パンツの中

「あんたら、それ、何見てたん?」


 風呂上がりのようにばさばさとショートカットの水を切っていた森下が、急に話しかけてくる。

 視線はベンチに座る中林の背後、先ほど仕入れた戦利品に向けられていた。


 瞬間、


 ――やばい。


 と思った。


「それ、本? 何の本なん? 中林、見せてや」


「あ、いや、これは……」


 ――見せられるわけないやろ。渡すな。断れ。


 目で合図する。


「嫌なん?」


 ――当たり前やろ。おい、渡すな、渡すなって。……おい!


「え、いや、ううん……」


 ――ううん、じゃないやろ。この阿呆。


 止める間もなく、中林はオドオドしながら森下に本を渡す。


「うわっ! 何これ、ちょっと、これエロ本ちゃう!?」


 森下が叫ぶ。


「マジで!? うわうわ、何なん、エロ漫画やん!」と原。


 川野が釣られて覗き込む。


「わぁ……」


「ゆり、すごいで、これ。めっちゃエロい」


「う、うーん。これ、女の人のあそこ、何かプッシャーってなってるんやけど……」


 目を丸くして苦笑している。


「あんたら、こういうの、見てたんか。――吉川」


 原がニヤニヤ笑いを浮かべながらオレの名を呼んだ。


「いや……」


「何なん、あんたら、女の裸見たいん?」


「え?」


「だからー、女の裸が見たいんか? って」


 ――こいつは何を言うてるんや。


「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


 ちらりと川野の顔を見ると、まだ本に釘付けになっている。

 両手で口を覆い少し頬を赤らめている。


「原ちゃん、見したったら?」と森下。


「何で、ウチが見せんのよ。モリシの方こそ見せたりーよ」


「嫌に決まってるやろ!」


 エロ本を閉じて、スコーンと額を叩くような動作でおどける。


「じゃあゆりは?」


「え? 何が?」


「裸」


「いいよ」


 ぎょっとした。

 川野は突然踊り子のようなくねくねとしたダンスを披露する。

 くるりとターンした時に雨粒が散る。


「――って無理に決まってるやん!」


 彼女なりのノリツッコミだったらしい。

 笑うことができず、ただ見惚みとれていた。

 オレが強い野生動物のオスなら、こんなにフェロモンを撒き散らすメス個体は許さないんだけど。本当。


「ゆり! ノリノリや」


「いやいや、無理やって」


「あ、じゃあこうしようこうしよう!」


 原が耳を疑うことを言い出した。


「三人の内、


 ――え?


「何? 雨宿り料? 吉川とかにサービスすんの?」


 森下が立ち上がって腕を組む。


「雨宿り料か。まぁそうやな、そんな感じやな」


「ふーん、おもろいやんか」


「えーー、無理無理。裸は無理やって」


 川野がぶんぶん片手を振る。


「さっきノリノリやったやんか。これは全員参加や。男なら覚悟決め」


「女やっちゅーに」


 額にぺしっとチョップを見舞う。

 彼女達の流行りの動きのようだった。


「まぁでも素っ裸はちょっときついか」


 原はそう言って、うーんとしばらく東屋の天井を見上げていたが、よっしゃ! と一声上げた。


「じゃあこうしよう。パンツを一瞬ずらして見せる」


「見せる? 何を?」


 森下が小首をかしげると、原はすかさずエロ漫画のページをひらき、大開脚しているヴァギナリアを指差して「中身」とひとこと告げる。

 途端に、二人が腹を抱えて爆笑する。


「中身て!」


「ちょっとやめて!」


 特に森下は呼吸困難に陥りそうなほど腹をよじって笑っている。

 原は、這いつくばる彼女の目の前にページを見せつけて追撃する。


「ほらほら、こんな風に中身を見せんかーい」


「ちょ、やめてやめて、マジで死ぬ」


 ひとしきり笑い転げる。

 やがて原が、


「まぁ三秒ぐらいやな。パンツの中、ぱっと見せる感じ」


「はーしんど。三秒かぁ……」


 川野も涙を浮かべている。


「よっしゃ受けて立つで!」


 拳を握る森下に、


「あんたら、ほんま……」


 と彼女はため息を吐く。


「でもおもろいやんか、ジャンケンやな!」


 何と受けて立った。


 ――おい、川野……。これは一体……。


 雨宿り料など請求した覚えもないのに。

 わけの分からない話が展開されていく。

 男性陣を見ると、硬直した地蔵のまま目をいている。

 感情は読めない。


 雨音がサーサーと屋根を打っている。

 意味不明の脱衣ジャンケンが行われようとしていた。


 オレはつい最近教室で、活発な女子グループがスカートめくりの報復と称して、男子にズボンずらしという反撃を食らわせる光景を見ている。


 ――カンチョーを食らってるヤツもいてたな……。


 主導したのは多分この三人だ。

 大体いつも原が発案し、森下と川野が面白がるような感じだ。


 ――あるんよなぁ。何かこいつら特有の……。


 変なテンションというか悪ノリというか――、そういった盛り上がり方を時々見かけていた。

 今日のノリも同じ類のものなんだろう。

 着火するタイミングや理由はよく分からない。

 夕方のせいなのか、雨が降っているせいなのか、はたまたエロ漫画を読んだせいなのか――。

 世間一般では、どうやら女子には箸が転んだだけで笑い転げるような年頃があるらしい。

 こいつらにとっては今がそうなのかもしれない。


「さーいしょはグー」


 三人が円陣となって拳を突き出す。

 勝負はあっさり始まった。

 ジャンケンで負けたやつがパンツをずらすのなら――。

 オレは考える。


 ――勝て原。勝て森下。


 決まっている。

 見られるなら川野のもの、はい、これ一択。

 原と森下が決して可愛くないわけではない。

 彼女が特別なのだ。


「ジャーーンケン、ホイ! あいこでしょっ! しょっ! しょっ!」


「あっ」と一斉に声が漏れたのは、三人の手が割れたためだ。

 原がチョキ、森下もチョキ。

 オレはこの時ほど、神に感謝したことはないだろう。

 川野は五本の指を大きく広げていた――。


「えーーーー、うわうわ、ちょっと待って、ちょっと待って!」


「はい、ゆり、負けーー!」


「ゆりちゃん、パンツずらしの刑ーー!」


「いやいや! え冗談やろ?」


「いや、冗談ちゃうで。マジマジ」


 原が両手をひらき、指をワキワキと動かす。


「いや、マジムリムリムリムリ! 絶対ムリ」


 ドクンドクンと鼓動が大きくなっていく。

 一体どうなってしまうか。


 オレは、必死に微笑の表情を作る。

 全神経を集中させて、緊張感を悟られないように努める。


 ――そうかぁ~。川野に決まったんか~。そうなんか~。


 まったく女の裸になんて興味はないですよという好々爺こうこうや風の演技をして、三人のやり取りを見ていた。

 実のところ、心臓はマイクタイソンのアッパーカットでドコンドコンと突き上げられていた。


 その時、川野と目が合った。


「ちょっと、吉川も何とか言うてや」


 彼女の苦笑の表情を見た時、もうたまらないほどに胸が締め付けられて、早くパンツの中が見たくて見たくて仕方が無くなってしまった。


 オレが好々爺のまま「うんうん」と答えると、森下が、


「ほら、吉川もうちら派みたいやで」


「嘘ぉーーー!」


 天を仰ぐ彼女を、原と森下が横ではやし立てた。

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