春の匂いと君に雨。

雨瀬くらげ

春雨

 去年から春が嫌いになった。春なんて二度と来るな、と思っていた。


 それに加え、今日は今年の春初の雨の日で、二重で憂鬱であった。いや、三重かもしれない。


 図書館の中をもう何周もグルグルと回っていたが、彼女はしつこく僕を追いかけてきていた。僕が何をして彼女に気に入られているか知らないけれど、四月からずっとこの調子だ。クラス替えが行われて席が隣になって、僕は彼女のことを見たことも話したこともなかったのに彼女は僕のことを知っていた。気持ち悪くて仕方がない。


 昼から降り出した雨は未だ止んでおらず、止む気配すら見せなかった。うっかり傘を家に置いてきてしまった僕は、彼女がいなくなってから走って帰ろうと思っていたのだがもうすぐ完全下校の時刻を迎える。湿気で少しだけ重くなっている本を棚から出したり戻したり。時にはページをめくったりして時間をつぶしていたが、本当に帰ってくれそうにない。彼女は僕の守護霊とか背後霊か何かなのだろうか。どっちにしろやめてほしい。


 とうとう下校のチャイムが鳴って、女子の前で雨に濡れながら走って帰るという決意を固めた。妙なプライドを持つ自分が嫌いだが、変わろうとは思わない。変わる方が大変だろうし、無理にオリジナルの自分から離れたくなかった。


 特に借りたい本もなかったので、椅子に置いていた鞄を取り、図書館を出る。そのままの足で玄関へ向かった。彼女はまだついて来ていた。そして、僕が学生鞄を頭上に持ってきて走り出そうとした時だった。


「待って」


 誰に呼び止められたかは声だけで分かる。それなのに立ち止まってしまった理由はわからない。僕はゆっくりと彼女、島崎優香の方を見た。


「傘、入る?」


 紺色の傘を差し出す優香。気づけば、僕はその傘の中に入っていた。


 学校を出てから沈黙が続き、雨の音だけが大きくなっていった。傘の中にも雨が降りこんでくるようになったので、公園の東屋の中で休憩をすることにした。あまり良い思い出がない公園だったがそんなことを言っていられない雨だった。


 この街はお世辞にも都会とは絶対に言えないが田舎とも言えない。テレビもラジオもちゃんとあるし、自転車もバリバリ走っている。休憩する場所ならコンビニだって歩けばあるのだが、あいにく通学路にはない。通学路とは別の道を通ってコンビニに寄る生徒もいるが、僕も優香も今日は寄り道をする予定がなかったので正規の通学路で帰っていたのだ。


 鞄からタオルを取り出し、制服に染み込んだ雨水を吸い取る。まあ、ほとんど吸い取らないのだが。

 

既に散っていた桜の花びらが泥でさらに汚くなっているのを眺めた。


 この間も沈黙が続き、やたら空気が重たい。何か話した方がいいのだろうけど、これと言って話題が思いつかなかった。さすがに自分でも馬鹿だと思ったが結局、優香の目的について問うことにした。


「どうしてこんなに僕に付きまとうの?」

「興味があるから?」

「何で疑問形」

「さあ」


 会話が止まる。まずいな。普段から人と話慣れていないとすぐこうなってしまう。おそらく優香も僕と同じ人種なんだろう。


「僕は君に興味ないんだけど」

「私があるんだからいいじゃない」

「よくはないだろ」

「あなた……伊藤修君は私と友達になりたくないの?」


 やはり彼女も友達作りに苦労してきた者だ。普通あんな風に言って友達ができるわけがない。僕が彼女と同じ人種だから、今の言葉の真実を察することができたが、正直友達にはなりたくなかった。


「嫌だ」

「なんで」

「なんでって、そりゃあ、嫌だからだよ」


 明確な理由がない訳じゃない。でもそれは僕が誰にも話したことがない話だ。それをなぜ優香に話さなければならないのだろう。


「話したくもない?」

「そうだね」


 僕がそう言うと、優香はおもむろにベンチへ座り、僕にも隣へ座るよう勧めた。


「じゃあ、話そう」

「は? 話聞いてた?」

「聞いてたよ。修君こそ聞いてたの? 私はあなたに興味があるの。さあ、話して」


 僕が心底嫌そうな顔をしてやると、さすがに悪いと思ったのか「別に話したくないならいいけど」と付け加えられた。


 なぜこの話を今まで誰にも話さなかったのか。もういない彼女がまだ生きていたら話したかもしれないだろう。そもそも彼女がまだ死んでないかったらこの話は成立しない。


 優香は彼女の代わりにはならない。代わりになっ欲しくないし、変わりが欲しいわけでもない。話したくなかった。けれど離さなければ僕の身が持たない気もした。『彼女がいなくなったこと』で押しつぶされそうになっていた心が今にもぺしゃんこになりそうなのだ。


 話してもいいのだろうか。


 僕は迷うことを止め、あの頃の話を始めた。

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