歌子の遠出
私が紹介してもらった人と交際を始めたことを知ると,ある日,歌子が尋ねてきた。
「彼のどう言うところがいいの?」
私は,あまりそう言うことを考えずに付き合い始めたから,答えに困った。
「ちょっと面白いところがあるところかな。」
と最初に思いついたことを言ってみた。
歌子は,すぐに頷き,「少し抜けているところがあるでしょう?奏も,そう!だから,奏が好きかな。」と言った。
歌子がはっきりと,奏に好意があると自分で言うのは,初めてだったので,知っていることでも,一瞬ドギマギした。六十代のおばさんと恋愛の話題で意気投合ができるとは,夢にも思ったことがなかった。
この時に,人は,年齢に関係なく,恋をするものだと初めて知ったのだった。
その後,歌子が「今度,オーストラリアにちょっと行ってくる。」と突然切り出した。
これを聞いて,またまた驚いた。オーストラリアは,ちょっと行って来れるような距離ではないから。
歌子は,オーストラリアにお友達がいて,よくその人に会いに行くと説明してくれた。しかし,自分も,そのお友達も,老化が進み,お友達の方は,認知症も始まっているから,会うのは,これがおそらく最後になるだろうと話した。
私には,歌子を止める理由はないから,「行ってらっしゃい。」と言った。
歌子は,二週間ぐらい留守をすることになると言った。
ほぼ毎日会っている人に,二週間も会えないのは,寂しいと思ったが,また帰ってくるから大丈夫だと開き直った。しかし,遠いところに旅をするわけだから,私が友人からもらい,大事にしていた御守りを出発前に渡すことにした。
「効かなかったら,ごめんね。たくさん楽しんで,無事に帰って来てね。」と挨拶の言葉を添えた。
ところが,二週間は,私が思っていたよりずっと長く感じた。私は,毎日早く歌子に会いたくて,後何日で帰国をするのか数えて過ごした。家族でも,恋人でもないのに,再会をここまで待ち侘びる自分は大丈夫かな?と言う疑問は常にあった。
二週間がようやく経ち,歌子から「帰って来た。」と連絡をもらい,歌子も行くと思い,すぐに奏の自宅へと向かった。
歩いていると,背後から「唐!」と繰り返し,懐かしい声が呼ぶのが聞こえた。歌子だった。私は,振り向き,歌子の立つ場所に向かって,一目散に駆け出した。そして,ギュッと歌子を抱きしめた。歌子も,待ち侘びたかのように,強く抱きしめ返してくれた。
そして,一緒に奏の自宅に向かって,歩き出した。
ところが,話していると,歌子の声がおかしいことに気づいた。「大丈夫?」と訊いてみると,オーストラリアからの帰りの飛行機の中で,風邪を引いたと言った。スーツケースを座席の上の収納スペースにしまったら,異物が喉の奥に入るのを感じて以来,ずっとおかしいと言った。生まれて初めて,風邪を引いた瞬間がわかったと得意げに話した。
私は,しまったと思った。そして,案の定,歌子の風邪が私に移っていた。次に予定していた国際交流イベントの時に,二人揃ってマスクをして,咳をしているから,参加者に,「二人揃って,どうした!?」と心配された。
すると,歌子が正直に答えた。「私がハグして,移しちゃったの。」と。そこまで正直に言わなくても、よろしいと言いたかったが,我慢した。
私の風邪はすぐに治ったが,歌子は,拗らせて,副鼻腔炎になり,それでも病院に行くのが面倒だと渋って、薬を飲まなかったせいで、慢性副鼻腔炎になってしまった。治すのに、半年以上抗生物質を飲み続ける羽目になった。
というわけで、私が出発前に歌子に渡した御守りは,大した効き目はなかったようだ。
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