第34話 甘党の集い 備考:趣味の話が長くなりました。
1578年(天正6年)、世界進出に乗り出していた織田信長に、後にその人脈や商才で海外との貿易を請け負う事になる家臣・明智光秀が加わる。
新たな人材の投入効果は目覚ましく、ヨーロッパ諸国と対等に渡り合う知識と度胸で日本と天下人のお膝下・岐阜はますます繁盛した。
一方、巷では南蛮物が流行りだし、
市場は細分化し、分業の色が強くなる。
その中で、一層人気を集めたものがキリストの磔を模した土産物だった。
小売店が自ら作るという例もあったそうだが、売られているもののほとんどは明智光秀傘下の商人によって取引されていた。
なんでも、息女・明智珠子がキリスト教の教えにいたく感動し、書物を基に図を作成し、
明智珠子は、幼少より関係が深く、織田軍の傘下である細川忠興と結婚。両名、16の歳であった。
織田信長が勧めた結婚で拒否権は無いに等しかったが、政略結婚には珍しい仲睦まじい夫婦として今日にも語り継がれている。
しかし、織田信長が政権を離れて暫く、両者合意の上で離婚が成立した。
その後、明智珠子は明智光秀を手伝い世界中を飛び回る商人として活躍。中でも甘味に目がなく、自ら出向き買い付けを行う程だったとか。
なお、明智家と細川家の縁談をまとめた目的として、明智光秀と織田軍の関係強化が上げられる。
- 某日本史解説書より -
「先生! 砂糖類は食事ではないと、何度言えば...」
藤村は呆れ顔を崩し、目を丸くした。
ここは、使用目的としては休憩所。実際は、食事を摂る時のみ使われている。
研究室には各々に一つはこういった部屋が設けられているので、ここを使うのは都合工学部のみだ。
「さ、砂糖じゃない!?」
「華奈、反応するのはそこなのね。ていうか、原材料で考えれば砂糖類で間違ってないわ」
麻生は驚きのあまり膠着した藤村の肩から顔を出して、芳子の手に乗るこじんまりとした菓子を見つめた。
「444回目です。ゾロ目ですね、祝いますか?」
芳子が真剣な口調で藤村に尋ねる。聞かれた側はといえば、ほうけ顔が増し、思考が停止している模様。
麻生も藤村の肩から覗き込んだ体勢で固まり、芳子を信じられないものを見るような目で注視している。
「冗談です」
「え?」
「ですから、冗談です、と申し上げました」
「あっ、それは勿論そうだろうなと。そこが論点ではなく」
「何ですか?」
「先生、冗談なんて仰るんですね」
「...知人に感化されているだけなので、気にしないでください。いうなれば、バグです。誤作動が起きました」
芳子は不覚だったようで、人差し指でこめかみを揉みながら答えた。
藤村は麻生に借りられていた肩を取り戻し、すぐ側の自分のデスクに向かって猛進した。
引き出しから何かを掴み取って素早く元の位置に戻った。ご丁寧に、先程自ら取り払った麻生の腕まで現状回復している。
定位置に戻った藤村は、一心不乱にメモリーチップを操作し始めた。
「講師が何やら奇行を始めましたが、何故でしょう?」
「私に聞かないでください。華奈は大概変ですよ」
「言われてみれば、そうですね」
芳子は納得して何度も頷く。
「霧佳、えらい裏切りね。そこはせめて否定しなさいよ」
藤村はいつこちらの世界に戻ってきたのか、麻生に不満顔を向けた。
「ごめんごめん。で、何やってんの?」
「んー? ちょっと、同胞に朗報をお届け」
「......人間、冗談くらい言うわよ」
「林又教授は、大抵の一般論に当て嵌まらないって知ってた?」
「知ってる」
「一般論とは多数決の原理によるもので、それを基礎基本とするのは安直ですよ」
麻生と藤村は顔を見合わせて苦笑いした。
「それはそうと、それ、何でしたっけ? 名前。思い出せそうなんですけど、出てこなくて」
「分類で言うなら
「梅ということは、餡が梅味なんですか?」
「いえ。白餡を
芳子は、花弁を五つ作った白梅の菓子に菓子切りを差し込み、花弁の一つを切り取る。菓子を入れた漆器の小皿をテーブルに置き、麻生と藤村に見えるようにして置いた。
「本当ですね、真っ白」
「おー、モチモチしてる」
藤村は芳子が用意していた菓子切りのケースから楊枝を新たに取り出し、菓子の表面をつつく。
「食べますか?」
「いえ、流石に貰うのは申し訳な...」
「良いんですか?!」
「華奈...」
「ほら、よく言うじゃん。好意を無駄にするなって」
「そうだけど...」
「構いません。今回ばかりは講師の図々しさに流されてくれると、此方も大変助かりますので」
「助かる、とは?」
言うが早いか、芳子は席を立ち、部屋の隅に置いてある大きめのボックスを引きずって来た。
透明なボックスは曇りガラスの様な装いで、何が入っているか正確には把握できない。だが、とにかく物が詰まっていることは伺えた。
芳子がテーブルにボックスを置き、蓋を開けると、そこには大量の
「何ですか、これ?」
「昨日、家から送られてきました」
「あっ! もしかして、いつかの食品輸送カード」
「それです」
「では、これらは...」
「全て菓子類です」
「うわぁぁぁ」
麻生と藤村は引き攣った表情を浮かべて、芳子を凝視した。二人の瞳には、同情の色が浮かんでいる。
「私の認識が間違っていたら申し訳ないのですが、こういう類は、普通米や野菜では?」
「霧佳、先生は食べない」
「あっ、なるほど」
「それもそうですが。どうやら売れ残ったらしく、菓子屋の方を仕切っている親族が押し付けてきました」
「本来なら役得ですねと言いたいところですが、これは何と言いますか、一種の拷問ですね」
「生菓子も割合入っている所に、若干の悪意を感じます」
「そんな事は、まあ、そうですね」
藤村はどうにか否定しようと考えを巡らせた。しかし、終ぞ良い反論が思いつかずに閉口した。
麻生はやれやれというように藤村を一瞥し、芳子に向き直って話題を振った。
「えーと、それで、先に生菓子を消費した方が良いでしょうし、生菓子を頂けばいいですか?」
「そうですね。宜しければ、干菓子の方も貰ってください。賞味期限がある物もあるので」
「承知しました。えーと、...すみません、軽くおすすめなど紹介して頂きたいです」
「分かりました」
芳子はひんやりとしたボックスに手を入れ、幾つか箱を取り出す。
それらは色とりどりに包装され、外装から趣があった。それらをテーブル上でいくつかのグループに分けて置いていく。
一通り取り出したところで、芳子は初めに右のグループを手のひらで指した。
「これらは干菓子です。右から打ち物、押し物、焼き物、掛け物、あめ物。有名どころは打ち物ですね。要は
「えっと、え?」
「おすすめは、そうですね、あめ物でしょうか。これは桜をイメージした飴です。桜の葉の塩漬けを使い、見た目も春色で綺麗です」
二人は永遠と続くとも思える芳子の説明に頭がついていっていない様子だ。いきなり饒舌になった目の前の上司に揃って唖然としていると、先に意識を取り戻した藤村が思いついたように声を上げた。
「先生、先程ひなあられと仰いましたよね?」
「はい」
「娘いるのでお雛様飾らないとなって思ってたんです。凄いタイミング。頂いても?」
「ええ、どうぞ。これですね」
芳子は干菓子のグループからひなあられの商品名を探し出し、藤村に手渡した。
「生菓子は...先生、好まない物ってありますか? 有りましたら積極的に取らせて頂きますが」
「特に無いので好きに選んでください」
「あ! カステラある! これ頂きます!」
藤村は、二・三日食べていない餓死寸前の子猫の勢いでカステラに飛びついた。
「本当好きね、華奈」
「何か文句でも?」
「特にないけど」
藤村は流れで芳子が淹れた抹茶を啜り、カステラを頬張っていた。頬は
「ぷっ!」
「...霧佳、いきなり噴き出して何? 食い意地はってるって話?」
「いや、ふふ、考えてみれば妙な話だなって」
麻生は笑いに収まりがつかないらしく、笑い声混じりの苦しそうな声を発する。
「妙って何が?」
「カステラと抹茶」
「定番じゃない?」
「そうなんだけど...ポルトガル発と日本発だと考えると。ふふふ」
「そんな面白い? けど、細川珠子みたいな偉い大商人だってやってたんだから、定番中の定番でしょ。世界中を飛び回った後に、晩年はずっとこの組み合わせでお菓子を食べてたんだから。この組み合わせの時は、最早日本発と言っていいわ」
「アツイわね」
「これでも日本史好きで文系選択した人間だから」
「そっちじゃない」
藤村と麻生は終始漫才を繰り広げ、間の位置に座る芳子はひたすらに上生菓子を貪っている。側から見れば、かなりカオスな状況だろう。
同時刻、主人不在の教授室にバイブレーションが鳴り響く。
振動源は芳子のバッグで、手のひらサイズのスマホが必死に身を震わせていた。
<途中経過>
日時:西暦2021年 3/2(火)15:46現在
結果検証:特になし。
考察:先刻送られてきたスペイン侵略の詳細を至急要求する。
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