異形『界』道中 — 追憶 —

森林公園

第一章:『天狗(てんぐ)』

第一話 思い出すのは

 胸を撃たれたらどうすれば良かったんだっけ? 金属がずるりと引き抜かれる感覚はぞっとしない。穴を塞がなくては、咄嗟に思うが、それができる軟膏も包帯も何もかも……持ち合わせてはいなかった。


 仰向けになって、自分を跨ぐ男を見上げる。その顔形はあのシベリアで一緒だった上司の若いころにそっくりだった。「……忠治さん」。呼ぼうとして、血の泡がごぽりと気管から迫り上がって来た。自分の血液で酷くむせる。


 それがようやく治まった刹那、顔の脇に自分を貫いた硬い金属が振り落とされた。相手が笑いもしないので、こちらは口角を上げてやる。だんだんと気管がひゅーひゅーと鳴るようになってきた。シャツと背広の間を、温かい液体が広がって流れて行く。


「誰だって死ぬさ……」


* * *


 あの春先。田舎の太い側溝の脇で、男の子がしゃがみ込んでいる。忠治はその豪農の館主と話していて不在だった。二人は館主の前で大喧嘩してしまい、それで追い出されて外にいる。


 夏の手前だが、昼過ぎの日差しは容赦なく、千太郎の真っ黒な髪や学生服に降り注いで熱を持って見えた。


 島根は、その触れれば熱いであろう黒髪に手を差し出しかけて止めた。彼は自分の息子ではないし、そういう関係でもない。『触れることは許されない』ように感じられている。まるで禁忌のような存在に感じている。


 彼の黒目ばかりの瞳は伏せられていて、透明な側溝に注がれている。田舎の側溝の水は美しく、水草とともにオタマジャクシが泳いでいた。真っ黒で色の濃淡がない小さい生き物が、水流に逆らって泳いでいるのを見ているのである。


「彼らの人生なんて、俺たちの人生と比べれば短いもんだよな」

「何にも知らないんだね、ヒキガエルは十年程生きるよ」

「それ、ヒキガエルのおたまじゃくしなの」

「……違うけど」


 そう言って千太郎は『お前との会話は終わりだ』とばかりに黙り込んでしまった。島根は、大きな石榴の樹の下に寄りかかって煙草に火を点ける。館の方へ目線を向けるが、忠治は一向に出て来そうもなかった。


 彼は人の懐に潜り込むのが上手い、だから島根は彼を頼っている(自分だと胡散臭くて失敗することが多いのだ、特に田舎に住む相手には)。


 その代わりと言っては何だが、忠治は人に寄り添い過ぎて、とても傷つきやすい老人だった。そんな彼を連れ回すことに罪悪感がわかないわけじゃない。その代わりに自分を責めてくれる千太郎の存在が、島根には実は有り難かった。


「誰だって死ぬさ……」


「……え」


「それは平等だよ、こいつらも死ぬし、お前も俺も死ぬ。自分の意識がいつか無くなってしまうだなんて、ゾッとするよな」

「意外だな、坊主にも怖いもんがあるなんて」


「怖いよ、自分がいなくなるのが怖い。でもそうだな、あの人と喋れなくなったり、逢えなくなることの方が何より怖い」


 千太郎はそう早口で言うと、「だから俺は老衰するまで死なないよ」と言ってすくりと立ち上がった。館から吊られた玉ねぎや袋に入ったジャガイモ、それから菜の花などを抱えた忠治が出てくるのが見えた。


 ……忠犬、ここに極まれり。などと、自分にも当て嵌まることを考えながら、煙草を砂利道に放って革靴で踏み消した。忠治の腕からジャガイモが転がって側溝に幾つか落ちた。それをこんな時に思い出すなんて……。


* * *


「あー……、分かった」

「……」

「君は似ているんだ、忠治さんだけじゃあない、あの坊主とも」


 顔を横に倒す。もう苦しさなんてものは大分薄れて来ていた。気づいてしまった事実が可笑しくてたまらない。島根は自分を貫いた相手を片方の目で見上げると、さいごにけたたましく嗤い声を立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る