第二章 たとえ君を忘れたとしても④


 あの日の後悔を、今でも引きずっている。

 そして今、あの日と同じ光景が目の前で展開されている。

 でも、すでに未来は変わっている。先生も生徒も、まだ誰も死んでない。


「……ルナ」

「随分と悲壮な顔つきだなぁ、おい?」


 ここでルナを助けたとしても、かつて僕がルナを殺した事実はなくならない。


「このガキを助けようと思ってんなら、諦めた方が良いぜ」


 だから、それが自己満足の贖罪行為に過ぎないことは分かっている。


 だけど、

 そんなどうでもいい感傷が、今も意識を奪われているルナを見捨てる理由になるのか?

 愚か者の心情など、どうでもいい。偽善だろうが何だろうが心底興味がない。

 やるべきことは分かっている。


 ――あの理不尽を許すな。

 ブラム=ルークウッドのすべてを懸けて、囚われた少女を助け出せ。


「忠告はしたぜ。諦めた方が利口だってな」

「幼馴染の体を乗っ取られてるんだ。そう簡単に諦められると思うか?」

「ハッ、なるほどな。このガキのことが好きなのか」

「そうだよ。だから助けるんだ」


 大丈夫だ。

 やれる。

 勝算はある。

 八年前の体でも、いまだに剣を握れなくても、もう大切な記憶が数少なく、強力な魔法を使うのは厳しくても、一方的にヴァルトを知っている今の僕は圧倒的に有利なはずだ。

 そうやって戦意を高めた瞬間、ヴァルトが獰猛に笑った。


「やれるものならやってみろよ」


 刹那。

 地面が、爆発した。

 草が、土が、凄まじい音を鳴らして空に舞い上がり、それが前方へと跳躍した際の余波だと気づいた時には、すでにヴァルトは僕の真横へと回り込んでいた。


「そんな速度じゃ、周回遅れになっちまうぜ!」


 胴体を叩き斬るかのように振るわれたのは剣だ。

 凄まじい勢いで僕の腹部に叩き込まれていく――直前で、どうにか反応した。

 とっさに展開した《魔力障壁》で対処する。


「なっ……!?」


 勢いを受け流すために、剣の軌道に合わせて《魔力障壁》の角度を調整していく。

 ルナの体とはいえ、それを強化しているのは怪人の魔力だ。

 その剣の速度と威力は魔法騎士をはるかに上回る。その緊張感に冷や汗が流れた。


「……くそっ、やっぱり前より難しいな」


 危ないところだった。僕自身の反応が遅い。

 ヴァルトはそんな僕の様子を見て、絶句しているようだった。


「……何だその受け方は。少しでもズレれば、障壁ごと持っていかれて死んでるぞ?」


 ヴァルトがそこまで驚くとは思わなかった。

 確かに神業かもしれないが、できないと負ける状況で戦ってきたんだ。

 やるしかない。

 どれだけ綱渡りでも、そもそものスペックが常軌を逸する怪人に勝つには、可能性の低い賭けに挑むほかない。それにヴァルトが『本体』じゃない以上、これでもマシな方だ。


「……どうした? 来ないのか」


 深呼吸。

 どれだけ命の危機でも、もう慣れている。

 低い可能性を掴むことにかけては、それなりの自信があった。


「……ハハッ、イカレてんなぁ、テメェ」


 ヴァルトは思わずといった調子で笑みを零す。


「テメェのそれは、自分の命を軽く見てるヤツの動きだ。いつ死んでもおかしくねぇ」

「そうだろうな」

「なるほど、自覚はあるってか。――ハッ、テメェのそれが甘い認識だって教えてやるよ。後になってから命が惜しくなっても知らねぇからな!」


 ヴァルトが膝を曲げた瞬間、回避行動に入る。


「どうせ僕の命を助ける気なんかないだろうに……!」


 ヴァルトの動きは人間の比じゃない。

 人間としては最強格の僕でも、怪人との速度差は明確に存在する。

 しかし、いくら怪人であっても音よりも速い動きを一瞬で制御できるわけではない。

 必然、その動きは直線的になる。思考が速度に追いつかないからだ。

 地面を蹴って右に飛んだ瞬間、ゴバッ!! と凄まじい音を立てて先ほどまで僕がいた場所にヴァルトの剣が炸裂した。地面に亀裂が入り、砂煙が視界を塞いでいく。

迷わず《探査》の魔法を使った。

 魔力を薄く広げて、何も見えない砂煙の中で空間を認識していく。

 ヴァルトの位置を特定すると、僕は独自詠唱を開始した。


「我が魔法よ、幻を見抜き、真なる敵を討て――《呪詛魔法/祓魔式》」


 これは過去に編み出した対ヴァルト専用の魔法。

 発動した魔法の性質を変化させ、物理的作用を精神的作用に変換する。

 具体的には、《祓魔式》つきの魔弾はルナの体を傷つけず、ヴァルトの魂を傷つける。

 人間の体から悪魔を祓う魔法。

 ヴァルトの憑依能力の厄介な点は、憑依された人間を傷つけられないところだ。彼らに罪はないし、もし覚悟を決めて殺しても犠牲者が増えるだけで、ヴァルトは『本体』に戻る。

 もう二度とルナのような被害者が出ないように。

 そう願って編み出した魔法だ。

 ただし、都合の良い効果を世界に押し付けている以上、その代償は重い。


「ぐ、う……!?」


 頭が痛む。

 一瞬だけ脳裏を過ったのは、かつて戦った怪人の一人だった。

 今の僕はその記憶を大切だと認識している。

 だって過去に戻った今は、もう一度あの怪人たちと戦うことになるだろうから。

 歴史を変えるために、敵となる怪人の記憶は手放せない。


 ――そう思っているからこそ価値がある。


 だから、僕はその記憶を《祓魔式》の代償にした。

 黒い魔力が僕を包み、魔法が発動する。どうやら正常に発動したらしい。


「……よし」


 僕の考えは間違っていなかった。

 怪人を倒すほど強力な魔法を使うためには、重い代償が必要だ。具体的には、僕自身が大切だと認識している記憶。しかし、そのほとんどは過去に使い切ってしまった。

 でも、やりなおしを経て新しく大切だと思うようになった記憶の存在に気づいた。

 これを失えば、今後の戦いで知識の有利を活かせなくなる。

 だから大切で、使いたくない。

 それでも、まずはルナを助けることが優先だ。

 世界最強の怪人ヴァルトを倒すためには、出し惜しみなんてしていられない。


「《呪詛魔法/二式》起動――《魔弾》!」


 威力と速度を最大限まで引き上げた魔弾を連射する。


「何っ……!?」


 砂煙の影響で反応が遅れたこともあるだろうが、何よりヴァルトは僕が本気で攻撃するとは思っていなかったんだろう。魔弾をまともに食らっていた。

 手応えを確認した僕は跳躍して一気に後退し、砂煙から抜け出す。


「痛ってぇじゃねぇかよ、おい。人間風情が。ふざけた真似をしやがる」


 もうもうと立ち込めていた砂煙が、ヴァルトの腕の一薙ぎで吹き散らされていく。

 一連の戦闘で、地形が変わっていた。

 森林だった場所が荒れ果て、削られ、陥没している。

 そして僕の眼前に佇むヴァルトは、傷のない腹部を右手で押さえていた。


「チッ、何なんだ、こりゃぁ……?」


 怪訝そうに眉をひそめるヴァルトだが、僕は答えない。

 一瞬の交錯――それも砂煙の中での攻撃では分析できなかったんだろう。

 結構なダメージが入っているはずだが、ヴァルトは強気に問いかけてくる。


「つーか、随分と容赦がねえもんだなぁ。助けるんじゃねえのかよ?」

「助けるさ」

「おいおい、人間の体ってのは貧弱だからな。助ける前に死んじまうぞ?」

「ルナが死んだら、お前も困るんじゃないのか?」

「そう思うか?」


 ヴァルトは鼻で笑いながら、首筋を撫でる。

 いざとなればヴァルトは、ルナの肉体を捨てる。

 少なくとも、その可能性を常に提示する。

 僕がルナの体を傷つけずにヴァルトを倒せる手段があると分かってないからな。

それはまあ当然だろう。ヴァルトを含む怪人の存在は人類にまだ発覚しておらず、彼の憑依能力の対策なんてあるはずがないんだから。

 ――未来から来た僕を除いて。


「そう思うさ。お前はルナを捨てたくないはずだ」

「根拠は?」

「新しい憑依先を探すなんて面倒な作業を何度もやる性格じゃないだろ?」

「なるほど。それだけじゃねえが、半分は正解だ。どっから聞いたのかは知らねえが、どうやら俺のことはよく分かっているらしいな」


 ヴァルトは少し真剣さの増した表情で僕を捉えた。

 ……半分、か。

 まさか、それ以外にも何かルナにこだわる理由があるのか?


「だがテメェ、そもそもどうやってこいつを助ける気だよ?」

「それを今から試すんだよ。《呪詛魔法/八式》起動――《規定移動》」


 一瞬。

 僕は視界を失った。

 だが、これは僕自身の意志による移動だ。

 あらかじめ規定したレールをなぞったに過ぎない。

 それに思考と反応が追いついていないだけ。

 つまり僕は自分でも認識できない速度で、半円を描くように回り込んでいた。


「人間にしちゃ速ぇが、速度で遅れは取らねえよ!」


 しかしヴァルトの反応速度は常軌を逸していた。

 背中を取った僕の魔弾を、怪人の魔力で強化した右腕で防ごうとする。


 ――成功を確信した僕は口元に笑みを刻んだ。


 回避じゃなく防御を選択させた時点で、賭けには勝っていた。

 僕の魔弾はルナの体も、それを防御する魔力も、そのまますり抜けた。

 まるでそこには何も存在しなかったかのように。

 そして魂に直撃する。


「なっ、こいつは……!?」


 ヴァルトは絶句していた。

 砂煙の中じゃないし、今度はちゃんと認識できたんだろう。

 苦渋の表情で何とか跳躍し、距離を取る――が、直後にがくりと膝をついた。


「……そうかよ、一撃目の傷がないのは」

「ああ、ルナの肉体に憑依する君の魂に直接傷を与えているからだ」

「簡単そうに言いやがる……そもそも魂という存在すら不確かなものを定義した上での干渉能力だと……? 馬鹿な、それが魔法とやらの本領なのか……!?」


 そうか。

 この時はまだ《掃滅会》にもあまり魔法騎士の情報がないのか。

 これは僕が魔女の協力のもとで編み出したものだ。どう考えてもこれは普通の魔法とはかけ離れているけど、ヴァルトの勘違いをわざわざ訂正する理由もない。


「御託はいいから、さっさとルナの体を返せ。その状態じゃ長くは持たないだろう? その憑依能力が僕に効かないことはもう分かったはずだ」

「テメェこそゴタゴタ言ってる暇でもう一撃入れればいいじゃねえかよ、なぁ?」

「――なら、お言葉に甘えて」


 僕は膝をつくヴァルトに掌をかざす。

 魔弾を起動。

 掌の先で、黒色の魔力が収斂していく。

 これをまともに食らえば、ヴァルトの魂も消滅するだろう。

 だが、魂に重傷を負っている今のヴァルトに僕の魔弾は避けられないはずだ。

 舌打ちが聞こえた。

 獣のように獰猛な眼光が爛々と僕を睨みつける。


「覚えてやがれ。次は本気だ。俺は必ずテメェを殺してやるからな!」


 魔弾発射の直前で、ルナの体は糸が切れたように倒れていく。


「……逃げたか。相変わらず、減らず口だけは欠かさない奴だな」


 安堵の息を吐く。

 とりあえず勝ったか……。

 僕はルナが地面に崩れ落ちる前に、そっと抱き留めた。

 ルナは気を失ったまま、荒く息を吐いていた。表情も苦しそうだ。

 ……怪人の動きを、常人の肉体でしていたんだ。その負担は相当なものだろう。

 見たところ、重い怪我はないかな。

 できるだけ早く戦闘を終わらせた甲斐があった。

 ここで泥沼化してルナの体がぼろぼろになるのは避けたかったから。


「良かった……っと」


 体がふらつく。ルナが重いわけじゃない。単に疲労が激しいのだ。

 この頃の僕はあまり体ができていない。

 だというのに、八年後の体を基準に《肉体活性》を使ったんだ。ルナの体と同じレベルの負担がかかっている。そうしないと負けていたから仕方ないんだけど。

 この戦いは初見殺しの手札を切って、僕の思惑通りの展開になった。

 知識で有利を取り、最小限の怪我と疲労で済んだ。

 それでも体の痛みはひどく、疲労は激しい。

 先が思いやられるけど、とりあえずルナを助けることはできた。

 それに、ヴァルトにも結構なダメージを入れた。

 僕を殺すと宣言したとはいえ、回復にはそれなりの時間がかかるはずだ。


「……ブラ、ム?」

「ルナ、気が付いたのか。体の調子はどう?」


 ぼうっとしていたルナの表情が、徐々に青ざめていく。


「そ、そうだ。わたし……」

「僕は心配ないよ」

「で、でもすごく辛そうだよ?」

「……そう見える?」


 まいったな。あまり態度には出したくないんだけど。


「うん。ごめん、ごめんね、ブラム。わたしの、せいで、わたしが……!」


 ルナの目尻に涙が溜まる。それは雫となって頬を流れていく。

 自分が人を傷つける。

 それは優しいルナが何より怖れることだから。

 溢れ出す涙を止められないその姿を見ていられなくなって、僕はルナを抱きしめた。


「大丈夫だよ。もう化け物は、君の体から出ていったから」


 ルナの体温を感じる。


「――《癒しの光》よ。ブラムの体を治して……!」


 治癒魔法の白い輝きが傷を修復していく。

 痛みが徐々に消えていくことで、生き延びた実感が湧いてくる。

 今、確かに未来は変わっていた。

 少なくとも僕が知っている歴史はここで完全に途絶えた。

 この先どうなるのかはまったく分からないけど。

 それでも、ルナが死ぬ最悪の悲劇だけは止められたんだと実感した。



 その。



 直後の出来事だった。




「――必ず殺すと言ったはずだぜ」




 背筋が凍るような声音が耳に届き、意識が闇に閉ざされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る