慕容徳13 斉郡順撫
即位の翌年、
「禮では、大夫の墓を城のそばに立てぬようにせよ、という。それは城を、ひいては国を圧迫するのにつながるから、と。晏嬰殿は古の賢人、禮にもよく通じておったろうに、生きているときには郊外に住まい、死んでからは城のそばに葬られている。これには、なにも意図がなかったのだろうか?」
ここに進み出るのが、
「
平仲は倹約を旨としておりました。自宅を必要以上に拡張せぬことで、倹約の美を世に知らしめたのでしょう。そういった粗末な家にいたお方が、どうしてあえて葬られる先を指定いたしましょうか!
だのに、あえて城の近くに葬られたのには、我が先祖の思いを、少しでも斉公らに忘れずにいてほしい、という遺族らの思いのゆえだったのでしょう」
この発言を重んじた慕容徳、それから晏謨を引き連れ行幸する。
「死なぬ古人なぞ、かつてあったろうか!」
そこには自分の死後への憂悶の思いがあった。
その後晏謨に齊の地勢や賢人哲人の事績を問えば、その詳細な回答は歴代のあらゆる偉人に及び、かつ地面に描かれたのは見事な地図だった。この深い知識を慕容徳は慶賀し、晏謨を尚書郎に任じた。
その後、鍜治の拠点を
明年,德如齊城,登營丘,望晏嬰塚,顧謂左右曰:「禮,大夫不逼城葬。平仲古之賢人,達禮者也,而生居近市,死葬近城,豈有意乎?」青州秀才晏謨對曰:「孔子稱臣先人平仲賢,則賢矣。豈不知高其梁,豐其禮?蓋政在家門,故儉以矯世。存居湫隘,卒豈擇地而葬乎!所以不遠門者,猶冀悟平生意也。」遂以謨從至漢城陽景王廟,宴庶老于申池,北登社首山,東望鼎足,因目牛山而歎曰:「古無不死!」愴然有終焉之志。遂問謨以齊之山川丘陵,賢哲舊事。謨曆對詳辯,畫地成圖。德深嘉之,拜尚書郎。立冶于商山,置鹽官于烏常澤,以廣軍國之用。
明年、德は齊城に如き、營丘に登り、晏嬰塚を望み、顧みて左右に謂いて曰く:「禮にて大夫は城に逼りて葬ぜずとす。平仲は古の賢人にして禮に達せる者なるに、生くるに近市に居し、死すに近城に葬らる、豈に意有らざらんか?」と。青州の秀才の晏謨は對えて曰く:「孔子は臣が先人の平仲を賢なると稱す、則ち賢ならん。豈に其の梁の高きを、其の禮の豐かなるを知らんか? 蓋し政は家門に在り、故に儉を以て世を矯ず。居を湫隘に存し、卒に豈に地を擇びて葬ぜんか! 門の遠からざる所以、猶お平生の意を悟らしめんと冀えばなり」と。遂に謨を以て從え漢の城陽景王の廟に至り、庶老と申池で宴じ、北に社首山に登り、,東に鼎足を望み、因りて牛山を目し歎じて曰く:「古に不死無し!」と。愴然として終焉の志を有す。遂に謨に以て齊の山川丘陵、賢哲の舊事を問う。謨は曆對詳辯し、地に畫きて圖を成す。德は深く之を嘉し、尚書郎に拜す。冶を商山に立て、鹽官を烏常澤に置き、以て軍國の用を廣む。
(晋書125-13_政事)
あー、と思いました。そりゃ慕容徳だって、よそもんの地に来たばっかの人間がいきなり君臨できるなんざ端から思っちゃいないわな。ここからどう斉の民に王として認められるか、そこを考えなきゃいけないわけで、しかも実際にそのために行動してたわけだ。
けど
「古無不死!」には、後継者らしい後継者もないなか異地で王となり、では誰にこの先を受け渡すか、に対する絶望みたいなものも感じられてなりません。あと二十年早く斉の地に入植できてたら全然違ったろうけどね……そして、これも意味のない if ですな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます