相坂了の場合

 何事も、彼はしまいには「つまらない」と匙を投げる性格の持ち主だった。

 そんな主の元では、使用人も取引相手も嫌気がさす。


――そしてそれは、本人さえも。


とおる様。ご縁談相手が日暮家とは、また思い切りましたね」

 秘書を兼ねた使用人、マリアが急須を手に微笑んだ。

 彼女は名の通り、異国人だ。髪が蒲公英たんぽぽのように黄色く、瞳は空の色。文字通り異色を詰め込んだ彼女は、了の生きる国では誹謗中傷の格好の的だった。そしてそれは了も例外ではなかったのだが、今はその彼の秘書をしているのだから人生というものはわからない。

「知っていて意地の悪いことを言うなよ。この縁談はぼくの父が勝手に寄越したものだ。ぼくの意思じゃない」

「それはそれは……ですが日暮家ともなると、了様の『無理難題』が無理難題でなくなってしまいますわね」

 やりますわね、お父様。と、盆を口元に添えた彼女は軽やかに笑う。

「ああ、もう。どうして日暮家も了承なんてしたんだか」

 乱暴に頭を掻く了に、マリアは少しだけ真面目な顔になった。

「それは相坂の家が急成長を遂げられているからでございましょう。了様はお口と性格は残念な方でございますが、経営手腕は相坂の家にふさわしい……いえ、相坂の家の者以上の価値がありましょうから」

「君はぼくに棘を言わないと気が済まない性格タチなのか」

 まったく、と不貞腐れる了に、マリアは無言で笑みを返す。


――いつから、こんなやり取りが嫌ではなくなっていたのだろう。


 マリアは了と同じ学問所に通う子女だった。しかし異国特有のその見た目が、学問所の人間たちの誰もが気味悪がった。それは仕方のないことと言ってしまうほかない。なぜなら、を受けてきたのだ。異国人は自国よりも野蛮で品がなく、同じ人間ではないのだと。そのように教育されていたのだ。それは了も同じで、人を見下すことが常であった彼は、彼女のことも人間とは思っていなかった。

 けれど彼女はその世間の反応を丸っと無視し、他の生徒よりはるかに好成績で学問所を卒業したのだ。けれどそれが気に喰わなかった了は、彼女を秘書として自分の下に就けることで自尊心を保とうと画策した。嫌そうな反応を期待していたものの、マリアは気にした様子もなく受け入れた。


 ただマリアが秘書になったことで変わったのは了の方だった。


 すぐに匙を投げていた彼に、

「あら諦めるのですね。かしこまりました」

 と彼女は慇懃無礼に言ってのけた。それが了の対抗心に火をつけたことで、早々に物事を放棄するといったことがなくなった。

「異国人のくせに」と言うと、

「私からすれば了様も異国人ですけれどね」と返し、

「秘書のくせに緑茶もまともに淹れられないのか」と言ってみれば、

「あら、了様のお口には合いませんでしたか。こちら、了様のお母上様がお注ぎ下さったものでしたのに」と言った。

 お茶の件はというと、慌てて否定した了に「嘘です。私が淹れたものです」とマリアは顔色一つ変えずに打ち明けた。


 そんな秘書をもって数か月してから、口ではマリアに勝てないと了は諦めた。しかし突っかかるのをやめた後も、彼女の方から煽ってくることがしばしばあった。

「君は意外とかまってほしがりなんだな」

 どうせいつもと変わらぬ態度なのだろう、と内心期待をしていなかったのだが、そのときばかりはマリアの反応が違った。

「……張り合いがなくなって、つまらないだけですよ」

 長い間を置いた彼女は、雪のように白い頬を炎に熱されたかの如く赤くしていた。


 そのときのマリアの表情が、未だに了の脳裏に居ついている。


 うっすら笑ったマリアの表情は、いつもと変わらない。


――変わればいいのに。


 あの時のように、いつもと違う反応をしてくれればいいのに。

 胸中つぶやいた言葉を緑茶で喉の奥に流し込み、彼はマリアに聞こえないほどの声で言った。


「君が男だったらよかったのに」

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