第4話 猿魔の死報取引

 夜。秀吉の屋敷。


「なるほど、前田利家殿が……」


 辛辣な表情を見せる軍師・黒田官兵衛。さすがの彼も、事の重大さを理解してしまっているようだ。


「厄介なことになってきたのう。このままでは、順番に焼き尽くされてしまう」


「真犯人たる秀吉様が、そんなことがあってはいけませぬ。まこともって遺憾でございますな」


「う、うむ」


 ――しかし、いったい犯人は誰なのだろう。


 秀吉ではないことはたしかである。そして、光秀でもなさそうだ。ともすれば、本当に前田利家……あるいは、柴田勝家か。


「困ったもんだがや。……官兵衛、何か良い策はにゃあか?」


「……ふむ。ならば、それがしの意見を申させていただきます」


 おお、さすがは軍師官兵衛。頼りになる。果たして一体、どのような活路を見いだしてくれるのか――その時だった。


『サルッ! サルはおるかぁッ!』


 どこからともなく魔王の声が聞こえた。


「ひっ!」


「秀吉様! お隠れください!」


 秀吉は、すぐさま押し入れの中へと隠れる。


 シャッと、ふすまが開いた。魔王信長様の活力のみなぎった言葉が部屋を震わす。


「サルゥッ! ――ん? おらぬか」


「……信長様。いかがなさいました?」


 官兵衛が、冷静に対応してくれる。


「官兵衛、か。……例の桶狭間殺人事件についてだ。サルにアリバイを聞こうと思うてな」


「アリバイ……と言いつつ、拷問なさるのでしょう? 噂になっておりますぞ」


「鳴かぬなら、鳴くまで焼こうホトトギス……。拷問ではない。鳴くまで焼くだけよ。光秀ハゲ勝家ヒゲも捕まらん。ゆえに、手っ取り早く秀吉サルから聞いていこうと思ったのだがな」


「……秀吉様なら、先程まではおられたのですが……今はどこにいるのか検討もつきませぬ」


「であるか。ならば明日の朝、わしのところへくるように伝えよ」


「お言葉ですが、どこにいるのやら――」


「見つけ出して伝えよ。明日、顔を見せねば、おぬし諸共焼き討ちだ」


 そう言って、一方的に捲し立てると、ぴしゃりとふすまを閉めて出て行ってしまった。


 押し入れから、這い出る秀吉。


「はあ、はあ……な、なんという暴挙。――か、官兵衛! な、なんとかせい! 責任を取れ!」


 明日の朝までに、とにもかくにも『なんとか』しなければ、焼去法の餌食となってしまう。こうなったのも官兵衛のせいだ。こいつが、わしを真犯人と勘違いして褒め称えるから、調子に乗って名乗りを挙げてしまったのである。


「責任……? まあ、とにもかくにも手を打ちましょう。――ご安心くだされ。この黒田官兵衛には、秀吉様の憂いを取り除く策がございます」


           ☆


 その日の未明。

 恐ろしいことになったと柴田勝家は思った。


『あやつ』の提案に乗って、真犯人の名乗りをあげたはいいが――まさかこのような展開を迎えるとは思わなかった。


 勝家としては、恫喝、恐喝――そのふたつで押し切れば、家臣連中を黙らせ、自然と手柄を横取りできると思ったのである。


 しかし、信長様が、犯人候補を焼き討たんとご乱心とのこと。見つかれば焼却。地獄の追跡者となってしまった。虚言を吐いたことがバレたら、織田家の混乱を招いたとして打ち首も辞さないだろう。


 ――なんとか収拾をつけねばなるまい。


 そう思っていたところに、秀吉から面会の要求があった。


 夜。勝家は清洲城の離れにある小屋へと赴く。すると、秀吉が待っていた。


「勝家殿、よく来られた」


「ふん、サル如きが、この柴田勝家を呼びつけるとはのう」


 蝋燭の明かりを頼りに、言葉を交錯させる2人。


「――で、秀吉よ。何用だ?」


「この桶狭間殺人事件に決着を付けよう思うての」


「ほう、それは、この柴田勝家が真犯人……桶狭間の怪人であることを認めると言うことか」


「勝家殿が真犯人でにゃあことは、すでにわかっとる」


「な、なにを根拠に――!」


 殴りかからんばかりに恫喝する勝家。だが、サルも織田家の家臣。怒声で怯むような器ではなかった。掌を向けるように勝家を制する。


「……もはや、そのような議論は無用。今は、織田家の混乱……信長様のご乱心を沈めることが先決よ」


「ならば、サルが本当のことを――」


「ええか、勝家殿。もはや、この事件、誰が犯人かなど関係にゃあのよ。証拠がなぁんもにゃあのだからの」


「……じゃあ、どうやって終わらせると言うのだ?」


「……ここはひとつ、わしが真犯人ということで手を打たんか?」


「なんだとぉッ! ふ、ふざけるな!」


「落ち着け。別に、手柄を独り占めしようというわけじゃあにゃあ。わしが真犯人として信長様に認められた暁には、おぬしにも褒美の半分をくれてやる。虚言を吐いたことも咎めぬよう、信長様に進言する。悪い話じゃあるまいて」


「む……」


 たしかに、犯人でもなんでもない勝家としては悪くない提案だった。さすがに食指が動く。


「なる……ほど、な」


 このまま信長様の焼去法が続けば、勝家は圧倒的に不利になる。犯行に及んでいない以上、有利な証拠は出てこないだろう。この提案、飲むのが吉。猪武者である勝家でも、それぐらいは理解できた。しかし――。


「サル如きに武功を持っていかれるのは面子がたたんな」


 睨みつける勝家。


 戦場のおいて、大将首こそ最高の栄誉。鬼の柴田を差し置いて、サルがそれを成し遂げたというのは気に入らん。そもそも、あの時勝家は戦場で獅子奮迅の大活躍をしていたのだ。そのおかげで、今川義元を討ち取ることができたのではないか。本当の功労者こそ勝家ではないのか!


「……では、柴田殿が討ち取ったことにするのはいかがかみゃ?」


「な……わ、わしがか?」


「もちろん、褒美の半分はわしも半分もらうが……それならどうにゃ?」


「お、おお。まあ、それなら……」


 勝家が、もっとも欲しいのは名誉である。その条件なら、まったく問題はない。虚言を吐いてまで名乗りを挙げた価値がある。


「殺してもおらんのに、大将首の栄誉なら、勝家殿も満足じゃろ」


「なにを言うか! 桶狭間殺人事件の犯人は、この柴田勝――」


 間髪入れず、秀吉が言葉を挟んだ。


「――わしだけが知っておる」


「な……」


「おぬしが犯人ではにゃあことを、真犯人であるわしだけが知っておる。偽りを申す勝家殿は実に滑稽にゃ」


「お、おぬしが? う、ぐ……な、なにを――ッ」


「……勝家殿。認めてくだされ」


「わ、わしは嘘など――」


「嘘を認めて欲しいのではにゃあ(ない)。――この羽柴秀吉を認めて欲しいのみゃ」


「さ、サルを……?」


「百姓上がりのわしが、今川義元を討ち取るなどという大手柄。おそらくこの先、二度とあるみゃあ。これが羽柴秀吉最初で最後の大手柄。しかし、それも夢幻の如く消えようとしとる。だから、せめて……勝家殿だけでも、褒めてくださらんか」


「手柄……」


「わしと勝家殿だけが真実を知っておる。この羽柴秀吉という男が、偉大な貢献をしたことを認めて欲しいのみゃ。それぐらいよかろう? 勝家殿はこの手柄によって、織田家の筆頭家臣として、盤石な地位を築くであろう。もしかしたら、お市様を嫁にくれるやもしれぬのう……」


「お、おおお、お市様を!」


 お市様とは、信長の妹である。最高権力者の妹にして、絶世の美女。家臣であれば、お市様を嫁にする以上の栄誉と幸福はない。たしかに、褒美として婚約が用意されることも十分にあり得る……。


「まあ、それでも勝家殿が認めぬと言うのであれば、仕方あるみゃあ。この話は明智にでも――」


「待て待て! いやあ、秀吉よ。よくぞ、この話をわしに持ってきてくれた。認めよう。おぬしの功績を!」


「ほう、わしが真犯人であると?」


「うむ。あの時のわしはどうかしておった。真犯人を名乗れば、あとはどうとでもなると思うてな。実は、あの時のわしは、今川義元が討たれたと聞いて、悔しゅうて残党狩りに奔走しておった。するとだ。真犯人が見つかっておらぬというではないか。ならばと、少し欲が出てしまったのである」


「そういうことやったか」


「うむ。しかし、これで万事上手くいく。この勝家を真犯人ということにしてくれたのならば、おぬしにも十分な褒美をわけてやることができよう。よくやったぞ秀吉。おぬしには貸しが――」


 その時だった。押し入れの扉がドガァンと吹き飛んだ。


「……聞いたぞ……勝家ぇぇえぇぇッ!」


 ぬらり、と、現れたのは魔王だった。覇王だった。


 第六天魔王織田信長であった。


「ひぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁッ! で、出タァァアッ? の、ノブッ、ノブッ――」


「誰がノブだ……」


「ののののの信長様ぁッ! こここここれはどういうことでッ? ひ、秀吉ッ! 謀ったったなぁッ!」


 ――聞かれていた? 押し入れの中に入って、ずっと聞いていた? まずい、非常にまずい!


「真犯人を名乗り、褒美をかすめ取ろうなど、言語道断! 織田家を混乱に導いた罪は重いぞ、勝家ぇえぇぇッ!」


 信長が咆哮すると、ふすまや障子がビリビリと震えた。勝家も震えていた。そして秀吉は、ニンマリとしたり顔。


 ――やられた。完全に謀られたッ!


「信長様、これでわかっていただけましたかな?」


「うむ。どうやら、この勝家ヒゲには聞かねばならぬことがいろいろとありそうだ」


「の、信長様! これは誤解であります! それがしは、秀吉の口車に乗せられて、適当に都合の良いことを言っただけであります! 真実はいつもひとつ! この柴田勝家こそ、真犯人でして――」


「黙れぃ! ――者どもッ、であえであえぃッ!」


 信長が声を上げると、どこからともなく足軽たちが侵入してくる。それらは、勝家の腕を掴み、槍を向け、強引に連行する。


「の、信長様ぁッ! 違います! すべてはサルがッ! そのクソザルが悪いのです! 自分はたしかに今川義元をぉぉぉぉッ!」


「いいわけは火炎の上で聞いてやるわ! ひったてい!」


「「「ははぁッ!」」」


 足軽に引きずられながら、勝家は連れられていくのであった。


「おのれ秀吉ッ! 許さんッ! 例え幾たび業火に焼かれようとも、貴様だけは子々孫々に渡り、呪い殺してくれるわぁッ!」


「うはははは! 嘘をついとる方が悪いだぎゃあ! しっかり裁きを受けてこいや、柴田勝家ぇッ! はははははははッ!」


 ぴょんぴょんと小躍りする秀吉。


「――信長様ぁ! これでわかったでございましょう! 今川義元を殺した真犯人――桶狭間の怪人は、このわしだ! ――と!」


「……調子の乗るなサル」


 魔王の瞳が怪しく輝く。


「ひっ! は……ッ?」


「あくまで勝家の虚言が明白になっただけ。貴様とて、嘘偽りをもうしておらんとは限らんのだからな」


「へ……は、はは?」


「此度の会話は、この織田上総介信長が新味した上で、然るべき沙汰を告げる。この程度で安心できると思うなよ、サルゥ?」

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