慕容徳5 南夏承制

北魏ほくぎ軍、今度は中山ちゅうざんへの攻撃を開始する。慕容寶ぼようほうしょうに出奔、主なき中山では慕容詳ぼようしょうが皇帝を自称。つまりグダグダである。


この頃、後秦こうしんに遣わせていた劉藻りゅうそうが帰還した。後秦専属の占い師高魯こうろの娘婿である王景暉おうけいきを引き連れてだ。王景暉は長安ちょうあん渭水いすい河岸で発見された「天命燕」と刻印されている赤い玉璽と、予言書を携えていた。予言書にはこうある。


有德者昌 無德者亡

德受天命 柔而復剛

 徳を有する者は栄え、なき者は滅ぶ。

 天命は徳ある者に下り、

 柔和なるものが剛くなる。


また、こんな歌も聞こえてきた。


大風蓬勃揚塵埃 八井三刀卒起來

四海鼎沸中山頹 惟有德人據三台

 びゅうと吹く大風、砂塵を上げる。

 八井三刀はついには目覚め、

 天下は沸騰、中山まるハゲ。

 ただ、徳を有するお方が三台を治む。


おや、偶然ですね? ぎょうには徳の字をいただくお方がいらっしゃいますね? そんなわけで臣下らは慕容徳に即位を薦める。慕容詳の皇位僭称、冀州きしゅうに迫る拓跋、慕容宝は生死不明。この状態では、確かな柱が必要だ、というわけだ。ただし慕容徳は却下した。


それから間もなくし、慕容達ぼようたつ龍城りゅうじょうより鄴にやって来た。そして慕容宝の生存を語る。これにより慕容徳即位の要請は一度止んだ。また改めて慕容宝からの書状がもたらされる。丞相、冀州牧として、南方の統治を全権委任する、というものだった。




時魏師入中山,慕容寶出奔于薊,慕容詳又僭號。會劉藻自姚興而至,興太史令高魯遣其甥王景暉隨藻送玉璽一紐,並圖識秘文,曰:「有德者昌,無德者亡。德受天命,柔而復剛。」又有謠曰:「大風蓬勃揚塵埃,八井三刀卒起來,四海鼎沸中山頹,惟有德人據三台。」於是德之群臣議以慕容詳僭號中山,魏師盛于冀州,未審寶之存亡,因勸德即尊號。德不從。會慕容達自龍城奔鄴,稱寶猶存,群議乃止。尋而寶以德為丞相,領冀州牧,承制南夏。


時に魏師は中山に入り、慕容寶は薊に出奔し、慕容詳は又た僭號す。劉藻の姚興より至るに會し、興が太史令の高魯は其の甥の王景暉を遣りて藻に隨わせ玉璽一紐、並びに「有德者は昌んにして德無き者亡ばん。德は天命を受け、柔にして復た剛し」と曰う圖識秘文を送らしむ。又た謠に有りて曰く:「大風の蓬勃し塵埃を揚げ、八井三刀は卒に起き來、四海は鼎沸し中山は頹し、惟だ德人の三台に據せる有り」と。是に於いて德の群臣は議し慕容詳の中山に僭號し、魏師の冀州に盛り、未だ寶の存亡の審らかたらざるを以て、因りて德に尊號に即くべく勸む。德は從わず。慕容達の龍城より鄴に奔り、寶の猶お存すを稱せるに會し、群議は乃ち止む。尋いで寶は德を以て丞相と為し、冀州牧を領し、南夏を承制せしむ。


(晋書125-5_仇隟)


○十六国春秋

先是姚興皇初中,歲在丁酉,於長安渭濵得赤玉璽,上有文字曰天命燕。




「この子は徳ある人物になるに違いない!」という慕容皝の叫びがここで回収されました!(しろめ)


っつーか、徳の字を諱むようになったら当時の言論人地獄ですよね? まぁいいですけど。

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