マンドラゴラの種
シメ
第1話
厳しい冬を乗り越えた春、「あの町では農民やそれ以下の民でも真面目に働けば市民階級になれる」という噂を聞き、私と弟は古びた家から出て行くことにした。
父も母もすでに死んでいたので、私たちがあの今にも壊れそうな小屋に固執する必要はなかった。しかし歳の離れた幼い弟は生まれてからずっと過ごした建物に愛着があったらしく、私が一週間ずっと説得するまでは家から離れようとしなかった。
そうして長い旅を経て私たち兄弟はあの町にたどり着いたのだが、何も良いことはなかった。
まず、働き口がどこにもなかった。どこを訪ねても「人は足りてる」の一言で追い出されてしまった。忙しなく働く店ですらそうだったが、その時はそういうものなのだろうと深く考えなかった。私たちは町の外で薬草を集めて安値で買い取ってもらってその日の生活費を作った。作れない日もあった。
次に、家が見つからなかった。家にあった金を掻き集めて持ってきたが、一番安い家ですら借りることはできなかった。その時は金が足りなかったのだと思っていた。私たちは汚い路地の奥で静かに暮らすことにした。
そして、静かに暮らしていても私たちは石を投げられた。理由はよく分からなかった。私は弟が傷つかないように守ることしかできなかった。
ある日、最初に石をぶつけてきたのは弟と同じぐらいの歳の少年だった。
「(聞き取れない言葉)の民がこんなところに来るな!」
少年はそう言いながら往来をしずしずと歩く私たちに向かって石を投げてきた。私は弟に当たらないようにと背中でかばった。鈍い痛みが背中に走った。痛みは一度で終わらなかった。
「(聞き取れない言葉)の民は消えろ!」
「世界の敵の(聞き取れない言葉)の民め!」
「(聞き取れない言葉)の民は死ね!」
「邪悪め! ここで殺してやる!」
人々が罵詈雑言と石を投げつけてくる。私は弟のことを抱きしめて守ることしかできなかった。
しばらく耐えていると、人々がざわめきだし投石が止まった。また石が投げつけられるかもしれないと思い、私は振り向くことはできなかった。
「君たちが(聞き取れない言葉)の民か」
老人の声だった。私は「わからない」と答えた。相手は少し沈黙したあと、従者に私たち兄弟を家に連れて行くように命じた。
そこで私ははじめて自分たちに石を投げていた人々の姿を見た。私と姿の変わらない、なんてことない町人たちだった。違うのは髪の毛の色ぐらい。私たちは黒色で、町人は金髪や茶髪だった。
胸の中の弟の顔は真っ青で、私の服まで涙でびしょびしょになっていた。
私と弟は乗り心地の良い馬車で石材の使われた頑丈そうな家に連れて行かれた。こんな立派な建物を見るのは初めてだった。家の隣には広い庭と広い畑もあった。
あの老人はこの町の長の相談役だった。今は公式な権威こそないが、彼の声一つでこの町の中であればどんなことでも動かせる程度の力を持っていた。
私たちはこの建物で老人の小間使いとして働くことになった。何故かと老人に聞くと「私もかつては(聞き取れない言葉)の民だったのだ」と返された。
私たち兄弟は着たこともない服に身を包み、慣れない仕事に励んだ。部屋や庭、調度品の掃除。食材などの調達。薬草を育てている畑の農作業。老人が出かけるときの護衛。私が男ということもあり、力仕事が多くを占めていた。
一方で弟はまだ幼いということもあり、私よりは軽い仕事を任されることが多かった。たまに老人と二人きりで部屋にこもり、何かをしているようだった。私は孫を愛でるように弟を愛でてもらっているのだろうと思った。
ある日、弟は私たちの部屋でつぶやいた。「ここから出ていきたい」と。私は反対した。ここにいれば仕事もあるし、家もあるし、食事もできる。何の問題があるのだろうか。弟は困った私の顔を見て、うそだよ、と言って寝床に潜り込んだ。そしてそのまま寝息を立て始めた。私は子供の気まぐれだろうと思った。
次の日、私は農作業に従事した。今日は収穫の日のようだったが、それにしては変な物が用意されていた。
黒い犬と荒縄。あとは何か大きなものの入ったズタ袋ひとつ。それ以外は農作業でよく使うものだった。
一緒に作業する年上の男に何に使うのかと聞くと「収穫と植え付けにだよ」と笑って返された。
男とともに老人の家から離れたところにある畑へ向かった。馭者が操る馬車に乗って移動していると、どんどん町は遠くなっていった。弟とこんなに離れるのは初めてだった。
馬車は森の前で止まった。馭者に馬車を任せ、中身の入った袋と縄を持った男と二人で森の中へ入っていく。犬は男について行っていた。
一見深そうな森だったが、しばらく歩くだけで開いた場所にたどり着いた。木を上手く植えて畑を隠しているらしい。
だがそこまでして徹底的に隠しているわりに、畑は私が両手を広げた程度の大きさしかなかった。それに植えられているものはたった一つの草だけだった。
私が不思議がっていると、男は重そうな袋を地面に置いた。そして縄を犬の体にがっちりと巻きつけ、もう片方を畑の隅で栽培されている植物に結んだ。
「お前は遠くから見ていろ」
そう言うと男は植物から距離を取り、卑猥な言葉をいくつも叫びだした。それに反応して植物が動いたような気がした。異様な光景に戸惑っていた私は慌てて遠くへ駆け出した。
「耳を塞げ!」
私は言われるがままに耳をふさいだ。しかしそれが無意味であるかのように、背後から頭の奥にまで突き刺さるような悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴が聞こえなくなってから男の方を見ると、畑に黒い犬が倒れていた。そしてそのそばに全裸の少年が仰向けで倒れていた。あの日私たちに石を投げていた少年だった。しかし頭部からは髪の毛の代わりに草が生えていた。
それが老人の商売の材料だった。
マンドラゴラを育て、根が人型にまでしっかり育ったら黒い犬を犠牲にして収穫する。収穫したマンドラゴラは薬草としても使えるが、人のように何年も優しく扱うことでどんなことでも一つだけ願いを叶えてくれるらしい。
しかしマンドラゴラは普通の植物と違い、安易に種から増やせるものではない。老人だけが知っている方法で生やすことができるらしい。老人はそんなマンドラゴラを使って財と地位を手に入れたのだ。
少年の姿をしたマンドラゴラは目を覚ましたのか、立ち上がりその場から逃げ出そうとした。しかし男に赤黒い液体をかけられた途端動きを止め、再び倒れた。そのまま男はマンドラゴラを縄で縛り、私に渡した。液体からは血の匂いがした。
「袋に入れて馬車で待ってろ」
俺はまだやることがあるから、と男は畑の方へ向かった。私はマンドラゴラを抱えて馬車の方へ向かった。その最中にまた悲鳴が聞こえた。きっとまたマンドラゴラを収穫しているのだろうと思ったのだが、戻ってきた男の手には何も握られていなかった。
帰路、男に「この事は誰にも話しちゃいけない」と何度も釘を刺された。私は何度も頷いた。
それから私はマンドラゴラの収穫係になった。弟は相変わらず軽作業をしつつ老人と二人で話しているようだった。日に日に弟は遠くを見るような笑みをよく浮かべるようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます