだろうか。

 そんなことを考えていたら、昨夜のことを思い出して、下腹部の奥のほうがきゅん、と疼いた。

 ――そう、昨夜は特に悦かった。


 昨夜、日付が変わる頃、うちの敷地に誰かが忍び込んだ。

 今朝畑で死んでいた男――昨日の昼間、私が声をかけた男だ。

 男は、バカだった。

 バカだから、私の適当な誘い文句を真に受けて、のこのこと夜中にうちにやってきた。

 男が来たのを見計らって、洸介に頼んだ。悪いけど、いつもみたいに手前の畝から一本抜いておいて。

 時折依頼される深夜零時の奇妙な仕事にも、洸介は何も聞かず、ただ一つ頷いて外へ出た。

 私は自室に戻って鍵をかけ、窓を開ける。

 ベッドに潜り込んで、その時を待つ。


 しばらくすると、耳をつんざく、人間の言葉では表せない音。そして、


「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 命すべてを絞り出すような、男の断末魔。

 二種類の絶叫が混ざり合って、ビリビリと鼓膜を震わせる。

 その刺激が興奮に変わって、私はパンツに手を滑り込ませる。

 ――どうしてか、なんてわからない。

 私はなぜか、マンドラゴラの悲鳴を聞いても死ななかった。だけど、人を死に至らしめる程のその強烈な刺激だ。幼い日の私は、それを聞くとなにかモゾモゾとしたものを感じていたが、その感覚がなんなのかはわからなかった。

 ある日、うちに野菜泥棒が入った。そこに植えてあるものがなにかも知らないで引き抜いて、そして死んだ。

 その時、私は初めて、性感に目覚めたのだ。マンドラゴラの悲鳴と人間の断末魔が合わさったときに、正体不明だったモゾモゾとした感覚が、ビリビリとした快感に変わってしまった。

 それ以来、その快感が忘れられなくなった。最初のうちは自分でマンドラゴラを引き抜いてその声で耽っていたが、物足りなくなるのは時間の問題だった。

 鼓膜はまだ振動している。知られていないが、マンドラゴラの叫びを聞いてから死ぬまでには時間がある。その間、マンドラゴラは叫び続けているし、それを聞いた人間も、自分の意思とは無関係に喉から声が出続ける。

 私の右手も、もはや私の意思とは無関係に高速で動いて、私の喉からもか細く、熱っぽい声が溢れ続ける。

 マンドラゴラと、死にゆく男と、高まる私。

 そうして、三者の声が同時にぱたりと止んだ。


 そのまま私はぐっすりと眠りに落ちたのだが、私にとって価値があるのは死に際の声だけで、死んだ後の残骸には興味がないので、朝の始末はひどく面倒なのだ。洸介がいてくれて本当に助かっている。

 それにしても――。

 トーストを食べ終えて、コーヒーをすすりながら考える。

 こんな田舎で、昨日のようなバカを毎日のように見つけるのは難しい。せいぜいふた月にいっぺんがいいところだ。つまり私は、一年のほとんどを欲求不満で過ごしている。

 もっとごっそり、バカを見つける方法はないのか。なんだったら、自分たちから勝手に来て、自分たちでマンドラゴラを引っこ抜いてくれるようなバカを――。

 そう思った時、ふと思いついた。スマホを取り出して、動画投稿アプリを立ち上げる。思っていたような動画はすぐ見つかった。

 ――これだ。迷惑行為やバカなことをやって、動画にしてアップするようなバカ。こういうやつらを呼び込めばいい。こういう奴らなら率先してマンドラゴラを抜いてくれるはず。

 しかしどうやって呼び込もう。勝手に来て勝手に死んでくれるのが理想だ。こういった奴らは「来てください」と言って来るものではないだろう。むしろ、迷惑行為や危険行為をわざわざやりに行くわけだ。

 ……であれば、危険で迷惑だと言ってやればいいのか。

 どうせなら多くの人の目に触れるようにして、話題作りしてやろう。SNSで「迷惑だからやめてください」と言ったら、やめるどころかその被害が増えるのは想像に難くない。それを逆手に取るのだ。

「善良な農家が、バカな若者に畑を荒らされて困っている。しかもその畑にはマンドラゴラが植えてあり、荒らしに来たバカな若者は死んでいる」。こんなストーリーを、SNSでよく見るお気持ち表明の文体で書いてやれば――。


 私は動画アプリを閉じ、早速青い鳥のアイコンをタップした。

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農家の娘 ナツメ @frogfrogfrosch

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