Al
@xhomalex
愛が足りない
東京オリンピックは大盛況の中で幕を閉じた。
2013年の開催決定から2020年の閉幕に至るまで、国内では多くの懸念点・問題点があげられたが、蓋を開けてみればそれらのことのほとんどは杞憂に終わった。
経済的な側面でみると、観光客に向けたホテル不足が深刻な問題となっていたが、民泊新法の施行により空きビルや空き家を宿泊施設に転換し、またフェリーでの船上宿泊を可能にすることで対策を打っていた。
そのことにより、当初予測していた旅行者数の500万人という数字を20万以上超える結果となった。観客動員数においても約1000万人の来場を喚起。
またオリンピック開催年(特に開催月とその前後)は開催地の混雑を避けるために訪日観光客の減少が懸念されていたが、実際には全期通して上昇傾向にあり、オリンピック開催月を含む7月〜9月期の数字は前年同期比でプラス11パーセント上昇する結果となった。
オリンピック開催国の特需となる外国人観光客の増加という点においても、その憂慮が取り払われたことにより年間観光者数が3600万人を超える見通しとなっている。
2013年から2030年の17年間に渡って30兆円を超えると見込まれていた経済効果も、更に上振れしていくのではないかという期待が高まっていた。
国をあげたオリンピックという一大事業の成功に、経済の分野では大いに潤う結果となった。
しかし、スポーツの祭典という本質的な点で見ると、その結果はなかなかに悲惨なものだった。
金メダルの獲得数は5個に届いておらず、メダルの総獲得数も18位とここ半世紀の中でも最低水準にあった。
オリンピック効果で観光業や小売業という産業はここから数年伸びることが期待されているが、一方で五輪大会の結果と同じくして大きく大敗している産業があった。AI産業だ。
AI(人工知能)の分野の勝利において大きな鍵となってくるのがビックデータと呼ばれる膨大な量の情報となるが、そもそもそのデータ量がITによる第三次産業革命で大敗したこにより、日本はその基盤となるデータが不足している状況となっている。
さらにはITの産業革命において成功を収めたアメリカや中国は、莫大な予算を国家や企業がAIの研究に投資できるのに対して、日本はその10分の1程度しか予算を準備出来ないという現状にある。
更に日本は高齢者の多いことなどから、新しいもの抵抗感・拒絶感が強く、リテラシーの不足によりAIは自らの仕事を奪う可能性があるという危機感を強く抱くようになっている。
このようなことからAIによって起きる第4産業革命においても日本が敗北を重ねることが明白となっていた。
そんな中、日本の技術者・研究者が意地を見せようと奮闘している国内の二大AI会社があった。
コアインテリジェンス(CI)とシバタAIだ。
両者は同じAIという舞台でありながら、CIは画像認識・画像処理・音声認識などの分野を活躍の場としており、対してシバタはというと自然言語処理の分野を主としているため土俵を分かつ形となっている。
しかし二社は創立時期を1990年代後半とほぼ同じくし、常に日本のAI産業を牽引しトップを争ってきたことや、本社も互いに東京都文京区本郷においていることなどからメディアでは特にライバル会社として認識されてきた。
だが、昨年シバタは社内方針を大きく転換したことが裏目に出て業績が落ちている一方で、CIは「Criminal capture」という製品の開発の成功を収めており日本国内での明暗も分かれつつあった。
オリンピック熱と共に夏も収まり、季節は夏から秋へと変わっていた。
東京五輪の閉幕から2ヶ月を過ぎた11月某日ー。
AI会社CIに勤める1人の男が、昨年6月に発表した製品「Criminal capture」での大成功を収めた社員としての勝ち名乗りをあげるように優雅に、光沢の強いネイビーのスーツを身にまとって都内にある公園を歩いていた。
バックパック1つを背に、世界をあてどもなく旅をすることが自分探しをするための最適解かと問われれば、それは必ずしもそうではないだろう。
やり場のない虚しさや、やりようのない社会へのいら立ちの行動の現れとして、行きつく先がそこになってしまったというだけのことに過ぎないのかもしれない。
恋の迷路の行き着く先には、愛の入り口が待っているのだろうと、その可能性にかけてはいたが、愛の入り口どころか恋の入り口すらも、まだ見つけ出すことができずにいたのだった。
時に滝沢は、職場の同僚や後輩あるいは上司の女性からアプローチを受けた。社外に出ても、会食の席では熱烈な視線を浴びせられることや、飛行機で乗り合わせた隣り席の女性から突然連絡先を渡されることもあった。
しかしどんな時だって、滝沢の心音が高鳴ることはなかった。キスをしたいとも、ましてやセックスをしたいとも、思いはしなかった。
愛とは一体なんなのだろうか―。
それがなんなのか滝沢には全く理解できていなかった。哲学的な文章として理解はできたとしても、自分の中に沸き起こるモノとしての実感はまるでなかった。自分が渇望するように、なぜそれだけを求め彷徨い続けているのかも―いや、それを理解したいのだ、もっと知りたいのだ。もっと、もっと。
振り出しに戻った―。東京文京区本郷南公園では一組の母子がブランコで遊んでいた。11月と秋も深まり肌寒くなってきてはいるが、この日は天候に恵まれ日差しが強く気温も高かった。
30代前半と思しき母親は薄い茶のコットンシャツとゆったりとしたデニムパンツを着用し、ブランコに腰掛けている。
母親の視線は、隣のブランコを座りこぎする娘に向いていて、その子は4.5歳ほどの幼女だった。
服装は紺のワンピースで、胸元にはチェック柄のリボンが施されている。
2つのブランコの間では朗らかな笑顔と優しい視線が交わされている。
雲ひとつない澄んだ水色の空を背に、2人にスポットライトのような強い日差しが降りそそいでいる。写真に納めたくなるようなその眩しさと暖かさのあいまった光景は、神聖さすら漂わせていた。
滝沢はその微笑ましい母子の姿を公園の端にあるベンチから眺めていた。
愛とは一体なんなんだー。
散々繰られた辞書のそのページにはくっきりとした折り目が付き、一瞬で開くことはできるが、見開きに文字はなくまっさらだった。
心を真っ白にして人と向き合うということが愛なのか、と一瞬推察するがそういうことではなくただただ、愛に関する情報が欠落しているのだ。
枯れ葉がクシャリと潰れる音が聞こえて、微かな足音が次第に近づいてくる。
それを察すると滝沢は首を横に向け、視界外にいたその足音の主を捉える。
あたり一面は、イチョウの葉によって黄色い絨毯になっており、グレーのスニーカーがそこの上を歩んでいる。
白いシースルーのマキシスカートをはためかせ、グレーのパーカーのポケットに両手を突っ込んでいた。
フードの紐は長く胸下まで垂れ、スルスルと紐を辿るように視線を上げていくと、胸には膨らみが無いため紐はよれることなく真っすぐと鎖骨あたりにある紐穴まで伸びている。
ちょうどそのフードの紐穴を境にするように、鎖骨から耳にかけての首筋のラインが陽の光を受けて、艶やかに光っていた。
耳を隠す程度の長さの黒髪のショートヘアが顎の流れに沿うように流れている。
顔は横を向いており、鼻筋は綺麗に通っている。黒目の大きい瞳に、軽やかにあがるまつ毛は長く、眉は平筆で横にスーッと淡く書いたような上品さがある。
下唇の厚く、リップは気品のある薄紅色で塗られていた。
綺麗な顔だった。世界中で出会ってきた美女や、仕事で何度か一緒になったことのある女優やモデルに見劣りしない美しさだった。
そこにいる整った顔の女性が横を向いていたのは、その視線の先にいるブランコでじゃれ合う母子を捉えていたからだった。
幼女がはしゃぐ姿を見て口元が綻ぶ。
薄紅の唇はゆっくりと左右に開き、目力の強い瞳はフッと火を消したように優しい母性溢れる目に変わっていた。刹那ー中静真愛は滝沢の視線に気づき、横に向けていた顔を正面に戻すとベンチの方へと目を配った。
そこには足を組んで腰掛ける男の姿がある。
シルク生地の織り込まれた光沢を放つ濃紺のスーツには、白く細い線のストライプ柄が施されている。首元には黒地に白の小紋柄が入ったネクタイ。組んだ脚の先にはダークブラウンの革靴を履いており、強い光を弧に照り返しているつま先は、キザに顎を上げたように宙を向いている。
黒髪短髪で髪は額からあげており、重力に反した状態で波のように弧を描いている。
顔は頰や顎に骨ばった印象のある輪郭に、彫りの深い瞼とやや垂れた目尻、鼻は高く通っており、深く長いエクボが頬から顎先に向かって斜めに入っている。
30代半ばと思しきその男は清潔感と品があり、大人の色気を漂わせている。
ベンチに腰掛けた滝沢創と落ち葉を踏みならして歩く中静真愛は、穏やかな笑顔のまま視線を交わす。こうして2人は最初の出会いを迎えた。
中静は滝沢の視線が自身から逸れたの確認すると、滝沢の1つ隣にある木製のガーデンベンチに腰掛けた。
2人は同極の磁石を向かい合わせたように、ベンチの端と端に腰掛けている。
中静は、猫の顔が描かれている白いトートバックを肩から下ろし、ベンチの上へと乗せる。
バックを開き中からハードカバーの本を一冊取り出すと一度それをベンチの上へと置いた。
そしてバックの中にあったペットボトルを取り出し、キャップをくるくると回すと、おもむろに口元へ運ぶ。
こくこく、と喉を鳴らして水を飲み終えるとキャップを閉めて、本と入れ替えるようにしてベンチの上へと置いた。
手に取った本のその間に挟まった栞を、細く飾り気のない指で摘み本を広げる。
ベンチに投げ出された本の背表紙に、滝沢は見覚えがあった。
「AIには愛がない」そう題された本の内容を頭の中で反芻しながら、ジャケットの内ポケットにあるタバコを取り出す。
タバコの箱のフタを開き、一本取り出すとおもむろに口にくわえる。もう一度ジャケットの内側に手を突っ込み、ライターを指で掴む。
カチ、という音と同時に豆粒ほどの火が起きた。弱々しいその微かな火を守るように、反対の手の平で覆いながら口元まで運ぶ。
滝沢が大きく一息吸うと、タバコの先端は赤く染まり、ジリジリと燃えながら灰へと変わっていく。
ライターをしまいフィルターをコンコンと指で弾いてやると、灰がパラパラと空に舞う。
強い日差しに冷や水をかけるような秋風が吹き、灰をさらっていく。
先端からでる煙のせいで、視界の先はピントの合わないカメラのようにぼんやりとしているが、ブランコではしゃぐ女の子とそれを見守る母親の姿がまだそこにあった。
その微笑ましい母子の情景を見ながら、2度、3度と煙を肺に送り込りこむ。
『灰皿ないなら、タバコ吸うのやめてもらえませんか?』
さきほどまで隣のベンチで本を繰っていた女の姿が、目の前にあった。
『これは申し訳ない』滝沢はそう言った後、焦りのあまりか火のついたタバコを手の平で握り潰そうとしたが、すぐに気を取り直して辺りを見回した。
その後、どこで消すべきだろうかと悩んだ末、手すりの金属部分であれば問題はないだろうと判断したところで、また、声がかかった。
『どうぞ』冷たい声だった。呆れるような眼差しを滝沢に向けながら、表情なく女がそう言う。
差し出された手にはターコイズ色の携帯灰皿があった。
滝沢は再度『申し訳ない』と謝罪を伝え、それを手にする。
吸い殻の入った携帯灰皿を手にしながら『気をつけてくださいね』と一言残し、中静は隣のベンチへと戻っていく。
滝沢は女に目を向けると女は何事も無かったかのように、さきまでと同じ格好で本を広げている。
静けさが、戻った。ブランコにいた母子は、立ち上がり手を繋いでいる。
隣のベンチに腰掛けている女は澄ました顔で本を読み、自らもまた、落ち着きを取り戻した。
その静けさが、嵐の呼び水となったのだろうか、公園の後ろで大きなクラクションの音が聞こえた。
トラック特有のこもるような高い音が鳴り続け、中静は本を閉じ、母子は手を繋ぎながら不安そうな面持ちで、その方へと振り返った。
滝沢はベンチから立ち上がると、スーツのジャケットを翻しながら音の方へと体を向け、目を凝らした。
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