第3話 魔王のショウキョホウ

「ったく、面倒なことになったぎゃあ」


 屋敷へと戻ってきた秀吉。そこには、家臣の黒田官兵衛がいた。


「おかえりなさいませ、秀吉様。――褒美はどうなりましたか?」


「おお、官兵衛か。……それがのう、わし以外にも真犯人を名乗る者が現れてな。日延べしてもうた」


「なんと……! ……信長様も、いったいなにを考えているのやら。真犯人は、秀吉様以外におらぬというのに」


「信長様は悪くにゃあ。悪いのは、明智や柴田よ」


 ――まあ……犯人ではないわしが、そんな簡単に第一武功をもらうというのも虫のいい話か……。


 事実、桶狭間殺人事件の犯人は秀吉ではなかった。混戦になったあの時、秀吉は輿から飛び出す今川義元を見ていた。奴は、兵たちに足止めを任せ、ひとり森林の中へと入っていったのである。秀吉は小柄な体型を活かして、敵の猛攻をかいくぐり、追いかけた。


 気づいた者はいない。いや、気づいていても敵の抵抗によって、阻まれていたのだろう。絶好の機会であった。これで義元を討ち取れば、大出世間違いなし。明智や柴田を出し抜ける。そう思ったのだが――。


 義元に追いついたその時……奴はすでに殺されていたのだ!


 森の中、義元が消えた方へと一心不乱に走っていたら、躓いて転んでしまった。何事かと振り返ると、そこには義元の遺体があった。


 しくじった。手柄を奪われてしまった――そう思ったのだが、周囲に犯人の姿が見えない。秀吉は呆然と立ち尽くし、これはいったいどういうことかと悩んだ。


 すると、しばらくして、この黒田官兵衛が現れた。そしてこう言ったのだ。


『ま、まさか秀吉様が……』と。


 犯行を否定しようと思ったのだが、黒田官兵衛の勘違いは止まらず『さすがは秀吉様! 今川義元を討ち取るとは! これで、大出世間違いなしですな!』『ねね殿も喜ばれる!』『いずれは関白になれるやも!』と、おだて奉るので、秀吉もその気になり『にゃはははは、わしにかかりゃあ、こげなことは容易いぎゃあ』とか、調子の良いことを言ってしまったのである。


 だが、そこからが厄介。

 明智光秀が現れたのである。


『これは……?』


『お、おお! み、光秀ぇ!』


『どちらが、今川義元を討ち取ったのですか?』


 そう言って、奴は秀吉と官兵衛を交互に見た。


『わしじゃよ。この秀吉が、今川義元を討ち取ったぎゃ。にゃ、にゃははは』


 疑惑のまなざしを向ける光秀。しばらく黙っていたのだが――次の瞬間、奴はニタリと不気味な笑みを浮かべた。そして、斬りかかってきたのだ。


 刀で応戦する秀吉。


『な、なにをする!』


『ふ、ふふ、い、今川義元を討ち取ったのはこの明智光秀です!』


 なんと、奴は秀吉を亡き者にして、手柄を横取りしようとしてきたのである。すかさず、黒田官兵衛も助太刀に入る。


『秀吉様! お逃げください!』


 官兵衛と明智が剣をぶつけあうも、さすがは織田家の名将。官兵衛は一瞬にして突き飛ばされ、尻餅をついてしまう。


 秀吉は必死に逃げた。元百姓の秀吉の剣術では太刀打ちなどできるわけがないのだ。『ひゃははははは!』と、明智が追いかけてくる。怖かった。マジで怖かった。殺されるかと思った。


 そうしているうちに、なんとか森を飛び出し、街道へと戻ってきた。そこでは数多の兵が戦いを続けていた。


 兵の前で殺し合うこともできず、秀吉と光秀は諍いをやめた。そして、とにもかくにも、戦を終わらせたかったので、秀吉も光秀も叫んだ。ほぼ同時だ。


『今川義元はこの秀吉が討ち取ったり!』『この明智光秀が、今川義元を討ち取りました!』


 ぽかんとする兵たち。それもそのはず、討ち取ったという今川義元の首がないのだから、証明にならない。


 しかし、その時。『奴』が今川義元の首を持って現れたのだ。


『今川義元、討ち取ったりぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!』


 前田利家。奴が、槍の先端に今川義元の首を刺して掲げ、戦場に現れたのである。


 その瞬間、今川軍が壊走。勢いに乗った織田軍は雑兵を殺して回った。阿鼻叫喚の戦場に、遅れてやってきたのは、ボロボロになった黒田官兵衛。彼は。秀吉を見るなりこう言った。


『秀吉様……も、もうしわけございませぬ……』


 その言葉で察した。犯行現場に残った黒田官兵衛の元に、前田利家が現れたのだろう。そして、手柄を横取りされてしまった。そこへ、我らが織田信長様のご登場という流れだ――。


 もし、今川義元を殺したとなれば、出世は間違いない。さすれば、さらなる活躍の機会を与えられ、もっと手柄を立てられる。したらば将来は、関白になれるかもしれない。そんな未来もあり得る。というかなれる予感がする。たぶんなれる。


 だから、信長様にも『わしがやった』と名乗りを挙げてしまったのである。というか、官兵衛や光秀にも言った手前、あとには引けなかった。そして、続くように前田も明智も、自らが殺したと言い張ったのである。


 ――秀吉は手柄が欲しかった。出世したかった。それに、前田利家にボロボロにされるほど、黒田官兵衛は今川の首を守ろうとしてくれたのだ――。彼の忠臣ぶりにも報いたかった。


「この官兵衛が、利家を止めていれば、このようなことには……」


「なぁに。おぬしは悪うないわ。悪いのは光秀、そして利家よ」


「無念でございます。真犯人は、間違いなく秀吉様だというのに……この官兵衛がしかとこの目で見たというのに……証拠がないとはッ……! くぅッ!」


 ――胸が痛い。本当はわしではないというのに……。しかも、主補正あるじほせいが入っているのか、犯行の瞬間を見たわけではないのに、こやつは見たと勘違いしている。もし、わしが真犯人ではないとバレたら、こやつはわしを軽蔑するだろうか。


 というか……これが、信長様にバレたら、いったいどうなることか……。どんな手段を使ってでも、今川義元を殺した真犯人――桶狭間の怪人は、この羽柴秀吉ということにしなければならない。


 秀吉は評定でのことを黒田官兵衛に説明する――。


「――まさか柴田様まで虚言を吐くとは……いったいなにをお考えなのでしょうな」


「奴はおそらく、言ってしまえばどうとでもなると思ったのじゃろうな」


 犯人がわからぬのなら、自分が名乗りを挙げてしまえば良いと思ったのだろう。あの鬼のような風貌と豪傑ぶりであれば、誰も反論できない。せっかく買収した連中もハマグリのように口を閉ざしてしまった。厄介なことだ。


 うん? しかし、奴が真犯人と言うこともあるのか……?


 秀吉と官兵衛が唸るように考えていると、おもむろにふすまが開いた。


「秀吉殿」


 現れたのは明智光秀であった。とっさに秀吉は身構えた。官兵衛も、秀吉を守るように立ちはだかる。しかし、光秀は反応することなく、どっかりと秀吉の正面にて、あぐらをかいたのである。


「……何用であるか、明智光秀」


 睨みつける黒田官兵衛。だが、光秀は無視して語り始める。


「桶狭間殺人事件の犯人は秀吉殿ではないでしょう。偽り言をいうのもここまでにしたほうがよろしいかと」


「なにを言うか! 今川義元を殺したのは、間違いなく我が主、秀吉様である!」


 官兵衛が必死になってくれている。まあ、わしが出世すれば、官兵衛も良い思いができるからな。


「ふむ。そうは言いますが……あなたは、秀吉殿が殺す瞬間を見たのですか?」


「この双眸にて、秀吉様が義元を切り伏せる瞬間をしかと見た! まさに新風迅雷の抜刀術! 電光石火の一撃!」


 官兵衛は見てないよね? 見てないのだけど、これも主補正なのだろうなぁ……。いや、家臣として最大限のねつ造をしてくれているのかもしれない。なんとも頼りになる男だ。


「それにしては、あの時の秀吉殿は、随分と狼狽していたようですが……?」


「にゃ、にゃにゃにゃんのことかや?」


「普通、大将を討ち取ったのなら、まずは勝ち名乗りを挙げますよね? なのに、あの時の秀吉殿は動揺しておられた。私の様子を窺うようにして、ねえ?」


「なにを言うか! 秀吉様は百姓上がりなのだ! 小心者ゆえ、初めての大手柄に困惑するのも無理もなかろう!」


 黙れ官兵衛。誰が小心者だ。合ってるけど。


「なるほど。小心者ですか。それなら動揺なされるのも無理はない」


 明智もそれで納得するな。


「しかし、真犯人であるこの私だけは知っています。あなたが今川義元を殺していないことを」


「な! お、おみゃあが殺したというのか?」


「――待たれよ」


 すかさず官兵衛が反論。


「あなたが現場に現れた時、しかと聞きましたよ。今川義元の遺体を見て『どちらが?』と。あれは『どちらが殺した?』という問いでしょう? おかしくはないですか? もし、本当にあなたが犯人だとしたら、尋ねるまでもないこと。ということは、犯人はあなたではないことになる。違いますかな、光秀殿?」


「おお! 名推理だぎゃあ! よう言うた、官兵衛! そうじゃ! こやつこそ困惑しておったわ!」


 黙ってしまう明智だが、彼はすぐに「ふっ」と軽い笑いをこぼす。


「なるほど。まあ、いいでしょう。たしかに、私にも不審な点がありました。しかし、……此度は、そういった水掛け論をしたくて参ったわけではございません。提案をしにきたのです」


「提案じゃと?」


「ええ。誰が真犯人にせよ、証拠がない以上、事件は迷宮入り。このままでは、信長様の悩みも晴れぬでしょう。ゆえに、ここはひとつ、痛み分けとはいきませんか?」


「……痛み分け?」


「ええ、この明智と秀吉殿、前田殿、柴田殿の4人の功績ということで手を打つのです」


 なるほど、武功が1人となるから諍いが起こる。褒美も功績も山分けすれば、平穏無事というわけか。


 ――悪くはない。そもそも、わしは義元を殺しておらん。四分の一でも分け前があれば万々歳。


「たわけが。秀吉様の武功を四等分せよというのか! 寝言は寝て言え!」


「まあ待て、官兵衛。たしかに、真犯人であるわしとしては不本意。しかし、信長様のことを思えば、ここは穏便に済ますのもアリではにゃあか?」


「し、しかし!」


「大事なのは織田家の繁栄。このような小事で、家臣たちを清洲城に留めておくわけにもいくみゃあ」


「……さ、さすがは秀吉様。なんという忠誠心……! ……されど、この明智にまで褒美を取らすのは……。こやつは秀吉様を亡き者にしようとしたのでございますぞ。いずれ憂いになるやも」


「侮るな官兵衛。明智如き、わしの敵じゃあにゃあて。出世合戦にも負けゃせん」


「随分な物言いですね。――しかし、秀吉殿が協力してくださるのであればありがたい。これから上様に進言しに行こうと思うのですが、同行してくださいますかな?」


 たしかに、ひとりよりもふたりだ。秀吉ひとりでこのような提案をすれば、やはり秀吉こやつの犯行ではないのではないと勘ぐられてしまう。


「よかろう。仕方があるみゃあ、それで手打ちにしようや」


 勢いで真犯人を名乗ってしまった秀吉としては、まさに渡りに船の提案であった。


          ☆


 そんなわけで、秀吉と光秀は共に織田信長様のもとへと向かった。小姓が言うに、信長様は庭においでということで、そちらの方へ。


 すると、そこでは目を剥くような行為が行われていた。


「ぐぎゃぁあぁぁあぁッ! ほ、本当ですッ! 本当に俺が殺したんですッ! 信長様ぁ、信じてくだせえッ!」


 庭。玉砂利の上。ふんどし一丁の前田利家が、三角木馬に乗せられて火炙りにされている。燃えさかる火炎にジリジリと身を焦がし、屋敷に絶叫を響かせる利家。


 ――拷問。まさに拷問!


「偽りを申すな! 今川義元にあったのは刀傷だ! 槍の又左と呼ばれたおぬしの得物は槍であろう! それともなにか? 義元を見つけるや否や、槍を捨てたのか? わざわざ刀に持ち替えたのか? ――おい、薪をくべよ」


「ひぃぃぃッ! そ、そうです! 森の中で槍は振り回しにくいので! 槍を捨てて、刀を抜いたのです!」


 足軽たちが焚き火に木を投げ込む。その傍らでは、新たに使用する薪が割られていく。


「お、おい、光秀ぇ、えりゃあことになっとらせんか?」


「……そ、そのようですね」


 怯える秀吉と光秀。

 しかし、信長様の拷問すいりは続く。


「大勢の兵たちが証言しておる。おぬしが槍の先端に義元の首を刺し、戦場で掲げて見せていたと!」


「槍を回収してから、刺したのですッ! あああぁぁ熱いぃぃぃッ! 信長様、お許しくださいぃッ!」


「そんな時間があったと申すかッ? 貴様の仕事は、一刻も早く今川の首を兵たちに見せつけることであろう! 槍を探す時間が合ったら、すぐにでも勝ち名乗りを挙げるべきではないのかッ! 猛将前田利家が、そんなこともわからんとは思えん! 偽りを申すな! おい、油を投入せい!」


 さらに、油が注ぎ混まれる。火炎は竜の如くうねり、前田利家を包み込んでいった。


「ぎゃあああぁあぁぁ、あッ、あッ――ああッ! 秀吉! 光秀ぇぇぇッ!? た、助けてくれ! 助けてくれぇえぇぇぇッ!」


「と、利家……」と、絶句するわし。


 ――だが、明智がしれっとつぶやいた。


「……利家殿。本当のことを申されよ。楽になるぞ」


 ――こいつ、最悪だ。


 ――せっかく、4人で褒美を分けるという提案に至ったというのに、この期に及んで利家を候補からはずそうとしていやがる。明智おまえこそ、本当のことを言えと言いたい。わしも人のことは言えんけどな!


「の、信長様! ここ、これはいったいなにを!」


 さすがに利家ダチが焼かれているのを黙っていられず、秀吉は苦言を呈する。


焼去法ショウキョホウだ」


「しょ、しょうきょほう……?」


「4人の中から真犯人を見つけるのは難しい。ならば、可能性の低い奴から順に火炙りにしていき、口を割らせるのである。イヌの証言には不審な点が多い。とりあえず、此奴からだ」


「ひぃぃぁあぁぁ、熱い、熱いぃぃぃッ!」


「観念なされよ、利家殿。おまつ殿に楽をさせてやりたかったのだろう。秀吉殿に出世で負けたくなかったのだろう。されど、死んだら終わりでござる。潔白であることを認めて、あなたこそ楽になりなされ」


 ――よくもそこまで好き放題言えるな光秀。


 まあ、自業自得(?)とはいえ、火炙りにされている利家が不憫でならないので、早速とばかりに秀吉は進言する。


「の、信長様! たしかに、今川義元の討伐は、織田家始まって以来の戦功でございます! されど、このままでは、家臣たちの衝突は免れませぬ! 利家を失うのも、織田家のためと思えませぬ! そこで、提案いたします! 此度の戦功は、4人で山分けというカタチで手打ちにしていただきとうございます!」


「山分け……だと?」


 ギロリと魔王の瞳が向けられた。まるで石になりそうだった。


「冗談ではないッ! 織田家始まって以来の戦果だからこそ、間違いがあってはならんのだ! うやむやにしては、家臣の士気に関わる! 武功は言ったもの勝ちだと、卑しい考えを持つ者で溢れかえる。それがわからぬかぁッ!」


「ひぃぃぃッ! ご、ごもっとも!」


 さすがは信長様。この一件の重要さをわかっておられる。だが、このままでは、利家を始めとして、次々に犠牲者が出てしまう。


「まったくもって上様の言うとおり。秀吉殿はなにを考えておいでか」


 秀吉は耳を疑った。旗色が悪いと判断したのか、光秀が掌を返しやがった。さっきまで、四等分ということで合意したというのに! この裏切り者がぁッ!


「4人で分けるなど、愚行にもほどがあります。もしかして、秀吉殿は自分が殺っていないからこそ、そんなことを言うのですか? いやあ、疑わしいですね」


 光秀の発言。信長様が得心したかのように「ほう?」と言った。


「だだだ断じてそのようなことはございませぬ! 義元を殺した真犯人は、この秀吉をおいて他におりませ! しかし、かようなことになっているのであれば、争いの種は取り除かねばならぬと思い――」


「ならば四等分とは言わずに、犯人であることを証明すればよろしいではないですか? 自信がないからこそ、そのようなことが言えるのでしょう?」


「ミツヒデぇえぇえぇぇぇッ!」


「熱い熱いぃぃぃぃぃッ!」


「ふははははは! 命が惜しくば、この信長に真実を告げよ、イヌゥッ!」




 こうして、信長様の焼去法という名の消去法が完遂。消し炭寸前だが、なんとか一命を取り留めた前田利家は地下牢へと連行されていった。


 信長様が『さて、次は誰を焼去しようかのう』と、思案にふけったところで、秀吉は逃げた。光秀も逃げた。その後、光秀は行方をくらました。次、見つけたら斬る。


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