慕容徳19 遺骸を秘匿す

慕容德ぼようとく長安ちょうあんに残されていた兄、こと慕容納ぼようのうの息子である慕容超ぼようちょうを出迎えようとする。


後秦こうしんにあって死の恐怖と隣り合わせであった慕容超は偽名を用いて潜伏、逃亡生活を送っていた。やがて梁父りょうほに至ったところで慕容法ぼようほうの副官である悅壽えつじゅに保護され、慕容法のもとに送られた。ただし慕容法は言う。


「昔、かん昭帝しょうていの時代に、胡乱者うろんものが、死んだはずの皇太子の名を騙った。どうして此度の名乗りがそのたぐいでないと言える!」


このため慕容法はまともに慕容超を礼遇しなかった。ただしその報を聞いた慕容徳は大喜びし、騎兵三百でもって出迎えさせている。慕容超が南燕なんえんに到着すると、北海ほっかい王、侍中、驃騎大將軍、司隸校尉に任じられた。一言で言えば「くっそ重役」である。


同年秋、近くの川が枯れ果てる。その川には神が住んでいると言われており、齊郡せいぐんの政が隆盛となれば大いに水を湛えるのだという。慕容徳、どういうことやねんといらだった。


そして冬にもなると、慕容徳の病状が悪化。慕容超が快癒のためにも祈祷師を呼びたい、と申し出る。しかし慕容徳は「君主の命は天に定められるところ、ならばお前にどうにか出来るものではない」と却下する。さらに乞うてくるも、さらに却下。

するとその夜、慕容徳の夢枕に父、慕容皝ぼようこうが立った。


「お前は結局子もなせなかったと言うに、いまだ超を皇太子にも据えておらんのか! そこを曖昧にしていては、野心を抱く不届き者がどう動き出すとも知れんぞ!」


夢から覚めた慕容徳、段季妃だんきひに言う。


「明鑑なるお父上がおれに仰った内容をかえりみるに、どうやらおれの死も間近のようだ」


後日、東陽殿とうようでんにて慕容超を皇太子に任じるための儀式を大々的に行う。しかし折悪しく、宮殿を地震が襲った。儀式に参列した臣下らは恐慌のあまりそれぞれに割り当てられた席次を無視して逃げ出そうとするありさま。本来慕容徳はそれを咎めるべき立場であったが、慕容徳もまた恐怖に駆られ、東陽殿から逃げ出した。


そして、その夜。病状がいよいよひどくなる。なので段季妃や娘、そして慕容超を呼び、今後の振る舞いについて告げ、死刑以下の犯罪者については大赦をなし、国内で家督を継ぐべき子供らについては爵位の二階級特進をなすよう語る。


慕容超の手を取り、言う。


「うまく明け方まで生きながらえることが叶ったなら、参内してくる者らには、おれから直接お前に家督を譲ると伝えよう。なに、後悔はない」


それから娘に目を向け、何かを伝えようとした。が、気力がもったのはそこまで。ぐったりとしてしまう。


「陛下、陛下! ならば中書を呼び、改めて超を皇太子に据えると宣言させましょう、よろしいですか!?」


叫ぶ段季妃に、慕容徳は最後の気力を振り絞り、うなずく。こうして慕容超の皇位継承が確定した。


同日夕刻、慕容徳は顯安殿けんあんでんで死んだ。しんの暦で言えば義煕ぎき元年のことである。


享年 70 、在位は 6 年。その遺体を葬るにあたり、自らが納められている棺のほか、ダミーを 10 ばかり用意し、それぞれを各地に散らばせた。なのでその亡骸の所在は明らかになっていない。ただ、それでは格好がつかないので、仮に東陽陵を陵墓とすべく定められた。


諡は獻武帝、廟号は世宗である。




初,德迎其兄子超于長安,及是而至。德夜夢其父曰:「汝既無子,何不早立超為太子,不爾,惡人生心。」寐而告其妻曰:「先帝神明所敕,觀此夢意,吾將死矣。」乃下書以超為皇太子,大赦境內,子為父後者人爵二級。其月死,即義熙元年也,時年七十。乃夜為十餘棺,分出四門,潛葬山谷,竟不知其屍之所在。在位五年。偽諡獻武皇帝。


初、德は其の兄の子の超を長安にて迎え、是に及びて至る。德の夜に夢せるに其の父は曰く:「汝、既に子無かりきに、何ぞ早きに超を立て太子為らしめんか、爾らずんば、惡人に心生ざん」と。寐むるに其の妻に告げて曰く:「先帝の神明なるに敕せる所、此の夢が意を觀るに、吾れ將に死にたらん」と。乃ち書を下し超を以て皇太子と為し、境內を大赦し、子の父が後為る者の人の爵を二級とす。其の月に死す、即ち義熙元年なり、時に年七十。乃ち夜に十餘の棺を為し、分けて四門に出で、潛かに山谷に葬り、竟に其の屍の所在を知らず。在位五年。獻武皇帝と偽諡す。


(晋書125-19_傷逝)


○十六国春秋

超潛變姓名逃歸,行至梁父,鎮南長史悅壽以告兗州刺史、南海王法,法曰:昔漢有卜者,詐稱衛太子,今安知非此類也!乃不禮之。備德聞超至,大喜,遣騎三百出迎。及至,封為北海王,拜侍中、驃騎大將軍、司隸校尉。秋九月,汝水忽竭,水有神,化隆則水生,政薄則津竭,備德甚惡之。冬十一月,備德寢疾,北海王超請禱之。備德曰:人主之命,長短在天,非汝水所能制也。固請,不許。是夜,備德夢其父皝曰:汝既無子,何不早立超為太子?不爾,惡人生心。寤而告其妻曰:先帝神明所敕,觀此夢意,吾將死矣。戊午,引見群臣於東陽殿,議立超為皇太子。俄而地震,百僚驚恐,竄越失位。備德亦不自安,輿輦還宮。至夜,其疾益甚,呼段后、公主及超,申以後事,大赦境內殊死已下,子為人後者人爵二級。乃執超手曰:若得至曉更見公卿,顧托以汝,死無所恨。舉目視公主,欲有所言,竟遂不能。段後大呼曰:今召中書作詔立超,可乎?備德開目頷之。乃立超為皇太子。是夕,薨於顯安殿一作堂,即晉義熙元年也。時年七十,在帝位六年。乃為十餘柩,夜分出四門,潛葬山谷,竟不知其尸之所在。虛葬於東陽陵。偽謚獻武皇帝,廟號「世宗」。




なんで十六国春秋がこんなに詳細なんですかwww


いやぁ、改めて思いますけど、慕容については晋書に記された系統以外の歴史書が、じつに豊富に残されていたんでしょうね。そういう史料事情が五世紀近くもあとの歴史書からうかがえるとかやばすぎませんかね? 下手すりゃ南朝諸王朝よりも遥かに重視されてたってことになりませんかね?


まぁ、このあたりは約一名のキチガイによる保管によって思いがけない文献が散逸を免れた、みたいなケースもありそうですし、あんま迂闊に当時の政態に基づいてどうこう囀るべきでもなさそうだよなァ、とも思います。


ともあれ、こうして慕容徳が死亡。ここからはいよいよ南燕の破滅へのストーリーが展開されるわけです。

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