第四章 紅倉の奮闘その二


「あのー、それで、わたしなんでここに呼ばれたんです?」

 杉浦有美子は困惑して尋ねた。紅倉が挙げた重野の記憶にある安達少年との思い出のある元クラスメートの一人だ。

 翌日午後のことで、またも紅倉たちは埠頭の先っぽに立っている。全員黄色のヘルメットを着用している。

 有美子は重野が慌てて赤くなるのも道理のなかなかの美人だ。ストレートの髪が長く、目が大きなはっきりした顔立ちをしている。背が高く、重野よりちょっと高いかも知れない。

 彼女は重野が電話して、紅倉の手伝いをしてほしいということで彼女の高校に迎えに行って、いっしょにここまで来てもらった。車中助手席に座った紅倉は余計な気を回してとんちんかんなことを言って芙蓉に叱られた。後部座席に有美子と並んだ重野は赤くなって終始緊張しっぱなしだった。有美子とは幼稚園から小学六年生までずっと同じクラスだったが、重野が六年の時団地から一戸建てに引っ越して校区が変わり、中学校から別れてしまった。三年ぶりに会った有美子は記憶の姿からすっかり大人っぽく綺麗になって、重野は相変わらず子供っぽい自分に自分でがっかりしてしまった。

 紅倉はまた大いばりで説明した。

「安達くんの小学二年生の時の初恋のお相手が、何を隠そう、あなた、杉浦有美子さんだったのです! 重野くんと安達くんは初恋の恋のライバルという共通点があったのねえ」

 重野はわあ〜言うなあ〜!と慌てて、有美子はへえーと優越感に浸った目で重野を見た。

「そこで!」

 紅倉は大いばり。

「過去の思い出作戦は実行不可能が判明したので、ではもっと前向きに、未来の希望作戦を決行したいと思います。エッヘン。幸い重野くんは霊媒体質で幽霊に取り憑かれるのは慣れているので」

「おい!」

「安達くんの魂には杉浦さんとのデートを餌に重野くんに乗り移ってもらいます」

「こ、こらこら、勝手なことを言うんじゃない!」

「いいじゃない、あなただって初恋の有美子ちゃんとデートできるんだから」

「言うなよバカあ〜。そんなの許可できるか!」

「どうせ鈍いあなたには取り憑かれているなんて感覚はないわよ。ふつうに、デートを楽しめばそれでいいのよ」

「お断りだ!」

「わたしもお断りです」

「え?」

 有美子に冷たい目で見られて紅倉はたじろいだ。

「わたし、そんなの嫌です。安達くんの幽霊なんかとデートしたくありません」

「いえ、あのね、人助け、というか、幽霊助けと思って、ね? 憧れのあなたと楽しいひとときを過ごせれば、安達くんの心も未来の希望を持てて成仏してくれると思うのよ?」

「なんと言われようと、嫌です」

 頑として承知しない有美子に

「そうだそうだ」

 と言いながら重野はちょっとがっかりした顔をしている。中身はともかく体は自分なわけだから、その自分とデートするのがそんなに嫌なのかなあ……と。

 頑固者の有美子が怒って言う。

「紅倉さんの考えは、不純です」

 紅倉はうっとうなって狼狽した。若い有美子の攻撃はストレートで容赦ない。

「そんな誤魔化し、安達くんに対しても失礼です。はっきり言ってわたし、安達くんにはかわいそうにと言う気持ちしか持てないですし、そんなかわいそうな人と楽しくデートなんてできっこないし、そんな同情、安達くんをますます惨めにさせるだけです」

「……………………」

 紅倉は泣きそうな顔になって何も言えない。重野はあーあかわいそうにと思いながら、でもやっぱり自分の考えを伝えた。

「俺もそう思う。あなた、すっごい霊能者だから霊のことは何でも知っていて、それで平気で乗り移らせるとかって言うんだろうけれど、霊って、魂って、人の気持ちなんだろう? 俺は俺で、安達くんじゃないもん。それにもし安達くんが俺に取り憑いて杉浦さんと楽しくデートできても、それが未来の希望になるとは思えないな。けっきょく今の俺たちの青春を自慢してるだけじゃん? 安達くんのあるべき今は、もう、永遠に無くなっちまったんだぜ?」

「だからね、成仏してあの世に行ったら、いずれはこの世に生まれ変わってきて、もう一度……」

「だからさあ、それはそれが見えるあんたの考えなんだってば。俺たち凡人は、自分が死んだ後の自分なんて、分からないもん。思うんだけどさ、安達くんが成仏できないで、こだわってるのって、今、なんじゃないか? 今、がどうしても振り切れないから、そこにとどまってしまっているんだろう? それをなんとかしてあげられなくちゃ、何をやっても無駄だと思うけどなあ」

「美貴ちゃ〜〜ん」

 紅倉は涙こそ流していないがとうとうべそをかいて芙蓉に助けを求めた。

「別の方法を考えましょうね?」

 芙蓉に言われてグッスンと、未練たらたらながら紅倉はうなずいた。

「じゃ、いったん帰りましょうか?」

「ヤダ。あたしはここにいるから、美貴ちゃん、二人を送ってきて」

 紅倉は海を向いて、もうすっかりいじけてしまっている。

「先生をこんな所に一人で置いておけるわけないでしょう? いっしょに帰りましょう?ね?」

「ヤダ」

 しゃがみ込んで、完全にだだっ子になってしまった。芙蓉もさすがに持て余した。

「いいです。俺たちはバスで帰りますから。いいよね?」

 重野が訊くと有美子はうんとうなずいた。

「バスって、たしか二時間に一本よ? 下手したら二時間待ちよ?」

 芙蓉が教えると、

「いい……かな?」

「いいわよ。いっぱいおしゃべりできるじゃない?」

 有美子に笑いかけられて重野は真っ赤にゆで上がった。芙蓉は笑いながら、しかしそういうわけにもいかない。

「それじゃあ悪いけれど、これ使ってタクシーで帰って。おしゃべりは、青山市に着いてからファミリーレストランででもゆっくりして」

 と、一万円札を渡した。

「こんなに!困ります」

「あなたには二日もつき合わせたギャラよ。杉浦さんも、ごめんなさいね」

「いえ。あの、安達くんのために働いてくださっているのに、生意気言ってすみません」

「いいのいいの。気にしないで。向こうに着いたら、連絡だけはちょうだいね」

 芙蓉に送り出されながら、重野は気になって振り返った。

「あの……紅倉さん?」

 しゃがみ込んで向こうを向いている紅倉に遠慮がちに言った。

「本当にすみません。ごめんなさい、お役に立てなくって。……あの……、安達くんは、どうなんでしょう? やっぱり俺、安達くんを救うお手伝いがしたいです。何をしたらいいか、言ってください」

「うるさい」

 紅倉はすっかりすねた声で言った。

「さっさと行っちゃえ。誰の助けもいらない。わたしが一人で解決するから、いい」

 芙蓉は重野と杉浦に肩をすくめてみせた。紅倉は立ち上がって声を上げた。

「え〜い! 天下の紅倉美姫さまがこんな田舎まで出張ってきてやって、おめおめと『出来ませんでした〜』なんて逃げ帰ってなるものですか! ぜ〜ったいに、成仏させてやる〜〜!!」

 芙蓉は、無理してるなあー、と苦笑した。

「だそうだから、行って」

 気まずくすまなそうにする二人を芙蓉は「さあさあ」と追い立てた。


「紅倉さんってなんかすっごい子供ね?」

「そうだね。でも本当にすごいんだよ?」

「あ、聞いたよ、重野くん女の子の幽霊にストーカーされてたんだって?」

「う……、それはその……」

「いろいろ聞かせてよ。車の中じゃ話しづらかったもんねえ? 重野くん大人っぽくなっててなんか気後れしちゃった」

「え〜うっそー? 杉浦さんこそ……その、ずいぶん綺麗になっちゃって……」

「ほんとうー? 嬉しいな。ねえねえ、小学校の時あたしのこと好きだったって本当?」

「………ほんとう……」

「あたしも中学重野くんと別々になっちゃって寂しかったんだよ?」

「ほんとう?」

「これから、また会えるかなあ?」

「いつっでも! 呼ばれたら飛んでいくよ! あ、俺、携帯持ってないんだった」

「えーほんとう〜? 残念。ねえ、じゃあ来週空いてる?」

「空いてるけど、なに?」

「なにって、決まってるじゃない?」

「あ……、ええっ!? ほんと?二十四日!?俺とお!?」

「うん。……よかったら……」

「…………生きてて良かったあ………」

「なによお、なんで泣くのよお?」

「うえ〜〜ん」

「ええ?そんな怖い目に遭ってたの?」

「え〜〜んえ〜〜ん」

「あ、嘘泣きだ。こらっ」

「えへへへへえ〜」


 見送った芙蓉がニヤニヤして帰ってきた。

「あの少年にも春が訪れたようですね。利用します?」

「もういい。ふう〜ん、世間じゃそういう時期なんだ?」

「ケーキ買ってあげますよ」

「今買ってきて。釣り竿も。それを餌に釣り上げてやる」

「ケーキでですか?」

 紅倉がようやくむっつりした顔で振り向いた。

「なにい? また反対?」

「いえいえ。お付き合いしますとも」

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