慕容垂26 翟釗を欺く

いちど投降した翟遼てきりょうだったが、再び離反。

ただしすぐに死亡した。

そこで息子の翟釗てきしょうが統率を継承し、

再びぎょうに攻めのぼってきた。

しかし慕容農ぼようのうが迎撃、追い払う。


翟釗に対し、慕容垂ぼようすいが自ら追撃をかける。

黄河こうが南岸の滑台かつだいを目指し、

その対岸の地、黎陽れいようにまで出る。

対する翟釗は南岸で守りを固めた。


配下将らは翟釗軍の思いがけぬ強さに、

わざわざ渡河してまで

戦うこともないのでは? と進言。

それを聞き、慕容垂は笑う。


「あのガキに何ができる?

 どれ、お前たちのために

 ひとひねりしてきてやろう」


そうして慕容垂、西側に

ハリボテの陣を敷き、

牛皮を貼った船百艘余りを用意、

そこにぱっと見武装した兵に見えるよう

偽装した人員を載せ、

そのまま黄河を遡上させた。


一方の、翟釗。大軍を揃え、

慕容垂の南下に備えていたわけだが、

そしたら北岸から船団が、

西に出立するではないか。

なので船団の渡河に対応すべく、

本陣を西に動かした。


計画通り、である。


慕容垂、真夜中に慕容鎮ぼようちん慕容國ぼようこくを派遣。

夜中に「まっすぐ」黄河を渡らせた。

そして南岸に布陣させた。


この知らせを受け、翟釗、

慌てて引き返すが、時すでに遅し。

しかも振り回されることによって

配下兵はみな疲労し、水に餓えた。


これではまともに戦えない、

翟釗はいちど滑台入りすると、

妻子を引き連れ、わずか数百騎にて

北の白鹿山はくかに逃亡。

慕容農は追撃をかけ、

ほとんどの配下を捕獲した。

翟釗は一人、更に北西、

長子ちょうしの町に逃げ込むのだった。


ここで慕容垂、

翟釗が支配下に置いていた

七郡三万八千世帯をことごとく慰撫、

いままで通りの生活を保障。


また徐州じょしゅうにいた難民七千世帯余りを

黎陽に入植させた。




翟遼死,子釗代立,攻逼鄴城,慕容農擊走之。垂引師伐釗于滑臺,次于黎陽津,釗于南岸距守,諸將惡其兵精,咸諫不宜濟河。垂笑曰:「豎子何能為,吾今為卿等殺之。」遂徙營就西津,為牛皮船百餘艘,載疑兵列杖,溯流而上。釗先以大眾備黎陽,見垂向西津,乃棄營西距。垂潛遣其桂林王慕容鎮、驃騎慕容國於黎陽津夜濟,壁于河南。釗聞而奔還,士眾疲渴,走歸滑臺,釗攜妻子率數百騎北趣白鹿山。農追擊,盡擒其眾,釗單騎奔長子。釗所統七郡戶三萬八千皆安堵如故。徙徐州流人七千餘戶于黎陽。


翟遼の死せるに、子の釗が代りて立ち、鄴城に攻逼す。慕容農は擊ちて之を走らしむ。垂は師を引きて釗を滑台に伐ち、黎陽津に次す。釗は南岸にて距守す。諸將は其の兵の精なるを惡み、咸な諫じ宜しく濟河すべからざるべしとす。垂は笑いて曰く:「豎子に何ぞを為す能わんか、吾れ今、卿らが為に之を殺さん」と。遂に營を徙し西津に就き、牛皮船百餘艘を為し、疑兵を載せ杖を列べ、流を溯りて上る。釗は先に大眾を以て黎陽に備え、垂の西津に向えるを見、乃ち營を棄て西に距す。垂は潛かに其の桂林王の慕容鎮、驃騎の慕容國を遣りて黎陽津を夜に濟らしめ、河南に壁せしむ。釗は聞きて奔還せど、士眾は疲れ渴え、走りて滑臺に歸し、釗は妻子を攜い數百騎を率いて北の白鹿山に趣く。農は追いて擊ち、盡く其の眾を擒え、釗は單騎にて長子に奔ず。釗の統べたる所の七郡の三萬八千戶を皆な安堵せること故の如くす。徐州の流人七千餘戶を黎陽に徙す。


(晋書123-26_妙計)




兵は詭道ですねえ。


このいきさつから、次回慕容垂、慕容永ぼようえいとの戦いに踏み出します。ほんに慕容永との関係はよくわからんよね。

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