慕容徳11 即位
慕容徳、ついに皇帝位僭称。あわせて建平と改元し大赦をなした。城の南に仮の祖霊廟を建て、そこに使者を出し、即位の儀式の完了を報告する。
後日、慕容徳は臣下らと宴会を開く。宴もたけなわとなった頃、慕容徳、笑いながら言う。
「朕は非才なる身の上ながら、畏れ多くも朝議にては、南に卿らを臨む身となった。上座にこそつくものの驕り高ぶれようはずもなく、夕方ともなれば、この座にあることを恐れだす始末だ。こんな朕は、さて、過去の皇帝と比べるならば、誰に当たるのであろうな」
進み出るは、
「陛下が大燕を復興なさったこの偉業、まさしく
うまい! 鞠仲さんに帛千匹!
いきなりそれを言い出す慕容徳に、むしろ鞠仲はビビり上がる。そんな多量のご褒美、到底受け取れません! と、辞退を申し出てきた。
「なんだ、では卿は朕で遊んだのか? 朕は遊びではないぞ! 卿は答えを随分と盛ったものだが、到底実情に沿うものではない! ならばこちらも褒賞を盛ってみせたのだ! 実際に下すものでもないのだから、そう縮み上がるな!」
すると今度は、
「天子に戲言無し、と仄聞しております。ならば忠臣にも虚妄に満ちた答えがあってはなりますまい。ただいまの応答を伺いまするに、上も下もが欺きあっておられる。これは君臣どちらにも手落ちがあると申すしかございますまい」
この言葉には慕容徳も大喜び。韓範に絹五十匹を下賜した。このやり取りをきっかけとし、人々は競うように進言をなすようになり、朝廷には直言の士が多数となったと言う。
四年,僭即皇帝位於南郊,大赦,改元為建平,設行廟于宮南,遣使奉策告成焉。進慕容鐘為司徒,慕輿拔為司空,封孚為左僕射,慕輿護為右僕射。遣其度支尚書封愷、中書侍郎封逞觀省風俗,所在大饗將士。以其妻段氏為皇后。建立學官,簡公卿已下子弟及二品士門二百人為太學生。後因宴其群臣,酒酣,笑而言曰:「朕雖寡薄,恭己南面而朝諸侯,在上不驕,夕惕於位,可方自古何等主也?」其青州刺史鞠仲曰:「陛下中興之聖後,少康、光武之儔也。」德顧命左右賜仲帛千匹。仲以賜多為讓,德曰:「卿知調朕,朕不知調卿乎!卿飾對非實,故亦以虛言相賞,賞不謬加,何足謝也!」韓範進曰:「臣聞天子無戲言,忠臣無妄對。今日之論,上下相欺,可謂君臣俱失。」德大悅,賜範絹五十匹。自是昌言競進,朝多直士矣。
四年、僭じ皇帝位に南郊にて即き、大赦し、改元し建平と為し、行廟を宮が南に設け、使を遣りて策を奉じ成を告げしむ。進めて慕容鐘を司徒と為し、慕輿拔を司空と為し、封孚を左僕射と為し、慕輿護を右僕射と為す。其の度支尚書の封愷、中書侍郎の封逞を遣りて風俗を觀省せしめ、在す所にて將士を大饗す。其の妻の段氏を以て皇后と為す。學官を建立し、公卿已下の子弟、及び二品の士門二百人を簡じ太學生と為す。後に因りて其の群臣と宴じ、酒の酣なわなるに、笑い言いて曰く:「朕は寡薄なると雖ど、恭くも已に南面し諸侯に朝じ、上に在りて驕ぜず、夕に位を惕る。古より何ぞの主に方ぶべきや?」と。其の青州刺史の鞠仲は曰く:「陛下が中興の聖後は少康、光武の儔なり」と。德は左右に顧命し、仲に帛千匹を賜う。仲は賜の多きを以て讓を為さば、德は曰く:「卿は朕を調うを知るか、朕は卿を調うを知らざるか! 卿が飾對は實に非ず、故に亦た虛言を以て相い賞ず。賞に加うに謬たらず、何ぞ謝すに足らんや!」と。韓範は進みて曰く:「臣は聞く、天子に戲言無しと。忠臣に妄對無し。今日の論,上下相い欺かば、君臣の俱に失せると謂いたるべし」と。德は大いに悅び、範に絹五十匹を賜す。是より昌言は競い進められ、朝に直士多かりき。
(晋書125-11_規箴)
うーんこれ、どこまで信じたもんですかね……? 本当だったら名君だし、これをそのまま引き受ければ、
とりあえず、このやり取りそのものはかっけえと思うのです。やや大喜利気味ではありますが。
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