屈遵 魏主こそ湯武
博学にして数多くの技能にも長け、
要はトップ幹部である。
慕容永が滅ぶと、
博陵太守の
また博陵城にいた副官も、
多くの手勢を連れ、逃げ去ってしまった。
屈遵、しかし残された官吏や民に言う。
「
そして
これは、天が
人が燕を見放した証。
翻るに、
その神武は天与のものとしか思えず、
降付者をよく寧撫されていると聞く。
加えて百万もの兵に号令を掛ければ、
兵らは一体となり、動く。
その統率力に比肩するのは、
ならば我らは、
魏主の元に帰そうではないか。
この良ききざしに沿わねば、
わざわいに飲み込まれようぞ」
そうして魏に帰服、中書令に任じられた。
様々な文書の管理、命令書の起草などは、
文誥を摠攝し、屈遵の手に委ねられた。
屈遵,字子度,一作子皮,昌黎徒河人也。博學多才藝,為慕容永尚書僕射、武垣公。永滅,垂以為博陵令。魏太祖南伐,軍次魯口,博陵太守申永南奔河外,髙陽太守崔宏東走海濱一作渚,屬城長吏率多逃竄,遵獨告其吏民曰:往年寶師大敗,今茲垂征不還,天之棄燕,人弗支也。魏主神武命世,寛仁善納,御眾百萬,號令若一,此湯武之師,吾欲歸命,爾等勉之,勿遇嘉運而為禍先。遂歸魏,以為中書令,出納號令,摠攝文誥,皆信委之。
屈遵、字は子度。昌黎の徒河の人なり。博學にして才藝多く、慕容永が尚書僕射、武垣公と為る。永の滅せるに、垂は以て博陵令と為す。魏太祖の南伐し軍の魯口に次せるに、博陵太守の申永は河外に南奔し、髙陽太守の崔宏は海濱に東走し、城に屬す長吏は多くを率い逃竄せど、遵は獨り其の吏民に告げて曰く:「往年の寶が師の大敗し、今茲に征せるを垂んとし還ぜざるは、天の燕を棄て、人に支うる弗きなり。魏主が神武は世に命ぜられ、寛仁なること納むに善く、眾百萬を御し、號令せば一なるが若し、此れ湯武の師なれば、吾れ歸命を欲す。爾らは之に勉むべし。嘉運に遇す勿りせば禍先為らん」と。遂に魏に歸し、以て中書令と為し、出納の號令、文誥を摠攝し、皆な之に信委す。
(十六国52-12_胆斗)
さ崔宏さぁーん! なんか屈遵さんの当て馬にされてませんかァーッ!?
しかしなんでしょうね、後燕臣下たち、やけにかっこいい人ばっかりですよ……こういう人のことぜんぜん知れずにいたのは恨めしいところではあるよなぁ。まぁただ、どうしても登場のしかたがワンショット的ではあるから、なかなか「線」「面」で事績を把握しづらいのがつらいところ。
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