手遅れ英雄のやりなおし

雨宮和希

序章 愚者の願い

 たとえばの話をしよう。


 もしも――人生をやりなおせるとしたら、君はどうするのか。

 君には世界を、歴史を、大切な人たちの人生を、自分の手で変える覚悟はあるのか?


 いいや、そんなものはないよ、絶対にね。

 君は臆病で、崇高な意志も目的もなく、腐りかけの才能だけがその手にある。

 いったい、何人を犠牲にして今日まで生きてきた?

 君が今日まで生き延びている理由は、君の周りにいた優しい人たちが、君を必死で助けようとして……そして、死んでいったからだ。自覚ぐらいはあるだろう?

 それだけのものを与えられておきながら、君はまだ自己を正当化して背負ったものから目をそらし、今もこうして逃げ続けている。

 だから君が抱いている願いは、まったく意味のない幻想だ。


 もう一度だけ人生をやりなおすことができれば、皆を救える? なんて甘美で都合の良い妄想だ。思わず殺したくなるぐらいに哀れで愚かな男だな、君は。

 悪いが、夢物語には付き合えない。大事なのはいつだって今なんだよ。

 今を変えられない男が別の場所に逃げたところで、何かを変えられるわけがない。

 腑抜けた幻想はこの場で捨てろ。

 君が思い描いた理想の未来は、もはや手に入らないものだと気づいているはずだ。

 失ったものは取り戻せない。あの日の光景は二度と戻ってはこない。


 それでも、まだ未来を失ったわけじゃないだろう?

 逃げるなよ、ブラム=ルークウッド。騎士になりたかった青年よ。


 戦え。


 これは私が君に懸ける最後の期待であり、恩情であり――そして、希望だ。



 ◇



 人類と怪物の戦争。

 世界の支配者を決める争いは、人類の敗北で幕を閉じた。

 怪物――それは動植物が魔力という物質によって変質した異形の存在。ただの獣よりもはるかに強力かつ凶悪で、物理法則を超越した超能力すら宿している。

 魔力を食料とする怪物は、生まれつき大量の魔力を保有する人類に牙を剥いた。

 だが、いくら強力でも怪物の知能は低い。やることは獣のように人類を襲うだけ。

 だから当初は戦争と呼べる段階にすら至らず、厄介な害獣と同じ扱いだった。


 では、なぜ人類は敗北したのか?

 その答えが今、僕――ブラム=ルークウッドの前に佇んでいる。


「人間に負けた気分はどうだ? ――怪人」


 僕はその存在に問いかけた。

 そこにいたのは銀髪の美丈夫だった。

 二足歩行に人型の体躯は、人間にしか見えない。

 しかし、この男は紛れもなく怪物の系譜で、人類の敵だ。


 怪人――怪物の能力と人間の知能を併せ持った新たな存在。

 人類が怪物との戦争に敗北した理由そのもの。


 こいつらが怪物を纏め上げたことで、戦争の形勢は一気に逆転した。


「今更、俺に勝ったところで何の意味がある……? テメェら人類は戦争に負けたんだぞ」


 傷だらけの体で膝をついている怪人は、流暢な人語で返答してくる。

 負け惜しみのようにも聞こえるが、奴の言うことはただの事実だ。

 ここで僕が怪人一人を倒したところで、世界は何も変わらない。

 人類はすでに家畜のように扱われ、怪物の餌として消費されている。

 もはや人類に希望はなく、緩やかな滅びを待つだけの今。


「確かに、お前一人を殺したところで意味はないだろうな」


 僕は言う。暗にその言葉に秘められた意志を悟ったのか、怪人は目を見開いた。


「まさか、テメェ……怪人をすべて殺すつもりか?」

「多数の怪物はあくまで少数の怪人に従っているだけだ。そうだろう?」


 なら、怪人さえ全滅させれば怪物は機能しなくなるはずだ。

 人類の王国を怪人が滅ぼした時と同じ手段。

 まず圧倒的な力で国王や貴族を殺せば、民衆は何もできなくなる。怪人と怪物で知能に明確な差がある以上、人類よりもこいつらの方が効果は高いだろう。


「テメェ……自分がどれだけ馬鹿げたことを言ってるか分かってんのか?」


 こいつの疑問は当然だろう。正気の沙汰とは思えない。

 もちろん自覚している。

 人類は、戦争に敗北した。

 その原因となった者たちを、僕一人で殺すと言っているのだから。


「――残り八人」


 だが、すでに結果は出している。

 怪訝そうに眉をひそめた怪人の表情が、みるみるうちに驚愕へと変わっていく。


「最近、グレイスやマールの姿が見えねえのは……」

「言わないと分からないのか?」

「――テメェだけは、絶対に殺す!」


 肩をすくめると、銀髪の怪人は怒り狂った。

奴は傷だらけの体を無理に動かして、拳を振るうために踏み込んでくる。


「……まだ動けるのか。怪人の耐久力は本当に呆れるな」


 それは怪我で鈍っているものの、普通の人間にはまったく反応できない速度だ。

 この拳が当たれば、軟弱な人間の体ごとき一撃で粉砕するだろう。

 怪人にはそれだけの力がある。

 だが、その拳が僕に届くことはない。


「《呪詛魔法/六式》起動。――《飛翔刃》」


 僕の体から黒色の魔力が噴出する。

 一瞬にして形成された魔力の刃が怪人の腕を切り裂く。

 奴は体勢を崩して倒れこんだ。鮮血が海となる。今度こそ動けないだろう。


「それにしても、意外だな。怪人にも仲間意識ってやつがあるのか」


 僕の呟きを無視して、怪人は激情とともに尋ねてくる。


「テ、メェ……いったい何者だ? どうしてまだテメェのような奴が生きている?」


 意図的なものじゃないだろうが、その言葉はひどく胸に刺さった。

 こいつの疑問は当然なのだ。

 なぜなら、怪人と戦えるような強い人間はすべて殺したと思っているから。

 そして人類を守護していた組織――魔法騎士団は確かに全滅している。


 じゃあ、僕は何者なんだ?

 なぜこれほどの人間を怪人側が把握できていない?


 答えは簡単で救いようがない。

 愚か者の僕はずっと戦いから逃げていた。ただ、それだけだった。

 その事実を認識する度に、心が折れそうになる。

 だけどあの日、魔女の言葉を聞いてもう逃げないと決めたから。


「――お前、僕のことを覚えてないのか?」


 ところで、この男――怪人ヴァルトだけは僕のことを知っているはずだ。

 こいつが覚えているかどうかは微妙なところだが、僕は憶えている。

 忘れるはずがない。


 怪訝そうだったヴァルトの目が、みるみるうちに驚愕に変わっていく。



「まさか、テメェ……あの時の!?」


 なぜなら、ヴァルトは僕の幼馴染を死に追いやった原因の一つだから。


 僕は芋虫のように藻掻く怪人を冷めた瞳で眺めていた。

 同情も憐憫もない。今あるのは憎悪と、それを抑え込む理性のみ。

 憎悪の感情を抱くことぐらいは許してほしい。


「復讐のつもりはないよ。だって彼女を殺したのは僕だ。お前じゃない」

「だったら今更、何のつもりだ!? もうテメェが何をやったって、あの女は戻ってこねえ! それ以外の連中だってそうだ! 過去は変わらねえ、遅すぎるんだよテメェは!」

「……分かってるよ、そんなことは」


 ヴァルトの言葉は正しい。僕が立ち上がるのは遅すぎた。

 いまさら何を救ったところで、大切なものが戻ってくるわけじゃない。


「でも、過去に縋り続けるのはやめた。失ったものを数えるのはもうやめたんだ」


 ――甘ったれた幻想を捨てることから始めようと思った。


 僕にはもう何も残っていないけど、まだ人類には未来がある。

 家畜として扱われ、怪物に消費されるだけの存在になっても、確かにまだ生きている。


「――だから僕は人類を救うことにした」


 僕はすでに二人の怪人を討伐している。

 彼らが統括していた土地で助けた人たちには、英雄と呼ばれるようになった。

 多くの人に泣きながら感謝され、笑いながら称賛された。

 その光景は幼い頃に思い描いていた僕の夢だった。

 だけど、心には何も響かなかった。

 そこに僕が助けたかった人は誰もいなくて、何もかもが遅すぎるのだと何度も痛感した。

 それでも、もう逃げないと決めたから。


「本気かよ……戦争の結末を、たった一人で塗り替える気か!?」


 もちろん一個人がなしえることじゃない。

 だけど僕は魔女と契約し、強大な魔法能力を得ている。

 この力があれば怪人にだって勝てる。現に、ヴァルトで三人目だ。

 その代償として、僕は生きているだけで体を蝕む呪いを魂にかけられているが、こんな愚か者の命で人類を救えるのなら安いものだ。

 あまりの優良契約に感動すら覚える。


「無謀な挑戦だと思うか? なぁ、世界最強の怪人ヴァルト」


 何より、この男に勝てたことが僕の自信に繋がっていた。

 怪人たちの組織掃滅会の序列第一位。“悪魔憑き”のヴァルト。


「テメェの馬鹿げた魔法が最後まで持つとは思えねえな……」

「そこは何とか持たせるさ。後の奴らは、お前ほど強くはないんだから」


 語りながら僕は、倒れ伏すヴァルトに掌を向ける。確実に息の根を止めるために。


「《呪詛魔法/二式》起動――《魔弾》」


 詠唱によって魔法が発動。僕の掌に魔力が収斂し、球体を構成する。

怪人を確実に消滅させる威力を叩き出すために、相応の代償を支払っていく。


 また、何かしらの思い出が僕の中から消えた。魔女の呪いは僕の体を蝕むだけじゃなく、魔法の威力や精度と引き換えに僕が大切に思っている記憶を奪う。

 魔女らしい悪趣味な代償だが、それでも構わない。


 これは僕が今を変えるために望んだ力。

 過去を代償に捧げてでも、未来を変えると決めた証なんだから。


「さよならだ、ヴァルト」

「ちくしょう……こんなところで、この俺が……っ!?」


 僕を恨めしそうに睨みつけるヴァルトに、莫大な魔力を濃縮した魔弾を叩き込んだ。

 ごう、とすさまじい音が炸裂する。

 大地を揺るがすほどの大爆発が巻き起こり、後には何も残らなかった。

 僕はぽつりと呟く。


「――残り七人」


 次に戦ったのは、筋骨隆々とした体格を持つ武闘派だった。

「――残り六人」


 次に戦ったのは、存在感のない幽霊のような復讐者だった。

「――残り五人」


 次に戦ったのは、牙を剥きだしにして笑う不死の戦闘狂だった。

「――残り四人」


 次に戦ったのは、ぬいぐるみを殺人鬼に変える愛らしい子供だった。

「――残り三人」


次に戦ったのは、病床に伏す悪魔の女だった。

「――残り二人」


 次に戦ったのは、古代の伝説から蘇りし狂気の英雄だった。

「――残り一人」


 最後に戦ったのは、救世主を名乗る黄金の男だった。

「――終わった、のか?」


 気づいたら地面に倒れていた。

 というか、僕はいつからここにいるのだろう。

 確か、戦いは終わったはずだ。でも、それ以降の記憶が何もない。

 体を動かして状況を確認したかったが、なぜか体がまったく動かなかった。


 ……まあいいか。もう怪人は全滅させたのだから。


 もう怪物たちを統率する存在はいない。後は誰かが何とかしてくれるだろう。


「どこかで見ているんだろう、魔女。僕はきっと君が求めた役割は果たしたはずだ」


 助けたかった人たちは、もう僕の周りには誰も残っていないけど。

 見知らぬ誰かがまだこの世界に生きている。人類は確かに存続している。


 やるべきことはやった。

 あの日の魔女の言葉は正しかったと、今は認められる。


 ――人生をやりなおしたい。


 その願いが叶ったところで、きっとかつての僕は皆が生きている現状に満足して何も変えられないだろう。

 もちろん終わりを知っているから、多少の努力はするかもしれない。

 だけど僕のように甘ったれた愚か者は、終わりが近づいてからようやく本気で焦り出す。


 ――ああ、もっと頑張っておけばよかった、と。


 何より、もし人生をやりなおせるとしても、僕にそれを選ぶ権利はない。

 皆、僕のために死んでいった。

 こんな愚か者を守るために命を捨てていった。


『ありがとうございます……叶うなら、もっと貴方の傍にいたかった』

『男の子なら泣かないでよ。綺麗な顔が台無しじゃない。大丈夫、あたしは死なない』

『心配すんなよ親友。俺が戻らなかったことがあったか?』

『さっさと行けよ役立たず。こいつはオレが必ず倒す』

『――大好きだった、本当に』


 もう名前すら思い出せない彼らの、その言葉だけは覚えている。

 人生をやりなおすということは、死んでいった彼らのその想いを、僕に託してくれたその遺志を、彼らが彼らの意思で歩んだ軌跡を、すべて無に帰すということだ。

 そんなことが、他でもない僕に許されるはずがない。


「……ありがとう、みんな。それと……ようやく終わったよ、ルナ」


 夢か現かも定かじゃない朦朧とした意識の中、その名前を口の中で転がす。

 凶悪な怪人どもを倒すために、多くの記憶を代償にした。

 そのせいで、もうほとんどのことは覚えていないけど、ルナのことだけは《代償》にすることを拒んだ。なぜならルナの記憶は僕が戦う理由そのものだったから。


 ルナ=ベイリー。

 今はもういない、大切な幼馴染の少女。

  僕が騎士の道を諦めて逃げ出した理由。何もかもを失った過去の象徴。


「……もっと早く、僕にこの強さがあったら、君を助け出せるはずなのに」


 すべてを終えた今ぐらいは、そんな後悔に浸らせてほしい。

 ……ひどく疲れていた。瞼が重い。もう目を開けていられない。

 今なら、とても気持ちよく眠れそうだと思った。

 意識の輪郭が溶け、曖昧な幻想の只中へと沈んでいく。



「――ならば君のその後悔に、魔女たる私のすべてを懸けよう」

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