12.美の棺

 『芸術都市 フィロメリア』には景観重視の法が敷かれており、自動車類での移動は禁止されている。

 それだけではない。ガムの一つでも吐き捨てようものなら、一生日の下を歩けなくなる可能性もあるし、よれたシャツで出歩こうものなら、通行人に助走をつけて殴り飛ばされかねない。

 フィロメリアは多くの発展を求めず、ひたすらに美を尊び、悉く醜を刈る。

 さながら、宝石箱を模した絢爛な牢獄だ。適応できなければ、ただ人として終われることを祈るのみとなる。


 かくいうアルは、己の顔に自信があるわけでも、優れたファッションセンスを所持しているわけでもなかった。

 フィロメリアに関すること細やかなルールを聞かされた際は、行くと豪語した自分を投げ飛ばしてやろうかとも思った程だ。


 馬車に揺られるアルは、窓からフィロメリアの入り口、都市を取り囲む外壁を見上げた。

 ドール侵攻への対策として、四大都市を筆頭とし、多くの都市は城塞を築いたという。だが、フィロメリアのソレは、防衛の意を果たしているのかほとほと疑問であった。


 それは全て、白くすべやかな石膏でできている。壁の全てが、まるで至高のキャンパスだ。

 一面を飾る意匠の凝らされた彫刻や絵画は、陰影や遠方からの見え方に至るまでが計算されており、肌が泡立つほどに圧巻の芸術を織り成していた。それは芸術に関心のないアルでさえ、息を呑むほどに。


(ん、あの絵……どっかで見たことあんな)


 奇妙なことに壁を覆う芸術品は全て、独創により生まれ落ちたものではなかった。美術に精通している人間であれば、一つ一つの作品名を言い当てることもできたのだろう。

 フィロメリアは、瓦解した文明の〝美〟を追い求める芸術家達の寄す処。故に彼らは、独創を決して許さない。


 馬車はついに、フィロメリアのゲートをくぐる。

 祝福の喇叭を奏でる天使の像と、瑞々しさを感じる花弁の彫刻の歓迎を受け、おぉっと声をこぼしたのも束の間。先に待ち構えていた検問所で、馬車は止められた。

 検問所はおとぎ話から切り抜かれたように愛らしく、人もまたくるみ割りの兵隊のような愛嬌がある。


「降りろ」


 反して、声音は低く威圧的だった。護送される囚人の気持ちを味わいながら、アルは渋々馬車を降りた。黒の羽織が、白い風景の中に翻る。地面を踏みしめるヒールが高く鳴く。

 此度のアルは、いつものパーカーコーデを卒業していた。書生風のレトロな装いと、袴風のパンツや革靴の現代的要素が融合した、ラスト直々のコーディネートである。

 生成色の詰襟シャツの上で、ラストの私物である鍵を模したペンダントが揺れた。目つきの悪さを隠すための丸メガネを不服そうにかけ直す手は、白手袋に包まれている。それは傷を隠すと同時に、意図的な知的さを醸し出していた。


 くるみ割りの兵隊を思わせる男たちは、品定めするようにアルの格好を隅から隅まで眺めていく。

 念入りな身体検査と荷物検査を通過すれば、彼らは本物の兵隊じみた動きで検問所へ身を引いていった。手間取らせやがってと飛び出しそうになる舌打ちを寸前のところで飲み込んで、アルも馬車へと引き返す。

 馬車内には、忘れられた中折れ帽が寂しそうに着席していた。


 再び、馬車は動き出す。相変わらず、窓の外は白い。夜の青にさえ、映えるほどに。

 特に中央に聳える巨大な劇場は――全貌こそ見えないものの――月影のヴェールを被り、一際煌めいていた。

 対照的に、道ゆく人々の衣装は色とりどりで、純白のケーキを飾るデコレーションを思わせる。華美な印象は受けられなかったが、上等な生地で仕立てられた衣服なのだと直感できた。


 アルを乗せた馬車は進み、やがて風景は白から石造りへと移ろう。ゴシック様式をふんだんに取り入れた街並みは、人工的な雪に覆われていた。鳥籠のような街灯に積もった雪は暖色に濡れて、果実のような光を実らせている。

 その前で、馬車は止まった。開かれた扉から流れ込んでくる空気は冷たく、しかし不思議と寒くはなかった。雪に滑らないよう慎重に地面へ降りながら、アルは周囲を見渡す。

 ラストの指定した宿屋が、この付近にあるはずだ。聞けばそこは、先鋭部隊『ネメセイア』の拠点である宿屋『コンフォート』と同じく、異能力者の宿泊に協力的らしい。

 端末に送られてきた地図情報を頼りに、彼は歩き出す。


「あぁ……?」


 時間も遅いため、家々の灯りはほとんどが潰えていた。なおも燭光の糸が扉の隙間から伸びるその前で、アルは足を止める。雪の積もった看板には、ドールショップの文字が。

 アルに少女趣味はない。だが、妙な違和感が袖を引いていた。ショーウィンドウに飾られた等身大の少女の人形。吸い寄せられるように、彼はそちらに足を進める。


「……ただの人形じゃねぇな、コレ」


 中折れ帽と丸い伊達メガネをとり、金髪に碧眼の美しい西洋風の彼女を凝視していたアルは、低く呟いた。

 アルの奇妙な審査眼は、ネージュが持っていたパペットの腕を女型のものだと見抜いたように、それがただの人形ではないと判断を下している。

 だが、それを事実だと断定するには、この都市についての情報が少なすぎた。アルはひとまず、その場を離れることを選択する。


「えぇ、またよろしくお願いします」


 踵を返したアルの背を、低音の風鈴にも似た音と中性的な青年の声が追った。反射的に振り返りそうになる体を、本能の糸が無理やり正面に固定する。

 今はその正体を知るべきではない。もしくは、ソレに正体を知られてはいけない。そんな予感が、血液と共に体内を巡っていた。

 アルは、帽子を目ぶかに被り直し、ただ無言でその場を後にする。


 やがて宿屋へ辿り着く頃には、アルのいる部屋を残して、ほとんど全ての灯りが消え去っていた。


 ***


 翌朝、アルは常なら放置している寝癖を丹念に整え、中折れ帽を忘れずにかぶって、例のドールショップへと向かった。

 道ゆく人は寡黙だ。絵画の葬列が額縁を抜け出したように、誰もが俯き喪に服した黒衣を身に纏っている。

 ゲートの先に広がっていた洗礼された鮮やかさとは対照的に、陰湿で退廃的な空気が濡れた街並みに漂い、雪となって降り積もっているようだった。無意識に、アルは黒い羽織りを抱え込む。


「確か、ここら辺だったよなァ」


 生成色の詰め襟シャツの裏、いつもより厳重に巻いた包帯に手を添えながら、血の記憶を辿っていく。万が一シャツにシミでもついてしまったら、今横を通り過ぎていった山高帽の男に、助走付きで殴られる可能性がある。

 妙な緊張感に能力に伴う貧血が加速する中、彼は純度の高い氷のように煌めくショーウィンドウの前で、足を止めた。見上げれば、昨夜見た時と同じ形の雪が積もった看板に、ドールショップの文字が映る。


 しかし、ガラスの奥に、少女はいなかった。黄金の月の艶を宿した金髪の一つ、碧眼の影一つ残らず消えていたのだ。

 アルの心に、違和感が降り積もる。消えた少女の影を追うように、彼はショップの扉を開いた。


「いらっしゃいませ」


 低音の風鈴にも似た涼やかな音色が、客人の訪れを告げる。左手のカウンターで作業をしていた店主らしき男は、手を止めることなく、しかし異様なほどにこやかな表情でアルを迎えた。

 彼の手には、修繕を頼まれたのだろう。女児が誕生日にねだりそうな、妖精の姫君を模した人形が乗せられている。並べられた道具からは年季が感じられ、彼が熟練の職人であることを示していた。


 店内は決して広くはなかったが、ショーケースに飾られた人形用の衣服、ウィッグ、瞳――その全てに、果てのない夢と憧れが詰められているようだ。

 アルは店内へ滑らせていた視線を主人へと向けると、率直な疑問を投げかける。


「昨日の夜、ショーウィンドウに飾られていた人形は、どこへ?」


 持ち前の口の悪さが発揮されないよう、語感には細心の注意を払う。脳内に浮かべられるのは、ラストの口調や仕草だ。彼の言動をなぞるべく、アルは奮闘する。


「人形、ですか」

「あぁ」


 店主は一度手を止め、形の良い白髭を撫でながら、はてと首を傾げた。しわだらけの温容なかんばせには、貼り付けたように微笑みばかりが浮かんでおり、思い做しか不気味だった。


「そんなものは、最初からありませんでしたがねぇ」


 表情は柔らかいシリコンの仮面をかぶっているかのように崩れず、微笑ばかりが張り付いている。ただ、優しげに垂れ下がった瞼から覗いた真っ黒な眼球だけが、月蝕のように白目の中で浮かんでいた。

 否定の言葉が喉元から飛び出しかけるが、唾液と共に飲み下す。


「そうか」


 軽い礼を告げれば、店主は人形の修繕作業へと戻ってしまった。アルは内心で「怪しすぎんだろ!」と叫びつつ、とりあえず、店内を巡ることにした。

 入り口からは見ることのできない奥側へ、ビスクドールの肢体が並べられたショーケースを通り過ぎ進む。

 ふと、アルの足が止まった。


 彼の眼前には、一つのガラスケースがあった。中には白い造花の花畑と、その中央に透き通った小さな棺が閉じ込められている。

 まるで毒林檎を食した少女のように棺の中で眠るのは、この世の美しい白を紡ぎ合わせたように清らかな少女だ。


 淡雪の肌、天使との邂逅を思わせる豊かな白髪。乙女の夢見るシルクのネグリジェは、繊細な四肢をあわく包み込んでいる。

 揃えられた前髪から覗く閉ざされた白の睫毛は今にも震え、目を覚ましそうなほどに細やかだった。


 アルの喉が上下する。彼女の神秘的な相貌に、不釣り合いな炎と血を幻視した。見間違えようはずもない、彼女は殺戮の天使クローフィーを模して作られていた。

 眩暈のする頭蓋を抑え、乱れる心臓を落ち着けようと試みるアルの脳内に、一つの疑問が浮かぶ。


 これを作ったのが店主だと仮定して――彼はなぜ、彼女の姿を、こうも繊細に知っているのか。


 退廃的と呼べるほど、美に執着するこの都市において、彼女の存在は至高と呼べるのだろう。だが彼女が舞い降りるのは、常に地獄だ。一般人――戦う術を持たない者が、彼女の姿を間近に拝める事などないはずだ。

 思い浮かぶのは、昨夜の青年。どこか聞き覚えのある中性的な響きに、思い当たる節が一つあった。それは、彼女の兄ヨシュアの存在。


「ね、お兄さん。金の髪の女の子を見たの?」

「は?」


 思考の隙を突かれ、魂の裏側から滲み出てしまった荒い語気に、半ば殴る勢いで己の口元を抑えるアル。冷や汗が垂れ落ちるのを感じながら、彼は声の元を辿った。

 そこには、氷雪を駆ける灰の狼を思わせる少年が佇んでいた。いつからそこにいたのかは定かではないが、どうやら拳が飛んでくることはなさそうだ。

 彼のまとう空気――特に氷海の底のような眼光――は冷たく鋭いが、まろやかな輪郭と柔らかな灰髪が、彼の齢がまだ幼いことを示している。


「お話はした?」


「人形と?」


「僕ね、あの劇場に行きたいんだ。昨日の夜、あの女の子がそこに行くって言ってたから」


 あのねあのねと語る少年。反して、アルは口を噤む。

 彼自身が壊れた美しい人形のように、言葉のやり取りはチグハグで、少年の耳にこちらの声が届いているのか、ほとほと怪しかった。

 だが本来、人形とは喋らないものだ。アルの眉間に、微かな皺が寄る。

 少年の言う劇場。それはフィロメリアのゲートを潜ってすぐに見えた、あの巨大劇場で間違いないだろう。


「僕はリューブル。お兄さんは?」


 少年――リューブルは、落ち着きなく襟元のブローチを直しながら、アルを見上げて首を傾げた。


「アル」


「アルお兄さん。僕をあの劇場に連れて行って」


 なぜ、自分なのか。そういう類の疑問は押し込めて、アルの羽織を掴んでぶんぶんと振り回す少年を苦々しく見る。

 だがと、アルは唸った。

 ドールの襲撃が発生するのは、宣戦布告通りならば今夜だ。それに至るまでの犯行がパフォーマンスじみていたことを推測するに、彼らはきっと、劇場そこへ現れる。

 アルは腰を曲げ少年と視線を合わせると、短く首肯した。


「ほんとっ! 約束だからね。僕、夜になったらこのお店の前で待ってるから、迎えにきてね」


 リューブルはアルの指を勝手に持ち上げると、小さな両手で包み込んで、羽織と同じようにぶんぶんと振り回す。

 引き攣りそうになる頬を持ち上げて、アルは短くあぁとだけ返すのだった。

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