第14話 エミリヤとシュテファン
図書館でハルと再会してから数日後。
ユディは小鳥寮の台所で食材と格闘していた。
ズタンッと豪快な音を立てて、キャベツが真っ二つに割れる。
包丁を握りしめるユディの表情は暗い。
「まさか、先生たちが誰も推薦状を書いてくれないなんて……。想定外だったわ」
文官採用試験を受験するには、まず学院を通して申し込みをしなくてはいけない。
その申し込み書類に、指導者の推薦状がいるのだ。
しかも、最低二通。
ユディが文官になれる素養の持ち主である、と手紙にしたためてくれそうな先生を、二名探さなくてはいけなかった。
さっそく今日、歴史を教えている男性教師に推薦状を書いてくれるようお願いしに行ったのだが、「小鳥寮生が受験するなんて無理、諦めろ」の一点張りで相手にしてもらえなかったのだ。
仕方がなくほかの先生に頼んでみたが、答えは同じ。
結局、心当たりの先生には軒並み断られるという悲惨な結果になった。
「小鳥寮生には文官採用試験の受験資格がないっていうこと? そんなのおかしいわよね。平民でも男子は受けてるんだから」
やっぱり、女子だから、無理だと思われているのかもしれない。
レイ先輩に、小鳥寮生は授業が家政が中心なので、受験勉強が大変だと言われたことを思い出す。
「せめて過去問題が手に入ればいいんだけど、それすら断られたし……」
このままでは受験の申し込みすらできない。
やるせない気持ちの腹いせに、キャベツを猛スピードで千切りにしていく。
あっという間に千切りにされたキャベツを鍋に放り込み、塩を振りかけた。
このキャベツは新しい行商の人が持って来てくれたものだ。
流通事情のよい王都ルールシュでは、新鮮な食材が安価で手に入りやすい。
だが、今日買えた品物はこれまで以上に高品質で、さらに安かったのだ。
見かけない行商人だったが、感じのいいおじさんだった。
新しくこの辺りを回ることにしたようで、行商の荷台がまだ外にある。
「なんだか、最近新しい人が多いわね」
ユディが不思議そうに呟く。
ここのところ寮で下働きする掃除婦や、修理工などが全員変わった気がする。
「春だから仕事の変わり目なのかしらね」
今度は牛肉を細かいサイコロに切っていく。
焼く直前に軽く塩コショウを振り、フライパンで炙るようにして、醤で味付けをする。
ちなみにコンロは魔道具なので、前世のガスコンロと同じ感覚で使うことができる。
キャベツは水を切り、砂糖と酢で和える。
トマトを薄くスライスにする。
「あとは包むだけね。作っておいたピタパンに入れて……と」
ピタパンの中に具を詰め、すりおろしたニンニクを少しだけ入れた自家製マヨネーズを横に添えた。
「完成! さ、お昼にしましょ」
出来上がったサンドイッチを持って、部屋に行く。
何もかもうまくいかない日だとしてもお腹は同じように空くのだ。
ユディはむしゃくしゃする気持ちごと、勢いよくピタパンサンドにかぶりついた。
ニンニク風味のマヨネーズが醤のついた肉と合って、美味しい。
さらに野菜たっぷりだからわりとヘルシーである。
今度、機会があったらハルに食べさせてあげたいと思った。
お昼過ぎからのユディの午後の授業は、「淑女のための正しいマナー講習」である。
改めて考えると、小鳥寮生の普通科の授業はとても文官採用試験に向いたものではない。
魔導師養成科であれば男女一緒に学ぶが、普通科は男女のカリキュラムが異なっているのだ。
政治、経済、産業、軍事など、実務に必要な高度な学問は女子には必要ないと思われている。
卒業まで、あと一年。
それまでにじっくり時間をかけて受験準備をしようと思っていたが、どうやらそう簡単に事は運びそうもない。
一人きりの昼ご飯を食べ終わり、午後の授業の準備を済ませる。
マナー講習の先生には、まだ推薦状を頼んでいない。
だめで元々、頼んでみるべきだろうか。
そんなことを考えながら女子寮の外に出ると、そこでエミリヤにばったり出くわした。
「……エミリヤ?」
同じ寮に住んでいるのだから、おかしいことではない。
だか、エミリヤと一緒にいる人物を見て、ユディの心は途端に泡立った。
一緒にいるのは……シュテファンだ。
「あら、お姉さま! 奇遇ですわね」
エミリヤがことさらに明るく声をかけてくる。
嬉しそうにシュテファンに腕を絡ませながら。
混乱する頭で、ユディはエミリヤを問いただす。
「エミリヤ……どうしてシュテファンと一緒にいるの? それに……」
二人の親しそうな様子は、どう見ても友人のそれを超えている。
「うふふ。さっき、私達がどこにいたと思います?」
「…………?」
「裏庭のヴィオランダの木の下です。ねっ、シュテファン様」
「ああ。今しがた、エミリヤに婚約を申し込んだ」
「嘘でしょ……!」
衝撃的な告白に、ユディは固まった。
シュテファンは怒り心頭といった様子でユディに対峙した。
「ユーディス、エミリヤに全部聞いたぞ! お前、エミリヤの父上が男爵位を継いだことをずっと恨んでいたそうだな? それで逆恨みして、罪のないエミリヤを散々虐めていたそうじゃないか!」
「…………え?」
頭が真っ白になる。
エミリヤを虐める?
まったく身に覚えのない話に、ユディは啞然とする。
「エミリヤ……?」
引きつる顔をエミリヤに向けると、美しい従妹は両手で顔を覆いわっと泣き始めた。
「ごめんなさいお姉さま……! 黙っていろと言われていたのに、どうしても辛すぎて、思わず……!」
シュテファンはそんなエミリヤをユディから庇うように背に隠す。
蜂蜜色の髪がシュテファンの陰に見え隠れしている。
こんなの嘘だと、何かの誤解だと、そう言ってほしくて、すがりつくようにエミリヤに近づこうとしたその時だった。
ドンという衝撃を肩に感じ、ユディがあっと思った時にはシュテファンに思いきり突き飛ばされていた。
勢い余って転がり、地べたに手をついてしまう。
「エミリヤに近づくな! 俺の目の前で彼女に危害を加えられると思うなよ!」
「そんなことしないわ! エミリヤと話をしたいだけよ」
立ち上がろうと力を入れると、ズキンとした痛みが手首に走る。
変な方向に捻ってしまったのかもしれない。
態勢を立て直す前に、シュテファンが頭上から威圧的に吐き捨てる。
「ああエミリヤ、こんなに泣いて可哀想に……。真面目そうな顔でこの俺を騙していたんだな、ユーディス! お前がそんな女だとは思わなかったぞ!」
「な、何のこと……?」
「しらばっくれるな! エミリヤが魔導師養成科にいるのが気に食わなくて、教科書を隠したり、破ったりしたんだろう? それ以外にも、食事中にわざとぶつかって彼女の食器を落として、制服を汚したそうだな!?」
「そんなこと、するわけないでしょ!? 何言ってるの……? エミリヤ、嘘でしょ、こんなの」
エミリヤは心優しい従妹だ。
これは、何かの間違いだ。
だが、顔を上げたエミリヤは目元を拭うと、しゃくりあげながらこう言った。
「私、お姉さまと婚約破棄するなんてひどいですって、シュテファン様に文句を言いに行ったんです。そうしたら、私のことがずっと好きだったって……。私、嬉しくて……。私も、ずっとシュテファン様をお慕いしていたから。でも、お姉さまのお怒りが恐ろしくて、一度はお断りしようと思ったんです。そうしたら、心配ない、全部信用して話してくれって言ってくださって……」
そこまで言うと、また顔を伏せて泣き出す。
嘘、嘘、嘘だ。
ユディの心は絶望に沈む。
「エミリヤ、いつから……?」
仲が良いと思っていた。
叔父夫婦にいくら邪険にされても、エミリヤはユディに優しかった。
だが、それはまやかしだったのだ。
騒ぎを聞きつけて、女子寮の前には人が集まり始めていた。
だが、野次馬の生徒たちは遠巻きに眺めるだけで、誰一人として地べたに這いつくばるユディを助けようとしない。
可愛くて、才能のあるエミリヤ。
社交的で友人も多いエミリヤの言うことを、誰もが信じるだろう。
シュテファンは汚い物でも見るかのように、ユディを見下ろし続けている。
「最近ではエミリヤが魔導師団の入団試験を受けることを聞きつけて、対抗するために文官採用試験を受験しようとしていたらしいじゃないか! まったく笑わせる。お前のような宙ぶらりんの娘が、王城の文官などになれるわけがないだろう!? 才能に恵まれたエミリヤを羨むのもいい加減にしておくんだな。見苦しいだけだぞ」
「た、対抗……?」
つい先日の会話が思い起こされる。
あれはエミリヤがユディの将来を考えて勧めてくれたことではなかったか。
それも、嘘っぱちだったということか。
分不相応の挑戦を勧めておいて、陰で笑い者にするために……。
「……話はわかったわ。部屋に戻るわね。これじゃあ授業に出られないもの」
ユディは静かに立ち上がった。
手首が痛んだが、できるだけ顔に出さないように我慢する。
地面についた制服は泥がついて汚れてしまっている。
シュテファンはぼろぼろになったユディの姿に一瞬気まずそうにしたものの、助け起こすことはもちろんしない。
静かに立ち去ろうとするユディに、グスングスンと鼻を鳴らしながらエミリヤが声をかける。
「お待ちください、お姉さま! これをお渡ししなくてはいけなかったんです。どうぞ」
「エミリヤは前に出るな。俺が渡そう」
シュテファンが渡してきたのは一通の手紙だった。
封蝋はハイネ男爵、つまり叔父のものだった。
このタイミングで手紙を渡してきたということは、どうせろくな内容ではあるまい。
野次馬の好奇の視線に見送られながら、ユディはその場を後にしたのだった。
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