美しいヨロイ
旦開野
第1話
これは、私が幼い頃、おそらく小学校に上がるか上がらない頃に体験した少し不思議な話。当時高校生だった私の兄は熱帯魚が好きで、ネオンテトラやグッピーなどを飼育していた。熱帯魚の飼育費を稼ぐため、また、餌を安く手に入れるために、兄は放課後と休日は近所の熱帯魚屋でアルバイトをしていた。
ある日の土曜日、私がいつもよりも少し遅めの朝食を食べ終えた頃、母が
「お兄ちゃん、お弁当忘れたみたいで届けに行くから、少し付き合ってくれない?」
と言ってきた。父はちょうど仕事に出ていたため、お留守番をしているわけにはいかない。私はうんとうなずき、出かける準備をした。
外は日差しが照りつけていたが、少しだけ風の中に冷たさを感じる。もう目の前に秋が近づいているみたいだった。私は幼稚園に通うときのように、ママチャリの荷台にある席に座り、母の後ろから兄のバイト先までの道のりを眺めていた。
熱帯魚屋さんには色とりどりの小さな魚と飼育するのに必要な浮き草や水槽、照明器具などが乱雑に置かれていた。母は、兄にお弁当を渡し終えたけど、お店の店主と何やら長話を始めていた。
私は水槽をきれいに泳ぐ魚たちを見ていた。水槽の中には兄が飼育していない、見たこともないような魚たちがたくさんいた。私はそのうちの一匹、すみれのような色をした、ひれがひらひらしている魚が目に止まった。そのお魚は自慢のヒレをゆらゆらと見せつけながら泳いでいるように私には見えた。
「お嬢ちゃん、ベタを見るのは初めてかい?」
突然、声をかけられて、私は当たりをキョロキョロした。声の低さからてっきり店長さんだと思ったのに、店長さんはまだ母と話をしているようだった。
「ここだよ、ここ。お嬢ちゃんの目の前。」
そう言われて、私は目の前の水槽を覗いた。まさか、このお魚が私に話しかけている?私はこの頃、まだサンタさんの存在を信じてはいたけど、お魚が話をするなんて頃をすぐに受け入れられるほど空想が好きな少女ではなかった。
「おい、なんか話してくれよ。俺めちゃくちゃ退屈なんだ。少し、暇つぶしに付き合ってくれないか。」
目の前の魚が喋るなんてまだ信じられなかったけど、私は恐る恐る魚に話しかけてみた。
「声の主はあなた?あなたベタってお魚なの?」
「さっきから言ってるじゃないか。疑い深いお嬢ちゃんだね。そう、俺様ベタっていうんだ。」
紫のベタは体よりもでかいヒレをひらひらさせながら私の方をまっすぐに見つめていた。魚に表情があるとすればきっとドヤ顔をしていたに違いない。そのまま無視するわけにもいかないし、ベタのことを知りたくなった私は、彼とおしゃべりすることにした。
「あなたのヒレってとってもきれいね。」
「このヒレと体の色は俺の自慢なんだ。でも改めて褒められるとなんだか照れるねぇ。」
「とても美しいけど、あなたの姿、まるで鎧兜を着ているように見えるわ。なんだかとても強そう。」
「鎧兜なんて言葉、お嬢ちゃん小さいのによく知ってるじゃないか。」
母が見ていた歴史物のテレビ番組で見て覚えた鎧兜。このベタを見ていたら、なぜかそのテレビで見た、強くてたくましい兜と鎧が、ふっと頭に浮かんできた。
「確かに、俺のヒレは見た目は美しいが、実際は強さの結晶かもしれないな。俺たちベタは観賞用に品種改良をされてきた魚だ。美しいやつの遺伝子が次の世代にも残っていく。美しさっていうのは俺たちが生き残るための武器であり、身を守る防具なんだ。」
当時まだ幼かった私は、少し難しいことを言われて、ぽかんとしてしまった。あの顔は結構間抜けだったのでは、と自分では思う。
「悪い悪い、お嬢ちゃんには難しかったかな。」
そんな間抜けな顔を見たベタは慌てて私にそう言った。
「うん、なんかよくわからなかったけど、ベタってかっこいいお魚だね。」
私は思ったことをそのまま言葉にした。ベタはなんだか照れているようだった。私にはそう見えた。
「みお、誰とお話ししてるの?」
店長さんとのお話が終わったらしく、母が私のところへとやってきた。
「え、うん。なんでもないよ。」
私は咄嗟に嘘をついた。お魚とお話ししていたなんて信じてもらえないだろうと子供ながらに考えたからだ。
「お兄ちゃんに忘れ物も渡せたし、そろそろ帰るわよ。」
ベタの声はもう聞こえなかったが、私は紫のベタをじっと見つめていた。
「どうしたのみお?」
一向に水槽から離れようとしない私に母は聞いた。
「お母さん…私このベタ飼いたい。」
私が記憶している限り、生まれて初めてのお願い事だった。
兄が熱帯魚を飼っているおかげで、私の初めてのお願いはあさりと承諾された。まだ小さい私に管理は難しいからと兄の持っている水槽の中で一緒に飼わせてもらうことになった。私はベタにヨロイという名前をつけた。ヨロイの声が聞こえたのは熱帯魚屋さんで初めて会ったあの時が最後だった。どうして魚が喋ったのかはわからない。
兄の育て方が良かったのか、彼が強いベタだったのかはわからないが、ヨロイは平均寿命を超え7年生きた。最期、動かなくなった時はずっと可愛がっていたので、私はショックで2、3日ご飯をちゃんと食べることができなかった。
それからまたしばらく経って、私は高校生になった。学校生活をしながら、私はモデルの仕事を始めた。と言っても、モデルとして活動したのは1度だけでまだまだオーディションなどを受けては落ちるの日々を繰り返していた。美しさは強さの結晶であると、ヨロイは言っていた。人間も美しくあるには果てしない努力が必要だ。私はヨロイが言っていたことは正しいと思っている。
今日はある有名な雑誌の専属モデルオーディションを受けにいく。今まで受けてきた中で一番大きなオーディションかもしれない。
「行ってきます。」
美しさというのは生き残るための武器であり、防具。あの日、あの一度しか聞くことができなかったヨロイの言葉を思い出す。今から私はこれまで磨いてきた美しさという鎧兜を纏って戦場へと繰り出すのだ。
美しいヨロイ 旦開野 @asaakeno73
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