第17話 通話よりはメール派です
大きな窓には、真紅の葉がこれでもかと張り付いていた。恐らく、教授室の上の階のベランダに植えられている紅葉の木から来たものだろう。窓からは葉しか見えないので、妙な気分になる。
雲行きは怪しく、先程まで通り雨のような短い雨が降ったり止んだりを繰り返していた。雨粒が降ってきていない時でさえも、空は一向に暗い雲に隠されたままだ。
窓に視線を向ける芳子の目には、濡れた紅葉の張り付く様子が血濡れた無数の手形にも見えた。
昼食を終えても、芳子は慣れない個室になかなか寛ぐことができないでいた。その上、荷物の移動など諸々時間がかかるだろうと言う大学の配慮で今日の担当講義はなく、ついには暇が一人歩きを始めていた。手持ち無沙汰で室内をうろうろしていたところで、ピコンッという音が響き渡った。
芳子は足を止めて、背後のデスクに顔を向けた。ロック画面とメッセージアプリからのポップが表示されているのを確認して、芳子はスマホを手に取った。
『これから作戦会議なんだけど、やっぱり通話にしない?』
芳子は、ストレッチの良い理事室にあるような椅子に深く座り、無意識に長い脚を組む。顎に指先を添えて考える様は、丈の長い白衣も相まって、いつの時代にか君臨していた女帝のようだった。
芳子は暫く考え込んでいたが、何かを決心した様子で指先を動かし始めた。
『しません』
『しないんかい!』
『通話なんてした日には、その後調子に乗って何度も通話をするハメになる。私が兄さんのペースに呑まれて無駄な時間を送らなければならなくなります』
『前はずいぶん優しくなったと思ってたのに(泣) 世の中に無駄な事なんて無いんだ。会話は人類の心のケアに必要不可欠なんだぞ! 兄ちゃんと会話したら、心のトゲも無くなるかもよ♡』
『今後一切協力しなくて良いなら、一分くらいは相手をして差し上げますよ』
『短いわ!』
『そもそも、私、この上なく兄さんの与太話に付き合っている方だと思いますが』
『与太話って(-。-;』
『的を射ているでしょう? 今だって』
『これを与太話だって言うなら、ほとんどの会話は与太話ですー』
『その点についてのみ同感です』
『そんなこと言うから友達少ないんだよ』
ピキッ バリバリバリ
芳子の青白く細い指先は、スマホケースの寿命を確実に奪いにかかった。手の甲には薄っすらと青筋が立っていて、骨の形がありありと見える。
音を立てて真っ二つに割れたスマホケースは、プラスチックの粉がデスクに溜まり、次に二つのプラスチック塊が軽快にデスクに着地する。
芳子のこめかみ付近にも血管が浮き出し、教授室は今にも魔王が降臨しそうな雰囲気に包まれる。しかし、芳子はハッと思い出した様子で怒りを鎮める。
白衣に忍ばせていたハンカチーフを圧縮でもするかのように握りしめながら、必死に平静を保っている。
『そんなことより、通話の件はどうしました』
『芳子がぶった切ったんじゃん』
『続きがあります。メッセージのやり取りでここまで人の話を遮れる人間はそう居ません』
『よく言われる〜笑』
『本題に移ってよろしいですか?』
『さーせん』
芳子はデスク上にある、穴状のダストボックスにプラスチックの破片を寄せ入れる。
手を2回ほど自分の手で払って違和感がなくなると、芳子の指先は再びスマホに向けられた。
『音声入力システムを使ってください』
『あ、なるほど、その手もあった(棒)。でも、あれ定期的に切れるじゃん。あと、やっぱり通話そのままにしてた方がいいでねーの?』
『全くなるほどと思っていらっしゃらないですよね』
『うん。ぜんぜんまったく少しも納得してない(^^)』
芳子は肺に入っている息を全て出し切るように、大きなため息をついた。
『通話にした場合、私の能率が50%以上低下しますが、宜しいですか?』
『なんで? あっ、そっか芳子は目の方か!』
人には何であっても得意不得意が存在する。それは衰えでも病気でもなく、言うなれば「個性」と言うものだ。
21世紀初め、と言っても今もそこそこ初めの方ではあるが、2000年頃にあるシステムが開発された。
能力判断プログラムを搭載した高性能AI「ラクス」。字面の通り人間の能力を測り、その最大を引き出す方法を割り出す。キャリアコンサルタントの仕事に似たところがある。しかし、AIが出来ることはあくまで能力を潜在しているところまで測ること、そして過去の事例から最適解を割り出す事だった。
だが、人間というのは厄介なもので、人間の行動源となる意思というものが無視される事が問題とされた。また、クリエイティブさに欠けることから、進化の不可能性が指摘された。しかし画期的な機能であったために、本来ならば雇用現場での活用するものであったが、意図せず教育現場で広く普及する結果となった。
子どもが小学校に入学すると、初めには必ずラクスの判定を受ける。AIの導き出したデータから一人一人に合った教育を、無理なく行うことに成功した。
ラクスの判定結果は項目で表され、あらかじめ設定されているいくつかの判断基準に従って出されている。
数多ある中で特に重要視されているのが、この項目である。
タイプ) 視覚優位・聴覚優位・体感優位
芳子と哲男も例に漏れず、タイプの判定を受けている。
芳子は視覚優位。目で見た物の情報の方が頭に入りやすく、聞くよりは読む方を得意とする。
対して哲男は聴覚優位。耳で聞いた物の情報の方が頭に入りやすく、読むよりは聞く方を得意とする。
つくづく正反対な兄妹だった。
『そうです。私は極端な方で、聴覚からの情報は殆ど言語化されません。情報を拾うのがやっとで、情報整理にはさらに時間がかかります。文字でおこしてある方が同時進行できて良いと思いますが』
『えー、でもさー、実際に聞いた方がわかりやすいじゃん?』
あるタイプの人間に、他のタイプを理解しろというのは酷な話であるが、時にこれが関係に摩擦を起こすきっかけとなる。
故に、子どもたちは幼少から言い聞かせられている、「他の人が自分と違うのは当たり前。仲間外れにされたくないなら、他の人を決して仲間外れにしてはならない」と。これが功を奏し、少し前に出回った「障がい」という概念も、認知されることはなくたちまち消え去った。なぜならば、その程度の違いは個性の幅に収めることができるからである。
しかし、「理解する」と言うのはそう簡単な物ではないのだった。
続けてメッセージが送られてくる。
『相容れないっつうのは、まあ、分かってんだけどさ。んー、分かんない』
『それが普通です』
『でもさー、音声入力はさ、やっといて後で読めなくなるパターン多いよ。だったら通話で聞いて、聞き取れなかったところは俺が補充するって感じで、どう?』
『いつも話の補充をしてまとめているのは誰だとお思いですか。説明が足りないせいでフォローに駆けずり回っているのは誰だと思っているのでしょうか』
『芳子様です』
『できますか? 不足なく覚えて説明すること』
『できないっす』
『音声入力の方向で』
『了解いたしました』
『比叡山への討ち入りもやらない方向で』
珍しく、哲男からの返信は遅れて届いた。
『冗談キツイ。それだけは本気で従えないから』
『分かってますが』
『じゃあ、なんでその話出すかな』
『最終確認です』
教授室に張り付いていた紅葉が、太陽の光に照らされ所々剥がれている。宙ぶらりんになっているそれを風がゆったりと攫ってゆく。
『芳子がさ、俺に、やらせないようにする方法があっても使わないでくれてるのは、分かってる。だからさ、試さなくて良いよ。だんだん分かってきた、つうか実感してきた。俺次第で、人が大勢死ぬ未来があるって。十分痛感した。だから、もう大丈夫だよ』
室内に太陽の光が煌々と差し込む。雲間の光は、まるで宗教画の一部にも思えた。
『良かったです。このままだったら、何かやらかす前に兄さんの頭上に鈍器を降らせなくてはならなくなるところでした』
『危なかったー。でもま、うん、その、えーっと』
『要件ないなら会議まで連絡してこないでください。切りますよ、電源』
『いや、電源は切っちゃダメでしょ!』
『冗談です。連絡事項なら先に伝えておいてください』
『いや、違うんだけど...。 んー、本当はさ、もろ林又のやり方だし、ちょっとどうよって思うのもあるんだよ。でも、まあ、ありがとう、考える機会をくれて』
『いきなり何ですか?』
『考えてみれば、芳子なら上手く俺をコントロールしてちゃんと立ち回らせることもできたわけじゃん。それも、俺に知られずに。なのに、俺に考えさせてくれてる。えらく優しいなーと、ありがたいなーと思いまして』
紅葉は風にのって下に下にと落ちていき、地面に到達した。大量に横たわっている落ち葉を、日の光が明るく照らす。
『いえ、感謝されるほどのことではありません。
だって、兄妹ですから』
(これは、**ですから)
<途中経過>
日時:2020年 9/29(火)13:24現在
結果検証:目標の心理状態は思惑通りになっていると考えられる。
考察:良い結果が得られそうだ。
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