ツーポンド

夕目 ぐれ

第1話 奴隷の子

どこかから悲痛な叫び声が聞こえる。周囲を見渡せば、凄まじい唸りを上げた真っ赤な炎が、悠然と私を囲っている。

肌がひりひりと傷み、上手く呼吸が出来ない。ふと炎の先に見えた"何か"から目を逸らすように、私はその場で蹲[うずくま]る。

「……ごめんなさい。……私は」

 私には何も出来ません、とそう何度も言葉にする。その"何か"に謝るように。誰かに助けを求める、ずっと聞こえてくる誰かの声と同じように。まるで自分自身に言い聞かせるように。

 私は知っている、これが夢だということを。もう何度みてきたことだろうか。私は震える両手で耳を塞ぐ。そして目を瞑り、ずっと頭の中で反芻している言葉と同調するように呟く。

 ごめんなさい。私は何も出来ないただの奴隷です。もう何も期待しません。だから----

〜〜〜〜〜

 潮騒が聞こえる。地面の凹凸に合わせて激しく揺れてた車内も今は穏やかなようだ。馬の蹄が地面を蹴る一定のリズムと潮騒、うっすらと聞こえてくる虫のさざめきが心地良い。だんだんと闇夜にも目が慣れてきて、私は同乗している他の二人に目を遣る。

「……ルル。もうすぐ着くみたいだな」

 私と目が合ったマゼルが言う。首を気怠げに傾けて顔色も少し悪い。長旅の疲れが出ているのだろう、私も身体のあちこちが痛む。

「ずっと起きてたの?」

「……なぜか寝付けなかったんだ」

 マゼルは私達三人の中で一つ年上で、いつも冷静で落ち着いている。面倒見は良いけど何事にも悲観的だ。私も人の事は言えないけども、そういった面では結構馬が合う。

「どうした? ずっと見て」

「……マゼル、緊張してる?」

 そんな訳ないだろ、とマゼルは顔を伏せる。いつも斜に構えているマゼルの、少し不安げな面持ちが珍しくて、思わず見つめてしまった。でもこれからの事を思うと、マゼルの気持ちも分からなくはない。

「ルル……、マゼル、着いたのか?」

 もう一人の同乗者がゆっくりと上半身を起こした。顔はまだまだ眠たそうだけど、顔色は悪くない。こんな場所でもゆっくりと眠れたようだ。

「コール、たぶん夜明け頃には着きそうだよ」

 私が答えるとコールは表情を明るくして、大きく両腕を伸ばした。

「そっか……! 長かったな」

 コールは小さな子供のように私達の乗る荷車から顔を出して、外の様子を伺う。

 コールは私達とは違って明るく前向きな子だ。理不尽を嫌っていて、何かと抗おうとする。端的に言ってしまえば揉め事をよく起こす問題児なのだけど、その明るさに救われている人は多いと思う。

「よく見えないけど、あそこの大っきいやつだよな! やっと俺達の努力が報われるんだな」

「あまり期待はするなよ。俺達は奴隷なんだ」

「ああ、今日までは、だけどな。なぁ、ルル」

「……奴隷は奴隷だよ」

 私がそう答えても、コールは全く気にしない様子でずっと外を見遣る。いつもならここで不毛な言い合いが起きるのだけど、上機嫌のようだ。いつも言い争いを終える時にするため息混じりに首を左右に振ったマゼルは、小さな子供をあやすように言う。

「明日は早いんだ。もう寝るぞ」

 そして私達はまた眠りにつく。この後は大きな商船にこのまま荷物として運ばれるのだろう。どっちにしろ、もう道程は穏やかだ。明日の朝までやっくりと眠れるだろう。二人の寝息を聞きながら、私はなかなか寝付く事が出来ずにいた。

 さっきマゼルが、少し笑ってるように見えた。それが何故だか気になってしまう。そんなどうでもいい事を気にしてるから眠れないのは分かってる。私は何を気にしているのだろう。結局私は、あの夢を見ずに済みそうだと考える事を諦めた。私は二人が幸せになってくれれば、それでいい。私に夢は必要ない。

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