切れない縁

ところが,数ヶ月後に,また歌子から連絡が来た。


奏が新しいアプリを歌子のタブレットにインストールする時に,写真のデータが全部消えてしまったから,私と息子の写真を送って欲しいという内容だった。


歌子のことを良く知っている私には,メールの文面を読んで,すぐにわかった。写真データは,ただの口実だということ。


写真なら,私は,音楽練習に通わなくなっても,奏とは,ずっと近況報告をし合っていてその度に写真も送っていたから,彼から貰えば済む話だ。わざわざ私に連絡を取る必要はない。


コロナウイルスが猛威を振るい,世界中で感染拡大を続けていても,私たちの田舎町では,最近まで確認されていなかった。我が町に爪痕を残さずに日本から去ってくれるかもしれないと楽観する人がいたほどだった。しかし,歌子からメールをもらう一週間ほど前から、確認されるようになって,毎日感染者が増えている時期だった。


歌子は,きっと写真データを言い訳に,安否確認をし,絆を確かめたいのだ。そう確信し,返事するかどうか,とても長い時間迷った。


出産報告に反応しないという選択肢は,考えられなかった。それを無視するのは,冷酷過ぎる。


しかし,写真を送って欲しいという内容のメールには,もう付き合うつもりがなければ,関わらないと決めていれば,一貫性を持って,断るなり,スルーするなりした方がいい。そう思った。写真を送ってしまうと,私たちの関係を以前の開けた状態に戻すことになる。歌子が意図していたかどうかは、ともかく,写真を送ることには,大きな意味があると考えた。


私は,どうしたいのか?歌子とは,もう付き合いたくない。会いたくもない。しかし,無視はしたくないし,傷つけたくないし,冷たくしたくない。自分がこういう中途半端な気持ちを抱いていることに気づいた。歌子のことは,どうでもいいとは,思えていない。自分の中では,歌子の位置づけを変えられていない。大事なままだ。


町の行政からまたメールが届いた。感染者がこの一日でさらに三人増えたという内容だった。歌子がコロナウイルスに感染したら,私はどう思うか。もっと極端に言えば,歌子が死んだら,私はどう思うか,考えてみた。


そしたら,もう迷うことはなかった。歌子に返事することにした。

「どの写真が消えたか分からないから,どの写真を送ればいいか分からない。」


すると,またすぐに返信が来た。

「赤ちゃんの成長ぶりがみたいから最新の写真がいい。」


やっぱり,写真データが消えたというのは,ただの口実だった。


やりとりはしばらく続き,途中から友達同士の会話文に戻っていた。最近の体調や子育ての様子について,色々尋ねてくれた。


都会へ引っ越すつもりだということまで,伝えてしまった。これは,まだ誰にも話していないことだった。


すると,「コロナ禍でも,ハグしてキスして見送りたい。黙って,引っ越すんじゃないよ!」

という返事が来た。


ハグ!?キス!?何を言っているんだ!?ウイルスを広めてしまうんじゃないか!?しかも,私たちは,家族じゃないし…!互いにわだかまりがあるのに,ハグとキスだって!?要らない!それは,困る!困る!


「そういうことをするなら,前のような信じ合うような関係に戻りたいね。」

ともう戻れないことをわかった上で,適当に返事した。


すると,「大丈夫よ。」という歌子の得意な意味不明の一言返信。


「何が大丈夫?」


「深く考えなくても大丈夫!絶交するつもりはないから!」


絶交するつもりがないのは,私がそうしようとしても,連絡が来るから,すでに察していた。


まだ返事が打てずにいると,もう一通のメールが届いた。

「悪いけど,唐のことは,友人とは思っていない…娘みたいに思っている…。」


出た!久しぶりに出た,この台詞!


歌子が私のことを娘みたいに思っているとは,どう考えても,私には,もはや信じる根拠がない。とても信じられない。娘みたいに思っていたら,言わないはずのことをたくさん言われてきたし,されないはずのことをたくさんされて来た。


しかし,歌子にそう伝えても,ダメなのは,わかっていたし,「じゃ,これまでの言動は,一体何だったの!?」と追求しても,過去を話さない主義で,自分のやることに対して自覚のない歌子には,私が納得できるような説明が出来ないことも,わかっていた。


じゃ,どうする?


「私も,歌子を友人ではなく,母親みたいに思っているよ。」

と返事することにした。


この言葉が本当かどうか,自分でもよくわからなかった。嘘かもしれないと思った。しかし,一時期,歌子のことをそういう風に思っていたのは,間違いない。


それに,歌子が絶交しないと決めていて,私も一貫性を持って,冷たく無視する気になれない以上,歌子と縁を切るのは,無理だ。対等に話し合うというコミュニケーションスタイルを知らない歌子だから,決着をつけるのも無理だ。


なら,これでいいと思った。


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