第7話 雨降って地固まる
アイドル・
当然の事ながら、週刊誌の記事を読んだらしい鞘香が、雑誌を片手に青ざめた顔で凛々に話しかけようとする。
「刀子、これは一体――」
「プロデューサー、仕事行ってきまーす」
鞘香の言葉を遮って、凛々は鞘香に背を向けて足早に事務所を飛び出した。正直な話、ざまぁみろとは思ったが、鞘香の凛々を心の底から心配している表情を思い出すと、罪悪感がないでもなかった。そもそも、週刊誌に載るようなおおごとになるとは思っていなかったのだ。事務所から外に出ると記者に囲まれ、そこから逃げるように早足で歩き去る。芸能人というのは楽ではない。
無地のグレーのパーカーに黒いズボン、顔には真っ白なマスクをして、凛々は仕事へと向かうのであった。
***
凛々の一日の仕事が終わる頃には、もう空は真っ暗であった。
鞘香が凛々のために新しく設立した事務所は、アイドルは凛々しかいないし、小規模だからマネージャーもつかない。自分の手帳に書き込んだ明日の予定を見ながら、凛々は街を歩いていた。
「あ、結城さん、こっちこっち」
声の主は凛々の交際相手――ドラマの共演者であった、あの若手女優であった。ちなみに、『凛々』という名は目立ってしまうため、『結城』と呼ぶように頼んだのである。
「えへへ、結城さんとデートできて嬉しいなぁ」
はにかんだ笑顔を浮かべる女優は、やはり美しかった。
「今日はどこに行くの?」
「行けばわかるよ」
歳上の女優に手を引かれ、見えてきた目的地はいわゆるホテル街。
しかも、大人向けというか、率直に言うと『そういうこと』をするためのホテルである。
「あ、あの……?」
「大丈夫、優しくするから」
困惑する凛々に、女優は妖しげな笑みを浮かべる。
そして、凛々の手を握る力が強くなっているのを感じる。
嫌な予感がする、というか、目の前にある。
「ちょ、ちょっと、冗談はよしてよ」
「どうして? 私たち付き合ってるんだからこういうことも承知の上でしょ」
「い、いやいやいや……私、未成年なんだけど!?」
「いいからいいから」
ほとんど引きずられるように、女優に手を引かれてホテルのひとつに連れ込まれそうになるのを、凛々は必死に踏ん張る。
「だ、誰か助けて……」
ホテルの中に入ってしまったら終わりだ。
凛々は涙目になって助けを求める。
真っ先に、脳裏に浮かんだのは。
「――助けて、鞘香さん……!」
「呼んだ?」
ガッと女優の手首を掴む音がして、聞き覚えのある声がする。その声の持ち主は、もちろん――。
「さ、鞘香さん!?」
「ウチの大事なアイドルに、何をしてらっしゃるんですか?」
鞘香は口は笑っているが、声のトーンと目が笑っていない。
「あら、私たちがお付き合いしてるのはご存知ですよね? 恋人同士の仲に割って入るのはいくらプロデューサーでも野暮じゃありません?」
女優も負けじと笑顔で対抗する。
「へえ? 恋人同士のお付き合いに週刊誌のカメラマンを同行させるなんて素敵なご趣味ですね」
「え……?」
鞘香の言葉に、凛々はキョトンと目を丸くする。
「そこの植え込みの陰に隠れてるのは分かってますよ。カメラマンにホテルに入る未成年の決定的な写真を撮らせてアイドルを失脚させるのが、あなたの目的ですね?」
「…………」
鞘香の台詞が聞こえたのか、植え込みから誰かが離れて逃げ去っていく音が聞こえた。
「……あーあ。もう少しだったのに」
「そ、そんな……友達だと思ってたのに、どうして……?」
「向こうは友達だと思ってなかったってことでしょ。どうせ私の昔話を吹き込んだのもあなたでしょう?」
呆然とする凛々を背中に隠すように庇いながら、鞘香は女優を睨む。
女優は先程までとは打って変わって、冷たい目をしている。
「やっぱ薬か何か盛ってからホテルに連れ込んだほうが良かったかしら」などと反省の色もない。
「何故、凛々にこんなことを?」
鞘香は努めて冷静な口調で女優を問いただす。
「別に。ドラマで共演して、アイドルのくせに演技も上手いなんて実感しちゃったら、ねぇ? 若い芽は摘んでおくに限るでしょ?」
「成人が未成年の少女をホテルに連れ込む瞬間の写真なんて週刊誌に載ったら、あなたもタダじゃ済まないでしょう」
「いいえ? あの週刊誌のカメラマンとは懇意にしてるから、写真の中の私だけは私と特定されないように加工してくれるわよ」
「なんて……卑劣な……」
「芸能界は弱肉強食。あなたもプロデューサーとしてこの世界に長くいるんだから常識でしょ?」
鞘香は
「全部……私を陥れるための……罠だったの……?」
「ホントに愉快だったわ。楽しませてくれてありがとう」
凛々は女優の言葉が信じられない様子であった。無理もない。あんなにキレイで優しい、姉のように慕っていた女性の裏切り。心に深い傷を負った彼女の目からは、感情がついてこないのか涙すら出なかった。
しかし、鞘香は――笑っていた。
「こちらこそありがとう、ベラベラ喋ってくれて」
「は?」
怪訝な顔をする女優に、鞘香はポケットからスマホを取り出す。
「これでバッチリ今までの会話を録音させてもらったわ。これをマスコミに提供したら……どうなると思う?」
「――ッ! この……っ、そのスマホを寄越せ!」
「目には目を、歯には歯を。カメラマンを仕込んでたそっちだってお互い様でしょ」
スマホを目掛けて鞘香に飛びかかる女優を、鞘香はいとも簡単にいなしてしまう。
「これを公表されたくなかったら、二度と結城凛々に関わらないでちょうだい。私は凛々を弄んだあなたを絶対に許さない」
「……チッ」
別人のように荒んだ表情を浮かべて、女優はその場を立ち去った。
「……大丈夫? 怪我はない? 他には何もされてない?」
背中に隠した凛々のほうに向き直って心配の言葉を投げかける鞘香の顔は、慈愛に溢れていた。
凛々はボロボロと涙を
「だ、大丈夫!? どこか痛いの!?」
泣き出した凛々にオロオロと声を掛ける鞘香に、凛々はぎゅうっと抱きついた。
「ごめん、ごめんなさい鞘香さん、私……っ、あんなひどい仕打ちをしたのに……」
「謝るのは私のほうだよ、ごめんね刀子。私、刀子が言う通り、自殺したあの子に刀子を重ねてた。刀子をトップアイドルにしたらトップアイドルになれなかったあの子が報われるかなって、変に期待しちゃって……ごめん」
「それでもいいよ、鞘香さん。私、鞘香さんが好きだから、その自殺した子の代わりでもいい。鞘香さんの傍においてほしかったの」
それは本心だった。一方的な喧嘩というか反抗期のようになってしまったが、刀子がそれでもアイドルを引退しなかったのがひとつの答えだと思う。
「……刀子、もういいんだ。目が覚めたよ。刀子をトップアイドルにしたいと思ったのは私のエゴだ。もう刀子は芸能界を引退したほうが幸せだと思う」
「え……私を見捨てるって、こと……?」
嫌だ、と心が叫んでいる。アイドルを辞めたら、もう鞘香との唯一の接点がなくなってしまうのではないか。それだけが、彼女がアイドルを続ける理由になっていた。
「逆だ。私のそばにいてほしい。私も……刀子がほっとけないって気付いたから」
「……そこは『私も刀子が好きだ』って素直に言いなさいよ、人たらし」
「いや……大人としての立場上、ね……」
「ふんだ、バーカ」
グズッと鼻をすすって、刀子は涙も拭かず笑った――。
〈続く〉
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