二李   後燕に仕えた李氏

李系りけいちょう平棘へいきょく県の人だ。

慕容垂ぼようすいに散騎常侍、東武城ひがしぶじょう令としてに仕え、

見事な治績を上げた。

拓跋珪たくばつけいが中原に進出すると、

李系は平棘令に任じられた。

家で死に、趙郡太守、平棘男を追贈された。



李先りせん、字は容仁ようじん中山ちゅうざん盧奴ろど県の人だ。

祖父は李重りじゅうしん平陽へいよう太守であり、

大將軍右司馬となった。

父は李樊りはん石虎せきこのもとで

樂安がくあん太守、左中郎將に任じられた。


李先は幼い頃から学問を修め、

星見や天候占いに通じた。

清河せいがに住まう張御ちょうぎょより学び、

師は李先の才覚に唸ったと言う。


苻丕ふひのもとで尚書左主客郎となる。

慕容永ぼようえいは李先の高名を聞いていたので、

招聘し参謀として出迎えた。

長安から東に向かっていた慕容永に

長子ちょうし城を拠点とするべく勧めたのは、

この李先である。


慕容永が燕帝補佐を自称したところで

黃門郎、秘書監、髙密こうみつ侯とされた。


慕容垂が慕容永を倒したあと、

李先を中山に移住させた。

その後、北魏ほくぎに帰属するのだ。




李系,趙郡平棘人也。仕垂散騎常侍、東武城令,治有能名。魏太祖定中原,以系為平棘令。年老,卒於家。贈寧朔將軍、趙郡太守、平棘男。

李系、趙郡の平棘の人なり。垂に散騎常侍、東武城令としてに仕え、治むるに能名有り。魏の太祖の中原を定むに、系を以て平棘令為らしむ。年老いて家にて卒す。寧朔將軍、趙郡太守、平棘男を贈らる。



李先字容仁,中山盧奴人也。祖重,晉平陽太守、大將軍右司馬。父樊,石虎樂安太守、左中郎將。先少好學,善占候之術,師事清河張御,御竒之。仕苻丕,尚書左主客郎。慕容永聞其名,迎為謀主,勸永據長子城,永遂稱制,以先為黃門郎、秘書監、髙密侯。垂滅永,徙先於中山,後歸仕魏。

李先は字を容仁、中山の盧奴の人なり。祖は重、晉の平陽太守、大將軍右司馬。父は樊、石虎が樂安太守、左中郎將。先は少きに學を好み、占候の術に善く、清河の張御に師事し、御は之を竒とす。苻丕に尚書左主客郎として仕う。慕容永は其の名を聞き、迎え謀主為らしむ。永に長子城に據すべく勸め、永の遂に稱制せるに、先を以て黃門郎、秘書監、髙密侯為らしむ。垂の永を滅せるに、先を中山に徙し、後に魏に歸し仕う。


(十六国52-11_為人)



趙郡李氏は北魏で隴西ろうせい李氏と並ぶトップ家門認定されており、またとうの時代に宰相クラスを輩出する。魏書ぎしょに飛んでみると、

https://zh.m.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8/%E5%8D%B736

この人の孫、李順りじゅんスタートで一巻まるまる費やされてます。うーん、五胡十六国で遊ぶにあたって魏書シカトはマジでありませんわね。


いっぽう李先の祖父、李重は江夏こうかのひと。相国となった司馬倫しばりんから入朝をするよう要請を受けたが突っぱね、その後病死してます。まぁ気骨の士です。となるとこの李先は江夏から中山に本籍を移動させられたのでしょうかね。

つーか調べてみたらこのひと、柴壁さいへきで献策して拓跋珪を勝利に導いたって書かれてたんですけど! まぁそういうひとは魏書で拾うつもりだからいいけどさぁ!

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